朝食と同じく昼食も屋台で取ったシャルロアたちは今度はエイル豆を持って、午後から始まる師団の凱旋行列を見物しに、大通りの方に足を運んだ。 大通りでは士官学校卒業生の凱旋行列が終わったあといったん解かれていた交通規制が再び始まっており、多くの人が柵の前に集まっている。 「うえぇ、すげぇ人。酔いそう」 「一番の目玉だからね。王都の独立記念祭に来て、師団の凱旋行列を一目も見ないのはもったいないから」 過去のシャルロアはあまりの人の多さに心が折られてちらと見ただけで、あとは先輩やローレンノと祭りの屋台を楽しんでいたが、多くの人はこの師団の凱旋行列を見に来るのだ。今年も例年通り、すでに芋を洗うような混雑で熱気に溢れている。 田舎生まれ田舎育ちのシャルロアとアルコは、それを見て少々げんなりした。 「……一応聞くけど、あそこに入りたい?」 「無理」 速攻で答えが返ってきた。アルコは相当に嫌であるらしい。 シャルロアも慣れないスカートであの人ごみの中に入っていくのは心もとなく思い、2人は大人しく人ごみの後列から凱旋行列を見ることにした。 「俺、見えっかなぁ……」 「少なくとも師団長は見えるでしょ。騎乗して行進するから」 「師団長だけ?」 「そう」 「副師団長は?」 「第4以外の副師団長は凱旋行列に参加しないの。師団長と騎警団長がいないから、副師団長と副騎警団長は本部で万が一の事態に備えるわけ」 「あー、ファルガ・イザラントは英雄だから特別なのか」 「そういうこと。師団長も華々しい舞台が好きって人でもないし」 むしろあの人は舞台裏で暗躍する方だ。 そんなふうに話しながら時間を潰していると、突如わぁっ、と大きな歓声が聞こえてきた。 「来たわね」 まず最初に見えたのは、凱旋行列の先頭を務める騎警団長だ。 シャルロアは騎警団の長である騎警団長とは直接話したことがないので人柄はよく知らないが、公式行事など見かけるその姿は50歳前後の短い金髪に白髪が入り混じる男性で、顔つきはかなり厳めしい。しかし紫色の瞳には年を重ねた者特有の穏やかさがあり、目の前に立つと背筋は伸びるが、ファルガ・イザラント相手のように圧倒はされないだろう、とシャルロアは感じている。 最も、その穏やかさは年齢のせいだけではなく、彼が第1師団出身、というところ――つまりは貴族であるというのも関係しているかもしれない。 上品さも感じられる騎警団長は、部隊長以上の人間しか着ることを許されない白い式典制服に、白い制帽を着用し、おびただしい数の勲章メダルを胸に、勲章頸飾を首に下げていた。それだけでも重そうなのに、右半身を覆い隠す黒いマントまで装着している。 そんな威厳溢れる騎警団長が乗る馬は見事な毛艶の月毛で、紺色の美しい馬具を装着している。まさに騎警団を率いる団長が乗るにふさわしい馬だった。エイル豆が飛び交うので、馬は時折鬱陶しそうに小さく頭を振るのだが、それもどこか気品が漂う。 さすが騎警団長の馬……とシャルロアが感心している間に騎警団長は目の前を通り過ぎて、その後ろに第1師団師団長、第1師団が続く。 騎警団の中でも花形の師団なので、行列が長い。ざっと見る限り、15分隊ほど参加しているようで、どの団員も飾り剣を腰に差し、行進していく。彼らの内の1人が持つ団旗がなびく度に歓声がより増して、豆が舞った。 シャルロアも豆を投げながら、アルコに尋ねた。 「あんた、見えてる?」 「おー、案外見えてる!師団の凱旋行列超かっけぇ!」 アルコも豆を懸命に投げながら答えた。その目は少年らしくきらきら輝いていて、興奮のあまりエイル豆を投げすぎ、すでに袋の底が見えようとしている。 シャルロアは呆れ笑いながら、自分の分の豆をアルコの袋に足してやる。 そうしている間に、第2師団、第3師団が過ぎていく。参加人数は第3師団が一番多く、迫力があった。 周囲の興奮は高まり、そしてそれはついに第4師団の登場で弾けた。 「英雄だ!」 「ファルガ・イザラントの登場だぞ!」 