“「この憐れな道化に、お手を取る名誉をいただけませんか、お嬢さん」”

出典:キャリュー・クガルー作『一度だけ』






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「メル君、あと少ししたらイザラント君が帰還するので、彼に言って欲しいことがあるんですが」

 シェストレカ師団長に処理した書類を手渡す際、そんなふうに声をかけられてシャルロアはぽかんとした。
 ――伝令?師団長、どこかに出かける用事があるのかな?
 そんな話は一切聞いていなかったので不可解に思ったが、とりあえずシャルロアは小首を傾げるに留めて、続く言葉を待った。

「『独立記念祭の凱旋行列と祝賀会に出てくれたら結婚してもいいです』と……」
「なんですかそれは!?言いませんっ!言いませんからね、そんな恐ろしいこと!」

 ――ああ危ねぇぇっ!うっかり頷いてたら言質を取られるところだった!
 シャルロアが戦慄しながら激しく首を横に振って、シェストレカ師団長の執務机から数歩距離を取ると、彼は憂鬱そうに「そうですか」と言ってため息をついた。
 今の師団長からは、覇気が感じられない。疲れきっている。
 ――こんな状態の師団長、見たことない……。
 はぁぁ、と長いため息をつきながら組んだ手の甲に額を預けるシェストレカ師団長に、シャルロアもさすがに気の毒になって、執務机の前に戻った。

「ちなみに、どういった理由からそんなことを言わせようと思われたんですか」

 シャルロアの問いかけに、師団長は顔を上げて頬杖をついた。

「君、独立記念祭の凱旋行列を見たことはありますか?」
「士官学校に在籍していましたので、ちらっとですがあります」

 独立記念祭。
 オルヴィア王国においては、9月の中頃に開催される一大祭事だ。
 430年前、騎警団の前身である護臣団が独立戦争に勝利した際に王都の中を凱旋行列したのが起源であり、現在は各領地の領都でも騎警団支部が町を練り歩くなど、オルヴィア王国全土が祝いに湧く日である。
 王都では午前中には士官学校卒業生の凱旋行列が、午後からは各師団長がそれぞれの師団を率いる凱旋行列が見られる。
 余談ではあるが、独立戦争は晩春から始まり、晩夏、あるいは初秋で決着がついたと言われている。当時は農民出身の護臣団員が多かったため、秋が近付くにつれて麦の収穫を心配した彼らが滑りこむ勢いで勝利をもぎ取ったからだ、というのが現在一番有効な説だ。故に迅速(シェヴィ)祭と呼ばれることもある。
 この独立記念祭で凱旋行列に参加できるのは各師団・部隊の中でも精鋭のみ。故に騎警団員としては参加を許されるのは誉れである。
 ――って、言われてたはずなんだけどな……。
 師団長の顔を窺うに、裏側はそうとは限らないらしい。
 外は見事な秋晴れだというのに、シェストレカ師団長の顔は見事に曇っていた。

「昨年の第4師団凱旋行列の先頭を覚えていますか?」
「……確か、副師団長でしたよね?記憶違いでなければ一昨年もそうだと聞いています」

 士官学校の卒業生も午前中に凱旋行列をするので、先輩の晴れ姿を見に行くついでに、騎警団の凱旋行列を見た覚えがある。そのとき、式典制服に身を包んだファルガ・イザラントがいたはずだ。
 と、曖昧なのは、士官学校生にとっては凱旋行列は先輩たちの晴れ舞台であるので、そちらに意識が集中しやすいのだ。一応士官学校卒業生と騎警団員の凱旋行列は午前と午後に分かれているが、分かれているからこそ午後からはその日で会うのが最後になる先輩たちと交流を深めるために、祭りの行事を見て回ることになる。
 そんなわけで士官学校生にとっては印象の薄い騎警団の凱旋行列だが、それでもファルガ・イザラントが第4師団の凱旋行列の先頭を務めていたのは知っているし、遠目から見たことがある。
 ―― そのときの印象は、あんまり覚えてないんだよね……。
 ということはつまり、ファルガ・イザラントはあの威圧感を抑えた、猫かぶり状態で行進していたのだろう。