わぁぁ、とその場の空気が震える歓声の中、まさに昂然としてファルガ・イザラントが姿を現した。 普段は露わにしている黒髪を今日は白い制帽に押し込め、褐色の肌だからこそ映える白い式典制服と右半身を覆う黒いマントに身を包んでいる。胸には数多くの勲章メダルが陽光を浴びて輝いていた。目深に被った制帽の下からちらりと見える金色の瞳はまっすぐ前を見据えており、その表情からは威圧感、というよりも英雄ならではのカリスマ性を強く感じる。 さらにどうやら乗せてくれることになったらしい青鹿毛の馬は遠くから見ても筋肉質な美しい馬で、双方の荘厳さがより濃厚になっていた。 つまり。 ――あの人、マジで猫被ってる……! シャルロアは己の頬が引きつるのを止められなかった。 普段を知っていると、とても生ぬるい雰囲気である。あの男の本質は間違ってもカリスマ性などという穏やかな言葉で語ってはならないものなのだが、それを知らぬ民衆はあっさりと騙されていた。 「……副師団長、すっげぇかっけぇ……」 アルコもまた、その一人である。 「あの人が俺の義兄ちゃんになるかもしんねぇのか……」 「ならない」 憧れるのは構わないが、そこだけはきっちり否定しておく。 ――悔しいけどかっこいいから、憧れるのはやめろと言えないし……。 第4師団を率いて行進するファルガ・イザラントの威風堂々たる振る舞いは、人々の心と目を引き付ける何かがある。実態を知っているシャルロアでさえ、胸の奥底で高ぶるものがあるのだ。実態を知らないアルコに憧れるな、とは言えなかった。 彼のようになる、と言われたら何を捨てても止めるが。 ――ん?あれ、アートレート分隊長かな? ファルガ・イザラントの後ろを行くのは、アートレート分隊だった。分隊の中に一際背が高い団員がいるので、間違いなくウルグだろう。ファルガ・イザラントとは正反対の黒い式典制服と制帽姿だ。 そして第4師団の凱旋行列参加分隊は、アートレート分隊のみだ。精鋭と称される師団らしく、人数はとても少ない。 しかしそれを補って余りあるファルガ・イザラントの存在感である。 ――うん。師団長が副師団長を出したがるのは、よくわかる。 彼さえ出てくれれば、数少ない分隊の中から1個分隊を参加させるだけで、凱旋行列が凱旋行列足りえるのだから。 ――他の分隊は、仕事を中断しなくてもいいもんね……。 そして今年、犠牲となったのはアートレート分隊だったというわけだ。おそらくは師団長からファルガ・イザラントの手綱を任されたアートレート分隊長の胃が心配である。 シャルロアは心からの同情を込めて、アートレート分隊を見送った。 そのあと、第5師団を飛ばして第6師団の行進が始まる。こちらはそれまでの男臭さが皆無の、華々しい女性たちによる凱旋行列だ。観衆も、特に男性の反応が熱い。 時折三番目のあの子に踏んでほしい、とかいう変態な願望が囁かれるのが聞かれるが、それを無視すれば非常に美しい凱旋行列だった。 第6師団を見送ると、師団の凱旋行列は終了となる。まだ見足りない人間は先に行ってもう一度見ることにするのだが、十分だという人間は祭りの屋台や出し物を楽しむことに戻る。 「どうする?まだ見たい?」 シャルロアがアルコに問うと、彼は首を横に振った。 「や、もういいかな。噂の副師団長は見れたし、俺あっちの小屋で劇見てぇ」 「じゃ、そうしよっか」 王都には立派な劇場があるが、そこはお貴族様向けのお上品な劇しかしないし、入場料も高いので、平民受けするかというと微妙なところだ。しかしこのような祭りの日は、旅一座の劇があちこちで開演されており、これがまた冒険ものやロマンスものなど、平民受けする演目が多いので、平民は祭りの日に劇を見る者が多い。王都ならばなおさら、旅一座の者が多く訪れる分だけ演劇の種類も多いので、アルコも楽しめることだろう。 投げ損ねた豆をポリポリと食べながら、シャルロアたちは演劇小屋へと向かった。 ******** その後、劇や出し物を存分に楽しみ、夕食も屋台で取ったシャルロアたちがアルコの宿に戻ったのは、夜の9時になったころだった。 広場ではそろそろ舞踏が始まる時間だが、アルコは明日の早朝に王都を発つ予定らしいので、切り上げて帰ってきた。 「やっぱ王都の祭りはすごかったぜ。次は春の祭りにでも来ようかな」 「今度こそは、来る前にちゃんと連絡しなさいよ」 「わかってるって」 「それじゃ、お父さんとお母さんにもよろしく言っておいてね」 アルコを部屋に送って寮に帰ろうとしたシャルロアだが、くん、と裾を引っ張られ、止められた。 「……ちょっと、姉ちゃん」 ――ん? 訝しげにシャルロアは眉をひそめたが、とりあえずアルコの思うままに部屋の中に入ってやった。 ぱたん、とドアが閉じて、しばし沈黙が流れる。 静かではない。窓の外からは、愉快気な人々の声や音楽が響いていた。 「あのさ、朝の続きだけど」 「朝?」 「結婚する気ない、ってやつ」 「うん」 それがなに?と小首を傾げると、アルコは決意に満ちた茶色い瞳をシャルロアに向けた。 「何回も何回もは、さすがに困るよ。でも、俺、姉ちゃんが全部を打ち明けてもいいと思う男ができたら、1回くらいは打ち明けてもいいと思う。もしダメだったら、俺たち覚悟はできてるからさ」 シャルロアは、と胸を突かれた。 次いで、ぎゅ、と心臓が痛くなる。 こんな言葉を弟には、言わせたくなかった。いつでも逃げる覚悟はあるから、想う人にすべてを打ち明けてもいい、なんて。 「……そうならないように、恋愛事からは遠のいてるのよ」 他の誰でもない、シャルロア自身が一番わかっている。家族にどれほどの覚悟と決意を強要しているか。 両親はシャルロアのことがバレたら、これまでの職や家を捨てて、それこそ隣国へまで逃亡しなければいけないかもしれない。それに付随して、アルコも生まれ育った場所から、育んだ友情関係から、逃げ出さなければならないかもしれない。 両親はシャルロアを隠さず育てる、と決めたときからすべてを負う覚悟はあっただろう。 けれどアルコは違う。 シャルロアの弟として生まれた。それだけなのに、姉が魔女だとバレたら、友人も、あるいは恋人も置いて逃げなければならなくなるかもしれないなんて、あまりにもかわいそうだ。 今はまだ、アルコは幼いから好きな女の子ができて、いずれ結婚することに思い至ってないのだろう。もし、アルコに恋人ができたときにシャルロアのことがバレたら、アルコはどうするべきなのか、シャルロアにだってわからない。 アルコの恋人が魔女を毛嫌いする人間なら、アルコも迫害される危険性がある。 だからと言って、それまで好きだった人を簡単に捨てて、逃げられるものなのか。 そんな未来を考えるだけで、シャルロアは不安を叫びたくなる。 家族全員にすべてを捨てさせなければならないことが、どれほど残酷なことか。 ―― そんな思い、させたくない。 アルコには、普通の人生を歩んでほしいのだ。 姉が魔女だからといって、みじめな思いをさせたくない。 娘が魔女だからといって、不幸な思いをさせたくない。 魔女だからと捨てないで愛してくれる、大切な家族だから。 「だからあんたは安心して好きな子を……」 「俺はいいんだよ。姉ちゃんに心配されなくても、いつかは好きな女の子ができて、その子と結婚するよ。けど姉ちゃんは……俺たちのことを考えて、好きな人とか作らないようにしてるだろ。今は父さんと母さんがいるからいいけど、将来どうするんだよ。そのうち、姉ちゃん1人になっちゃうだろ……」 「馬鹿ね、あんたがいるじゃない」 「嘘だ」 アルコはきっぱりと、シャルロアの言葉を否定した。 「姉ちゃん、俺が結婚したらなんだかんだ言って、俺とは疎遠になるつもりなんだろ。なにかあったときのために、俺や俺の家族とは絶対距離を取るつもりだ。何年姉弟やってると思ってんだ。姉ちゃんの考えることなんか、わかってんだからな」 急に、シャルロアは目の前で難しい顔をしているアルコが、大きく見えた。 ほんの数年会わなかった。それだけなのに、弟から幼さがなくなり、大人になろうとしている。 シャルロアは苦笑した。 