「イザラント君が副師団長になって以降は、ずっと彼に任せています」

 ――えーと、確かあの人が副師団長になったのは5年前だっけ?
 ということは、5年間ずっと、ファルガ・イザラントは行列の先頭に立ってきたわけだ。
 本来、師団の凱旋行列の先頭は師団長が務めるものなのだが、シェストレカ師団長はその役を先の大戦の英雄であるファルガ・イザラントに渡したのだろう。そちらの方が騎警団及び、物騒な印象がつきまとう第4師団の印象を良くできる。
 実際、昨年見た第4師団の行列を率いるファルガ・イザラントは雄々しく、心を高揚させるものがあった、と思う。
 確か、だが。なにせあまり記憶にない。
 しかし何が問題なのだろう、とシャルロアが首を傾げると、シェストレカ師団長は遠い目をした。

「毎年毎年、大変なんです。彼はあの凱旋行列とその後の王城で開かれる祝賀会が大嫌いでしてね……。全力で嫌がる彼をあの手この手で宥めすかして、何とかイイ子で参加させているんですよ……」

 そう言うシェストレカは、乾いた笑みを漏らした。
 シャルロアは嫌な予感を覚えた。
 今年の独立記念祭は、一週間後に迫っている。

「……もしかして、説得に失敗したんですか?」
「断固拒否されました」
「命令は……」
「すれば聞いてくれますが、後が大っ変面倒なのでしたくないです」

 シェストレカ師団長は、とうとう頭を抱えた。
 過去のファルガ・イザラントが何をしたのかは、聞かない方が良さそうだ。

「……今年は、師団長が参加なさってはいかがです?」
「国民は、ファルガ・イザラントを期待してるんですよ。祝賀会はともかく、凱旋行列は彼じゃないと務まりません」
「その……お疲れ様です」
「同情していただけるなら、彼と結婚してください」
「同情はしますが、自分の人生を差し出せるわけないでしょう……!」
「ですよねぇ……」

 ふー、と師団長はため息をついて。
 不敵に笑んだ顔を上げた。

「では、取引しましょうか。メル君」
「へっ?」

 突然のことで、何を言われたのかシャルロアは理解できなかった。
 ――とりひき?

「凱旋行列と祝賀会に参加するようイザラント君を説得できたら、祭りの当日、休暇をあげましょう」

 唖然とするシャルロアを捉えた緑の瞳が、剣呑に底光りする。

「知っていますよ?君のお友達であるローレンノ・ユーグスエ、無事に卒業できたみたいですね?おめでとう。第6師団所属第2師団事務員として入団できるなんて、良い友人を得ましたね。そんな友人の晴れ姿、さぞ見たいことでしょう?」

 ざわ、と鳥肌が立つ。
 確かにシャルロアの友人であるローレンノは、無事卒業試験に合格できたと手紙を寄越してくれた。つまりそれは彼女が凱旋行列に参加できる、ということであるのだが、シャルロアがその晴れ姿を見るのは難しかった。仕事が入っていたからだ。
 祭りだからと言って、騎警団の全てが機能停止してしまうのは論外だ。故に運がいい者は休暇があるのだが、通常通り勤務がある者はある。シャルロアは勤務がある方だった。
 それに関して不満はない。これは必要なことだとわかっているからだ。
 だから、ローレンノには「凱旋行列は見に行けない」と返事をした。
 でも、残念には思っていた。シャルロアは士官学校を卒業したという扱いではなく引き抜かれた扱いだからか、凱旋行列には呼ばれていない。だからこそ友人の晴れ姿はできるなら見に行きたいと思っていた。
 思っていただけだ。誰にもこのことは言ってない。
 なのに。
 ――なんで、この人、それを知ってるんだ……!
 ひく、と思わず頬が引きつった。
 対して、シェストレカ師団長はにこりと微笑む。

「見に行きたいでしょう?」
「えっ、その」
「見に行きたくないわけがないですよねぇ。ローレンノ・ユーグスエは一等仲が良かった同級生でしょう?」
「うっ」
「なに、説得に失敗しても君の今後が不利になることなんてありません。私だって無理を承知で頼んでいるのです。彼が頷いてくれれば儲けもの程度ですよ。成功すれば休暇が得られるんですよ?お得じゃないですか」
「うぐぐ……っ」