「考えすぎよ」 「じゃあ、約束してくれよ。あの副師団長じゃなくていい。姉ちゃんのこと全部守ってくれる男が現れたら、心から信じられる男が現れたら、そいつにだけ、1回だけでいいから。自分のこと、話して、守ってもらうって」 「……約束する」 言って、シャルロアはアルコを抱きしめた。 知らない間に、本当に大きくなった。 微笑を浮かべるシャルロアとは正反対に、抱きしめられたアルコはむすっとした表情で、 「姉ちゃん、うぜぇ」 と悪態をついた。 シャルロアはそんな弟から離れてから一小突きし、アルコのやわらかい髪をぐしゃぐしゃにしてやる。 「うわっ、やめろよ」 「小生意気なこと言うからよ。明日早いんだから、もう寝なさい。お父さんとお母さんによろしくね」 「……おう」 アルコは口を尖らせながらも、こくりと頷いた。 それを見てからシャルロアは部屋を出て、宿を離れた。 外は夜だが、祭りの夜は酷く騒がしく、まだ町が眠りにつく気配はない。まるで昼の延長線にあるような夜だ。 シャルロアはどこもかしこも賑やかな夜の中、寮への帰路につく。 ――まさか、アルコがあそこまで考えてるなんて思わなかった。 実際のところ、アルコの考えは杞憂とは言えなかった。有効な手段のうちの一つとして、シャルロアが考えていたものだ。 縁が切れたフリをしておけば、少なくともアルコやその家族に害が及ぶ心配は薄くなる。 それで構わないとシャルロアは考えていた。 切れたように見えても、深いところで家族の絆が切れることはないと、シャルロアは信じていられる。だから疎遠になっても、大丈夫だと思っていた。 ――道連れにするには、あまりにも酷いもの。 士官学校で起こった事件のときに、シャルロアは自国の王子に対して喧嘩を売った。あれは腐っても士官学校内、しかも王子に過失がある状態で、シャルロアが間違ったことを言わなければ処罰は軽いだろうと踏んだからだ。それに一応、何も王子のことを名指ししたわけではないという言い訳が通るような言い回しを選んでおいた。あくまで一般論を述べただけで、王子たちを非難しているつもりはなかった、と言えば、そう重い侮辱罪には問われなかった――というより、問えなかっただろう。貴族や王族だからこその体面や誇りがある。王族や貴族の権力は強いとはいえ、法律を超えるほどの罰を望めば、民衆の反感を買う。それを踏まえて考えれば、どんなに厳しい罰が下されても立憲君主制のこの国では死刑ではなく、国外追放がせいぜいだったはずだ。 正直言って、女にうつつを抜かす次代の国王候補には深い失望を抱いていたし、この国の将来に不安しか見えなかったので、家族と一緒に国を離れてもいいかと思ったことには相違ない。先の大戦から10年程度しか経っていないのに、国内がこれから荒れる未来しか見えないのなら、そうなる前に家族と国を離れておきたいと思うのが人情だ。そうであれば、国外追放という処罰だって受け入れることもする。 でもそれは、迫害による逃亡ではない。 シャルロアにとって何よりも重要なのは、そこだった。 国外追放と、迫害による逃亡では何もかもが違う。国外追放は必ず国を出られるが、迫害されて逃亡する場合は、無事に国を出られるか危うい。 エッテル領地の魔女のように、殺された魔女は数多い。 それに準じて、魔女の家族や友人、恋人が殺された例も多い。 逃亡している最中に命を落とす危険があるのだ。そんな最悪の事態から家族を遠ざけたいと思う自分は、間違っていない。 だから嘘をついた。 ――きっと、私が魔女であることを誰かに明かす日は来ない。 アルコとの約束を破ってでも、シャルロアは家族の平穏を守りたい。 けれど破るつもりで交わした約束は、重かった。 ふぅ、と沈鬱なため息をついて、シャルロアは思考の深海から浮上する。 いつのまにか広場までやってきていたらしい。辺りは三拍子の軽やかな音楽が流れ、仮装したり仮面をつけた男性が楽し気に笑う女性と踊っている。煌々と焚かれた灯りは、広場で踊る人々をやわらかく照らしていた。 