 この時点で、シャルロアは自身が交渉に負けていることを察した。
 交渉とは本来、自分が本当に欲しいものをいかに悟られずに相手からもぎ取れるかが重要なのだ。
 なのに現状、シャルロアは休みが欲しいことを知られ、その理由まで明らかにされている。
 そもそもからして、不意打ちで交渉を開始され、シェストレカ師団長に会話の主導権を握られたことも不利と言えよう。
 ――か、勝てない……っ!
 ここから巻き返せるだけの交渉力を、シャルロアは持っていない。
 一瞬で力量差を見せつけられたシャルロアは、がっくりと肩を落として恨めしげにシェストレカ師団長を見つめた。
 正直なところ、祭り当日の休暇は、欲しい。

「……説得って言ったって、あの副師団長に何を言えと言うんです?先に言っておきますが、結婚うんぬんは天地がひっくりかえっても言いませんからね」
「ふふふ。恋する男を煽るなんて、容易いことですよ」

 師団長はそう言って笑った。
 目は全然、笑っていなかった。





********





 シェストレカ師団長と会話した数十分後。
 師団長が言ったとおり、ファルガ・イザラントは任務を終えて勤務室に帰還した。相変わらず威圧感を撒き散らしながら入室するので、床で寝ていた師団員がびくっと反応して起き上がり、威圧感の元が副師団長であることを確認してから夢の世界に旅立った。起きたなら仮眠室に移動すればいいのに、とシャルロアは毎回思うが、もう何も言わない。
 師団長の執務机の前に立った彼は、褐色の首筋を撫でながらシェストレカ師団長に報告書を提出した。

「狩ってきたぜ」
「御苦労さまです」
「次の任務は?」
「ちょっと昼食でも食べて来てください。急ぐ書類があるので」

 どんな任務を与えられていたのか知らないが、帰って来て早々次の仕事を寄こせと言うファルガ・イザラントは、まごうことなく仕事中毒者であった。確か彼の姿を見たのは記憶が正しければ一週間前だった気がするのだが、いつ休んでいるのか相変わらず謎である。
 そんな彼を軽くあしらい、シェストレカ師団長は提出された報告書を脇に置いて、手元の書類に視線を落とし、作業を再開する。
 その様子を、ファルガ・イザラントは少々訝しげに眺めていた。
 束の間小首を傾げ、ぐるりと宙を見渡していたが、何かを考えるのは止めにしたらしい。彼は踵を返して寝ている師団員をまたぎ、シャルロアの元にやってきた。

「飯に行くぞ」
「……え。私に言ってます?」
「この勤務室で起きてる人間はお前と俺と師団長だけだろうが。そんで俺が誰に顔向けてると思ってんだ」
「でも私、まだ仕事が」
「メル君、お昼休憩に行ってきなさい」

 断ろうとした途端、シェストレカ師団長からシャルロアに、強い視線が送られる。
 ファルガ・イザラントの背後から押し付けられるそれは、語っていた。
 行け、と。
 ――上手くいくと思えないんだけど……。
 正直、師団長が提示した作戦はシャルロアとしては成功確率が低いように思われた。なので実行したくないのだが、ここまでお膳立てされて行動に移さなかったとなれば、後のことが恐い。
 それでもなお戸惑っていると、ファルガ・イザラントはさっさと勤務記録機の前に移動して、自分とシャルロアの分を押していた。やりたい放題である。
 ――やるしかないのか……。
 仕方なく、シャルロアは腹をくくった。

「ロア」

 戸口から呼ばれ、シャルロアは重い腰を上げてファルガ・イザラントの後をついて行った。
 廊下の窓から見える空は、抜けるような青空で穏やかだ。このまま良い天気が続くのであれば、祭りは盛り上がることだろう。

「今日、師団長に変わったことはなかったか?」

 前を歩くファルガ・イザラントの問いかけに、シャルロアは危うく肩を跳ねさせるところだった。
 ――この人、相変わらず鋭いな!
 変わったことならあるに決まっている。師団長は副師団長が凱旋行列に参加しそうにないことに思い悩み、シャルロアに無謀な任務を持ちかけてきた。あの明晰な師団長らしくない賭けである。
 しかしそれを、あろうことか原因である本人に漏らすわけにいかない。
 シャルロアはきっぱりと答えた。

「いえ、ないです。何か気になることが?」
「いや。飯はどこに行く?昼飯には遅ぇ時間だから、食堂でいいか?」
「構いません」

 ――個室でなければどこでも。
 地味に、以前食事に誘われたときに高級食事店の個室に連れて行かれそうになったことが精神的打撃となっているシャルロアだった。
 ――あのときの副師団長は恐かった。絶対に個室は避けよう。
 改めて誓うシャルロアを連れて、ファルガ・イザラントは昼食をとる師団員がまばらな食堂に入った。混雑時に合わせて広く設けられている座席は、この時間であればどこでも座りたい場所に座ることができる。
 食事が乗った盆を受け取った2人は、食堂の真ん中辺りの席に向かい合って座った。
 ―― そういえば、この人とこうやって顔をつき合わせるのは久しぶりな気がする。
 一週間前は、どこかに出かけていく横顔を見ただけだった。面と向かって話をするのは、魔法火傷治療薬の事件以来かもしれない。
 ふと、間近で見た金色の虹彩を思い出す。

「そういや」
「はいっ」

 突然話しかけられたせいで、シャルロアの声は少々裏返ってしまった。
 さしものファルガ・イザラントも、シャルロアが若干の動揺をしているのはわかったらしいが、その原因まではわからなかったようだ。その顔に訝しげな色を浮かべる。

「……変なもんでも食ったのか?」

 ――変な声が出たのは貴方の行いのせいだから!
 と、訴えたいシャルロアだったが、さすがにそれを口に出すのは堪えた。だいたい言ったら言ったで、この男はにんまりとほくそ笑みそうな気がする。

「いえ、お気になさらず。何でしょう?」

 ごほん、と咳払いをして話を促すと、ファルガ・イザラントは目を眇めながらも口を開いた。

「……そろそろ士官学校の卒業式だったな、と思い出した」
「あぁ、そうですね」
「お前のダチは何人合格したって?」
「1人です」

 シャルロアと親交があった中で合格できたのは、ローレンノだけだった。総務部門といえど、今年の卒業試験はかなり難しかったらしく、そもそも合格者が少ない。おそらく士官学校創設以来、最低の合格者数だろう。
 しかしそれも仕方ないことだった。シャルロアも含め、今の士官学校生には足りないものが多すぎる。
 ――もしかすると、エッテル基地の腐り具合も士官学校が関係してたのかな。
 士官学校は上級士官を育成する場所だ。そこで腐りきった授業を受けた人間が基地で地位を持てば、全体が腐るに決まっている。
 その後聞く限り、エッテル領地では降格者やクビになった者が続出したらしい。どこかの部隊は部隊長がすげ替わったと聞く。
 副師団長やアートレート分隊長が人事にどんな報告をしたのか、恐ろしくて考えるのも嫌になるほどの結果だった。
 一方、その恐ろしい結果を作り出したことに間違いがないであろうファルガ・イザラントは、シャルロアの答えを聞いて、はっと鼻で笑った。

「1人か。交流がある奴から合格者が出ただけでも上等だな」
「そうですね……合格者、8人だけだそうですから……」

 合格者は総務部門から6人、消火部門から1人、刑事部門から1人。騎士部門からは合格者が出なかったらしい。
 ローレンノの手紙によれば、事態発覚の原因となった、第1部隊・師団に生徒を送り込む騎士部門では、例年に比べてかなり厳しい試験となったようだ。故に合格者ゼロ、となったのだろう。
 正直言って、シャルロアはあのまま学校に残っていたら合格できていたか危うかった、と思う。卑下でもなんでもなく、シャルロアはそこそこ勉強はできるが、天才ではない。魔女の異能による副産物により、人より勉強する時間が取れているから士官学校に入れただけだ。卒業間際になって、今まで覚えてきたものでは足りないとされて知識を詰め込まれるとなれば、間違いなく許容範囲を超える。
 第4師団長付きとなって、胃が痛い思いをすることは多々あるが、ファルガ・イザラントの勧誘に頷いたのは英断だった。
 その思いを後押しするように、ファルガ・イザラントはパンを食べながら合格者についての補足をする。

「8人っつっても、副分隊長として入団できるのは消火部門の1人だけだぜ」
「えっ、そうなんですか?」
「後は条件付きの卒業だ。お前と同じように、1年間一等兵を務めてから副分隊長に上がることになる」