初々しい様子で踊る恋人たち。 仲睦まじげに踊る夫婦。 広場の端で足を止め、シャルロアはぼんやりと光景を眺める。 魔女であることを明かさない、ということは、踊る相手を探さないということだ。 これから続く孤独に、耐え続けるということ。 その事実を眼前に晒されて、シャルロアは――少しだけ途方に暮れた。 ――でも、決めたでしょう?家族を地獄に落とすくらいなら、自分が孤独に耐えると。 耐えることが、自分を愛してくれる家族への、愛の証だ。 ――だけど、遠い。 シャルロアは広場で踊る人々を見つめた。 眠れぬ魔女の身近に寄り添うはずの夜が、今日は遠い。 「この憐れな道化に、お手を取る名誉をいただけませんか、お嬢さん」 ハッとして声のした方に顔を向ける前に、シャルロアは手を取られて引かれた。 シャルロアの手を握るのは大きな手だ。白い手袋をはめている。 それを確認するのがやっとで、シャルロアは手を引かれるがままに広場の中心に連れて行かれてしまう。先導する――男についていけば、不思議と踊る人たちとぶつかることはなかった。 まだ暑さが残る夜だというのに黒く長い外套を羽織った男は、呆然とする彼女を操るようにターンさせて、シャルロアと向き合った。 彼は、白い仮面を被っていた。 「なんてな」 そう言って、男はごろごろと喉を鳴らして笑う。 ――うそ。 仮面を被っていようと、その笑い方は間違えようがない。 「……ふ、副師団長?」 「勤務時間外だ」 ファルガ・イザラントはくくっと笑ってシャルロアを抱き寄せ、左足を踏み出した。 「うわっ!」 思わずシャルロアは右足を後ろに下げるが、次のシャルロアの動きをさらうようにしてファルガ・イザラントがまた足を踏み出すので、それに合わせる形となる。 それが 「ちょちょっ、副師団長、私、 「勤務時間外だっつってんだろ。俺に合わせてりゃ、上手く踊れてるように見える」 「すごい自信ですね……!でも上手く踊れなくていいんでやめたいんですが……!」 「 正式舞踏、と聞いてシャルロアはハッとする。 「そそっ、そうでした!なな、なんでこんなところにいるんですか!まだ祝賀会の真っ最中なんじゃ……!」 祝賀会は、上流階級の社交場である。王城で開かれる祝賀会は午後7時に始まり、終わるのは明け方近くだと聞いている。 つまりこの時間ならば、まだまだ社交の盛んな時間であり、そんな時間に『雷鳴獅子』がここにいるのはおかしい。 ファルガ・イザラントはくつくつと喉を鳴らした。 「出るたぁ言ったが、いつまでいると言った記憶はねぇな。アートレートが何とかしてるだろ」 祝賀会に参加しているはずのアートレート分隊長は今頃、上司であるファルガ・イザラントの失踪に気付いて胃痛であられるだろう。 今度会ったときにはお疲れ様です、の言葉に添えてお茶でも出そう、とシャルロアは心に決めた。労わりの言葉があるだけでも、精神的には違うはずである。 「祝賀会にいない理由はわかりましたが、なぜこんなところに?」 「お前の勤務表見たら、今日は休みだって書いてたからな。大方祭りに参加してるだろうと踏んで、この時間帯にうろうろしてるなら広場の舞踏を見てるか参加してるかだと予測したら当たった。日頃の行いの良さが出たな」 シャルロアは声を大にして言いたい。日頃の行いが良い人は、決して部下を祝賀会で置き去りにせず、それなりに社交を果たして帰ってくるはずだと。 「で、俺を犠牲にして得た休暇は楽しかったか?」 びし、とシャルロアは固まった。 ステップを踏む足も、ぎこちなくなる。がしかし、ファルガ・イザラントのリードは相当に巧みなもので、くるりとシャルロアを回して引き寄せ、何事もなかったかのように踊りを続ける。 「ぎぎ、犠牲だなんて、なんのことやら」 言いながら、シャルロアは自分の目が魚を追うがごとく泳いでいるのを自覚していた。 仮面の奥から向けられる視線も、どこか冷えている気がする。 「とぼけるつもりなら、どっかでじっくり聞いてやるぜ?」 「すみません楽しかったです」 シャルロアはあっさりと白旗を挙げた。