 士官学校は精鋭を育てるための学校だ。故に、本来であれば士官学校を卒業したというだけで副分隊長の地位が約束されているのだが、さすがに色々と足りていない人間にそれだけの地位を与えるほど騎警団は優しくなかった。
 ――知識で補えない部分を実地で積め、か。
 そんな条件が付いたのは、大方そんな理由からだろう。
 と、そこで。
 シャルロアは、はた、と思い出した。
 ―― そういえば、この人、寮の部屋で言ってたよね?
 同級生が卒業するまでに、婚姻届けに名前を書かせてやると。
 士官学校の卒業式は独立記念祭の日だ。あと1週間しかない。
 つまり、ファルガ・イザラントは先の言葉を有言実行するつもりがあるのならば、あと1週間以内でシャルロアに婚姻届けの名前欄を埋めさせなければならない、のである。
 ――あれ?これ、チャンスじゃない?
 ファルガ・イザラントはまた、長い任務に就くことだろう。その間シャルロアに名前を書かせようとすることは物理的に不可能なことだ。何せそばにいないのだから。
 ――この1週間乗り切れば、私、勝てるんじゃ?
 同級生が卒業するまでに、と目の前の男は言った。おそらくそれは、ファルガ・イザラントの中で決めていた期間なのだろう。
 その時期までに口説き落とせなかったら、諦めるという。
 団に身を置く者は多かれ少なかれ、執着心を捨てなければならない場面が来る。特に上級士官は勝ちにこだわった結果、味方の戦力を大幅に殺ぐような無様な負け方は許されないので、望むものを得るように戦略を練るのも大事だが、同様に損失を最小限に抑える戦略を練ることを求められる。ファルガ・イザラントは、確実にそれを体験しているはずだ。
 だから、彼は手に入らないものにいつまでも執着しない。しないように、身に刻まれている。

 この駆け引きには、期限がある。

 5年も10年も耐えなければならないわけではない、という事実は、シャルロアの胸を安堵で満たした。
 けれど。
 表層から遠い心の奥底で、痛みを伴った息苦しさを――わずかに覚えた。

「ロア。お前も卒業式に参加したかったら参加できるぜ」
「――は、えっ?」

 ファルガ・イザラントの意外な言葉に、シャルロアはハッと我に返って、首を傾げた。

「お前の入団形式は特殊だが、一応は『士官学校卒業相当』ってなってんだよ。俺は士官学校卒じゃねぇからわかんねぇが、士官学校生にとって卒業式っつうのは憧れなんだろ?出れるだけの資格は持ってるが、どうする?」

 ――どうだろう。
 シャルロアの視線が宙を彷徨う。
 これが1年後の自分であれば、卒業式に出たいと言えたかもしれない。この第4師団での勤務を1年後も続けられたならば、大きな自信となっているだろうから。
 けれど今は、まだ実力が足りない―― それこそ、士官学校を卒業するのは難しかったかもしれない、と思っているくらいだ。いくらその資格があると言われても、胸を張って式に出れるかと問われると、答えに詰まる。
 加えて、実はシャルロアは卒業式後の凱旋行列が非常に恐ろしいのだ。
 例年どおりの合格者数ならば、凱旋行列に参加していても問題はない。木を隠すなら森の中。大勢に紛れてしまえば、シャルロアの姿は目立たない――ひいては、もしものときに逃亡を余儀なくされたとしても、国民がシャルロアの顔を覚えている確率が少なくなるのである。
 だが今年の合格者は8人。シャルロアが加わったとしても9人。顔を覚えられる確率が高い。
 光景が目に浮かぶようだ。
 あれ、この手配書の子あれじゃない?ほら、あの、士官学校卒業生が少なかった年の。ああ、あの行列にいた。あの子か。
 ――ひぃぃ、無理無理!
 結果、シャルロアはファルガ・イザラントの問いかけに首を横に振った。

「いえ、結構です。あのまま士官学校に残っていたとして、試験に合格できたかどうかは非常に怪しいと思うので。そう思う以上は参加しないほうがいいと思います」
「んな、真面目に考えねぇでもいいだろ。俺と師団長が推薦人だぜ?」
「それは光栄ですが、えー……やっぱりいいです」

 士官学校生が憧れる卒業式に出たくない理由を深く追求されても困るので、シャルロアは全力で話を逸らすことにした。

「それよりも、士官学校の卒業式が近いってことは独立記念祭も近いってことなんですよね。今年も副師団長は凱旋行列に参加されるんですか?」

 答えなんて師団長から聞いているのでわかりきったことだったが、シャルロアがあえて聞けば、ファルガ・イザラントはあからさまにしかめ面を見せた。正直、この男と話すことに慣れていなかったら、逆鱗に触れてしまったのではないかと戦々恐々とするはめになりそうな表情だ。
 しかしシャルロアは彼が怒っているのではないとわかっているので、動揺しなかった。あの表情は単純に、嫌なことを思い出しただけだ。怒っているならもっと威圧的な態度になる。

「絶対ぇ出ねぇ。ありゃあな、見るもんで参加するもんじゃねぇよ。クソ面倒臭ぇ」
「え、あの、でも、精鋭だけが出られる舞台ですよね……?」
「あんなもん、派手好きの『虎』だけ出てりゃいいんだよ。あいつら、国民に笑顔を向けんの得意だろうが。騎士道っつうもんを発揮してあいつらだけやってりゃいいんだよ。現に『猫』は免除じゃねぇか、クソ」

 ものすごい拒否だ。あまりの剣幕に、シャルロアは若干心が折れた。
 ――この人に参加してもらうの、もう無理なんじゃない?
 確かに凱旋行列は、王都だろうが地方だろうが、第5師団・部隊の参加は免除――というより禁止されている。彼らの任務特性上、公の場所に顔を晒すのは控えるべきであるからだ。
 それを憐れに思うのが普通の騎警団員であるのだが、目の前の男は普通じゃなかった。第5が凱旋行列に参加しない、ということに明らかに恨み節である。
 遠い目をするシャルロアに、ファルガ・イザラントはよほど不満が溜まっていたのか、まだ言葉を続ける。

「堅っ苦しい式典制服着なきゃなんねぇわ、マントも羽織らねぇとなんねぇわ、実用性に欠けるかっるい飾り剣さげねぇとなんねぇわ、勲章もどれをつけていかなきゃなんねぇとか細々ちくちく指導されんのに結局クッソ邪魔で重いメダルをいくつも飾るはめになるわ、その後の祝賀会にも出ないといけねぇわ、おかげで一日中猫被んねぇとなんねぇわ、ろくなことがねぇ。式典服もマントも剣も、敵に襲われたときに邪魔にしかなんねぇだろうが。なんで実用制服と剣じゃダメなんだよ。勲章メダルだって格式が高ぇメダル一個つけりゃ十分だろ。祝賀会も訳わかんねぇ貴族語の解読しねぇとなんねぇし、それで解読できた結果がうちの娘をぜひ嫁にだぜ?しかも貴族相手には我儘で散財しすぎるってんで敬遠された娘を推してきやがって。どつきたくなった俺は悪くねぇ。なのに師団長には猫被ってろって命令されるし、本当なんなんだあの祭りは。今まで我慢してやってきたが、今年は絶対ぇ出ねぇ」

 思った以上に大変だった。
 シャルロアは思う。自分なら絶対に出たくない。出たくないと考える副師団長は悪くない。
 説得を頼まれた立場だが、逆に説得されてしまったシャルロアである。
 ――あぁ、でも、説得すらしなかったら後で師団長に何を言われるか!
 予想がつかないだけに、恐ろしい。
 引いても地獄、進んでも地獄。四面楚歌とはこういう状況を指すのではないだろうか。
 ――師団長が言った言葉を繰り返す。それだけ。それだけだから!がんばれ私!
 折れかけた心を奮い立たせて、シャルロアは恐々と、故にファルガ・イザラントの方を決して見ずに言った。

「そうですか。式典制服を着た副師団長が馬に乗ってるところ見たかったですけど、残念ですね」

 ――こんなんで、本当に副師団長を説得できるんだろうか。
 シェストレカ師団長はこれで絶対に大丈夫と言っていたけれど、シャルロアにはおよそ正気の沙汰で考えた策とは到底思えない。かなりのやけっぱち感がする。
 そしてこのやけっぱちに付き合わなければならない自分の、哀れなことと言ったら。
 シャルロアはため息を吐きそうになって――気づいた。
 ――ん?
 シャルロアとファルガ・イザラントの間に、沈黙が落ちていることに。
 ――え、何、この沈黙。重い。すっごい重い……!
 耐えきれず、シャルロアは視線をファルガ・イザラントに向けた。
 彼は、パンを銜えてこちらを凝視していた。

「……あ、あの?」

 控えめに呼びかけると、突然時が動き出したように、ファルガ・イザラントはパンの咀嚼を始めた。しかしその金色の瞳はシャルロアを捉えたままである。率直に言って、恐い。
 パンを飲み込んだファルガ・イザラントが、口を開いた。