この男の言うどこか、は恐ろしすぎる。 さっくりと白状したのはファルガ・イザラントにとっては拍子抜けだったらしい。彼はふん、と鼻を鳴らして不満を示した。 己のしたことが原因とはいえ、非常に気まずい。 「あー……よくわかりましたね」 「阿呆か、あからさますぎる。俺に気を持たせるようなこと絶対ぇ言わねぇてめぇが、凱旋行列に出た俺を見たいなんざ言うかよ。大方、師団長の入れ知恵だろ。交渉材料は祭り当日の休暇、ダチの凱旋行列を見たくねぇのかとか言われたな?」 「ご明察です……」 言って、シャルロアは首を傾げた。 「あれ、でもそれがわかっていたなら、拒否すればよかったんじゃないですか?」 「好きな女に嘘でもそう言われりゃ、足が折れてても出るのが男心っつうもんだ」 足が折れてる場合は大人しく病院で寝ていてほしい、と思うシャルロアだが、それは言葉にならなかった。予想外の口説き文句に対する羞恥心が、喉に蓋をしたのである。 ――なんだ、こういうときはどういうふうに躱すのが正解なんだ! こっ恥ずかしいことを言ったのだから悶えるべき男は堂々としているので、よけいにシャルロアが焦ってしまう。小娘の自分が何を言えるのか、と考えたそのとき、ふわりとファルガ・イザラントから芳醇な酒と男性用香水の香りがした。 祝賀会の残り香。 大人の付き合い。 その片鱗を感じて、思わずドキリとした。して、しまった。 よく見れば黒い外套の下は白い式典制服を着ている。いつもと違う。 ――何を動揺してるんだ私は!副師団長って地位にいるんだからそういう社交場に顔を出すことあるし、そもそも祝賀会に出るの知ってたでしょ! けれど普段、ファルガ・イザラントから漂うことのない香りは、目の前の人物が大人の男性であることを思い出させるに十分な威力を持っていた。 あたふたとしていると、『雷鳴獅子』はゴロゴロと喉を鳴らした。仮面を被っていても、にやにやしているのがよくわかる。 「なんだよ?」 「いえっ、別にっ」 「顔、赤いぜ?」 「気のせいじゃないですか?」 「そのスカートよく似合ってるな、ロア。惚れ直したぜ」 またもやギシッ、と固まったシャルロアをファルガ・イザラントはくつくつと笑った。 「お前、案外直球な口説き文句に弱ぇな?」 ――落ち着け……落ち着け!からかわれてるだけだから!落ち着け私!話を逸らせ! 「ふっ、く師団長も、マントがよくお似合いで恰好よかったです……よ……」 言いながら、気づいた。 「うれしいこと言ってくれるなァ?」 褒めてどうする。喜ばせてどうする。 ――いかん!頭がっ、頭が回らないっ! それもこれも全部、常と違うファルガ・イザラントのせいだ。 頭に上った熱を冷まさなければ。そのためにはこの男から離れなければ。 シャルロアはパッ、とファルガ・イザラントの腕の中から抜け出て、距離を取った。 ステップをやめてみれば、案外自分の息が上がっているのがわかる。知らぬ間に上がった息のせいで、ドキドキしていたのだ。きっとそうだ。そうに違いない。そういうことに、しておく。 ――思い出せ。この人は私の能力について疑ってるんだぞ。 そう言い聞かせると、体内の上がりすぎた熱がすぅ、と冷えた。 「かわいいな、お前」 「それは、どうも」 「冷静さを取り戻したか。つまんねぇな」 「そうですか。私は満足したんでもう帰ります。では」 踵を返して踊る人々の間をなんとかすり抜けるシャルロアの後ろを、ファルガ・イザラントが軽々ついてくる。 その足取りの軽さを見るとおちょくられているようで、非常に腹立たしい。 シャルロアは視線だけで後ろを振り返りつつ、眉根を寄せた。 「なんですか」 「凱旋行列と祝賀会を終えた俺には、褒美があって然るべきじゃねぇか?」 「お疲れ様です。しかしその交渉は師団長に致すべきかと」 「飲みに付き合えよ」 「お断りします」 「俺が行事に参加したおかげで、お前は楽しい休暇を過ごせたんだろ?」 うぐっ、とシャルロアは言葉に詰まった。そこを指摘されると、罪悪感がある。