「お前、俺の式典制服姿、見たいのか?」

 ――いや、言うほど興味はないんです。
 これは師団長がそう言えと言ったから言っただけであって。
 しかし正直に告げるのは、マズいような気がしたので、シャルロアは視線を彷徨わせながら、非常にゆっくり頷いた。

「ええっと……いや、強くは望みませんけど……ちょっとの好奇心と申しますか……部隊長以上はマントを羽織って凱旋行列するじゃないですか……あれ……あの……かっこいいなぁ、なんて思ったり……?」
「……かっこいい、なぁ?」

 念を押すような口調に、シャルロアは自分の嘘がバレているんじゃないだろうかという不安を覚えつつも、後には引けないので嘘を重ねた。

「まぁその、マントなんて非日常ですから?」
「その非日常的なものに身を包んだ男がかっこいいと、てめぇは言うわけだ?」
「ひ、非日常なので致し方ないと思います!ほら、お、女の子って舞踏会の演劇とか小説が好きじゃないですか。あれも平民には非日常的で華やかに見えるから素晴らしく見えるっていうわけですし。私が非日常的なものを好むのは乙女として当然の感情と申しましょうか」

 ――ヤバい、自分でも何を言ってるかわかんない。
 なんだこの、ふわふわした言い訳めいたものは。もっと言いようがあっただろう。自分の言語能力を叱咤するシャルロアの前で、ファルガ・イザラントはその目を彼女に合わせたまま黙々と食事を進めている。
 その視線が痛すぎる。
 ――あぁぁぁ、これ絶対『こいつ馬鹿じゃねぇの』って思われてる!
 否定したいが、しゃべればしゃべるだけ、無様な姿を晒すことになりそうだ。そう判断したシャルロアは、沈黙は金とばかりに食事を進めることに集中した。
 現実逃避、とも言う。
 結果、顔を突き合わせているのに無言で食事を終え、無言で勤務室に帰ることになった。
 ――師団長、私にはやっぱり無理でしたよ。
 すっかり心が折られて、シャルロアはげんなりとした様子でファルガ・イザラントの後に続いて勤務室に入った。

「おや。昼食休憩はもういいんですか?」

 仕事をしていた師団長が顔を上げて、シャルロアたちを見た。
 その視線に探るものを感じ、シャルロアはファルガ・イザラントの背後で力なく首を横に振った。

「いい。任務をくれ」

 やれやれ、とシェストレカ師団長はため息をついて、ファルガ・イザラントに与える事件の資料を差し出す。机に歩み寄った彼はそれを受け取って、資料を一瞥して返した。

「行ってくる」

 踵を返したファルガ・イザラントは戸口から出ていく。
 前に。
 振り向いて、何気なく言い放った。

「あと、今年の独立記念祭の凱旋行列と祝賀会は出る」

 ――え。
 呆然とファルガ・イザラントを見つめると、『雷鳴獅子』は獲物を狩る前の獣のように細めた目をシャルロアに向けて、笑った。

「ちゃんと惚れろよ?」

 言い置いて、ファルガ・イザラントは勤務記録機を押し、今度こそ部屋から出て行った。
 ――……え。
 しばしの沈黙と困惑がその場を支配したが、シェストレカ師団長はさすがの精神力で持ち直した。すぐさまシャルロアに微笑みを向ける。実に晴れ晴れとした表情だった。

「よくやりました、メル君」

 ――えぇぇぇ……副師団長のツボってよくわからん。
 我に返ったシャルロアは、盛大に戸惑った。食事中はずっと『お前馬鹿じゃねぇの』的な冷たい視線を送ってきていたのに、どの時点で凱旋行列に参加する気になったのだろうか。まったくわからない。
 ――式典制服姿を見たい、って言ったから?けど別に、うれしそうには見えなかったんだけど。
 ファルガ・イザラントに関しては理解が深まるどころか、謎が増していく気がするのは何故なのだろう。
 そしてシェストレカ師団長の誉め言葉はうれしいし、休暇が確定したのもうれしいことだが、頭の片隅ではあの副師団長を操りきってしまった師団長の手腕に空恐ろしいものを感じる。
 ――やっぱり、師団長に弱みを握られるのは絶対に避けよう……。
 ご機嫌な様子のシェストレカ師団長を、シャルロアは焦点の合わぬ目で眺めた。












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