確かにファルガ・イザラントを生贄にして休暇をもぎ取ったようなものだ。友人の晴れ姿を見るためという大義名分があっても、罪悪感が無くなるか問われればそうではない。 だがしかし。ここで罪悪感に流されるがままホイホイとこの男の言いなりになるのは、自ら罠にかかりに行くのと同義語ではないだろうか。それに懐柔できたと思われても困る。 黙り込んだシャルロアの隣に歩み出て、ファルガ・イザラントは勝ち誇ったようにくつくつと笑い、仮面を外した。 「貸し一つにしておいてやる。いつか返せよ」 そこにあったのは、いつもの悪辣な笑みだ。 シャルロアは重いため息をついた。休暇と引き換えに、とんでもない人物にとんでもない借りを作ってしまったものだ。 ――次からは師団長の口車に乗らないようにしよう。 「で?マジで帰る気か?」 整髪料でがっちりと固めた黒髪をほぐすように掻き上げながら、ファルガ・イザラントはそう聞いてきた。 「帰りますよ。今の今まで弟と朝から祭りに参加してたんですから」 ファルガ・イザラントは金色の目を少々を丸くした。 「弟が来てたのか」 「そうです」 「ふーん。知ってりゃ挨拶したのによ」 「はっ!?やめてください!」 「未来の嫁の弟だぜ?顔合わせしといて損はねぇじゃねぇか」 「嫁にならないんで損にしかなりません!」 上官としてならともかく、未来の夫として挨拶された日には、シャルロアもアルコも驚きすぎて心臓が止まってしまう。 青ざめたシャルロアを横目に、ファルガ・イザラントは何がそんなにおかしいのか、喉を鳴らして笑った。 金色の瞳は、ずっとシャルロアに向けられたままだ。 その視線と合わせて、普段と違って整髪料を使い後ろに流した髪型は男っぽく見え、シャルロアを落ち着かなくさせる。 「まぁ、帰るっつうなら送って行ってやるよ」 「結構で」 「さっきみてえにさびしそうな面晒して帰ってたら、うぜぇ野郎に絡まれるぞ」 ――え? 呆然としてファルガ・イザラントの方を見る。 「黙って、送られとけ。狼にはならないでやるし、あんな面もさせねぇよ」 そういえば彼に会ってから、寂寥感が吹き飛んでいた。 冷めた熱が急激に上がるのを予感し、シャルロアはうつむいた。 ――なんで? どくん、と鼓動が高鳴る。 いちどそれを自覚すると、続く鼓動も全身の力をあるだけ使って打っているように思えた。 ――なんで。 広場に溢れる人の中でシャルロアを見つけられたことさえ奇跡的なはずなのに、くわえて自分が――この夜を遠く思っていたのをどうして知っているのだろう。 ――『英雄』だからだ。 『雷鳴獅子』だから、観察眼が優れていた。それだけのことだ。それ以上の理由はない。 シャルロアのことをよく見ているから、気づいたなんてことない。 自分は観察対象であって、恋愛対象ではない。 彼にとっては、そうであるはずだ。 そうであってくれないと、困る。 「ロア。はぐれんなよ」 シャルロアの前へ歩み出たファルガ・イザラントの背中が目に映る。 ――やめて。心を乱さないで。距離を置いておきたいの。好き嫌いで貴方を語りたくないの。舞台に上がりたくない。無関係でいたい。いなくちゃいけない。 『じゃあ、約束してくれよ。あの副師団長じゃなくていい。姉ちゃんのこと全部守ってくれる男が現れたら、心から信じられる男が現れたら、そいつにだけ、1回だけでいいから。自分のこと、話して、守ってもらうって』 あの約束を果たすには、危険が多すぎる。 ―― それに、今日が終わったらこの人は区切りをつける。もう私には言い寄らない。 理性の叫びを聞き入れ、シャルロアは乱れた心を落ち着けることに尽力した。 そうしている間に2人は広場を抜けて、街路に入る。 途端に三拍子の音楽が遠くなった。灯りが広場よりは少なくなる。 今は人が広場に集まっているので、道を歩いている人も少なかった。 けれど胸にさみしさはない。 それをもたらしたのが前を歩くファルガ・イザラントである、ということに目をつむって、シャルロアは彼の広い背を追って歩いた。 |