※残酷な表現有り。ご注意ください。


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 アレベルはジェレン王国に近い町村の中では一番大きい町だ。故に医療設備が近辺では群を抜いて整っており、重病・重傷患者は大抵アレベルの町立病院に回される。アレベルから遠いところで命の危機に瀕した場合、病院に到着するまで持ちこたえられるかどうかは、本人の持つ気力と運だけがその者の生死を左右する。
 病院に担ぎ込まれた少年は、強運の持ち主だった。
 国境に近い村の片隅で倒れているところを発見され、手術まで気力で命を繋いだ。
 2時間に及ぶ手術で、今は眠っているという。

「ですので、今は面会を許可できません」

 医師にぴしゃりと言われ、シャルロアたちはほとほと困り果てた。
 夜に浸された病院の廊下はしんと静まり、光源はところどころに設置された壁の灯りだけ。すでに外来患者の姿はなく、看護師たちは入院患者の世話が主となっている時間帯だ。1階の外来専用玄関には人気がなく、日中であれば清潔感を強調する白い床と壁は夜の闇で灰色に変わり、不気味な印象が強い。
 しかしウルグとファルガ・イザラントは夜の病院に慣れているのか、場の雰囲気に呑まれているような様子はなかった。

「もう一度確認しておくが、部隊員には確かに『今すぐ』ではなく『患者が回復したらすぐに』事情を聴きに来るよう伝えたんだな?」
「開腹手術をした患者の事情をすぐに聴きに来いなんて言う医者がいれば、目の前に連れて来てもらいたいものです」
「確かにそうだな」

 ファルガ・イザラントは生温く笑った。対一般人用の笑みである。
 つまり現在どういうことであるかというと、シャルロアたちは伝令間違いにより、手術直後の患者を訪ねて来てしまったことになっている。
 簡単に言えば無駄足だ。未だ眠る少年に事情が聴けるわけがない。

「それじゃ、執刀医である貴方にちょっとお話を聞かせてもらっていいですかね?」

 ウルグが話しかけると、中年の医師は目の険をわずかに緩めて頷いた。
 それを好機と見て、シャルロアは医師に玄関ロビーに置かれた長椅子を勧めた。長時間の手術で疲れているのは間違いない。一度座らせてしまえば、足の疲労を感じるはずだ。その疲労が緩やかになるまでは、医師も話に付き合ってくれるだろう。
 思惑通り、医師は崩れ落ちるようにして椅子に座った。

「少年が運び込まれた経緯なんかはわかります?」

 ウルグが問うと、医師は顎を撫でながら答えた。

「ダルア村の片隅で、腹部を抑えて倒れていたそうです。そのときはどうだったか知らないが、運び込まれた時は汗が尋常じゃなく、顔色は白かった。意識が朦朧としていたが、『売られて、食べさせられた』と繰り返し呟いていたので検査すると胃に異物があるのが確認されたので、手術となりました。同時に事件性があると判断して騎警団に連絡を」
「異物って何でした?」
「あぁ、騎警団の人が来たらすぐに見せられるよう、ポケットに入れています」

 医師は白衣のポケットから小袋を取り出し、そこから――白い欠片を取りだした。
 大きさはだいたい、女性の指先から第二関節くらいまでの大きさだろうか。表面はつるつるしているが、一部でこぼこしている。
 色は白い、が純白というわけではなく、どこか青みがあった。
 欠片、なのでそれが元々どういう形でどういったものなのか、とんとわからない。
 ――んー?なんか、どっかで見たような……。
 ウルグもわからなかったようで、小首を傾げていた。

「なんですかね、それ」
「陶器だな」

 ウルグの後ろでやりとりを眺めていたファルガ・イザラントが断定した。
 陶器、と言われてみれば、確かにそれは陶器の欠片のようだった。
 医師もこくりと頷く。

「そう、陶器です」

 陶器の欠片。
 それが、出てきた。
 少年の胃から。
 ぞっとして、シャルロアは身を強張らせた。

「胃にはこれと同じくらいの大きさの陶器の欠片がいくつもありました。欠片の角が胃を傷つけたり、吐いたときに喉を傷つけたりしたようです」

 医師の表情もまた、険しかった。『売られた』と言う少年の胃から陶器の欠片がいくつも見つかったのだから、どう考えてもただ事ではない。
 ――陶器。陶器が、胃から。陶器。
 瞬間、シャルロアに衝撃が走った。
 ――あれは。あの陶器は。
 ウルグが医師に詳しく説明を求めている間に、シャルロアはファルガ・イザラントの隣に立ち、小さく呼びかけた。

「副師団長」

 彼は金色の瞳でちら、とシャルロアを見下ろしてから、わずかにシャルロア側に体重を傾けた。話を聞く、という意思表示だとシャルロアは受け取った。

「あの陶器、パッフェル製薬の魔法火傷治療薬を入れる陶器瓶に見えませんか」
「何故そう思う」
「あのでこぼこした部分、細い葉の紋章に見えませんか。あれが薬草のディダラッタを模したものなら、パッフェル製薬の印です」

 それ以上は言わなかったが、シャルロアには確信に近いものがあった。陶器の質感、色合い、一部見える紋章らしき印、どれを取ってもパッフェル会長の記憶を見たときにあった陶器瓶にそっくりだ。彼から秘書であるカッツ・キューレイの話を聞く際、シャルロアは秘書の仕事ぶりやパッフェル会長の仕事について軽く雑談を交わした。そのときに魔法火傷治療薬の映像が見えたのだ。
 あの陶器の欠片を繋ぎ合わせていけば、絶対にパッフェル製薬の瓶になる。
 魔法薬を盗んだ男の話によれば、薬は人に売り渡してから行方を知らないと言う。その後どこかで魔法薬が流通した形跡もない。薬がどこに消えたのか、誰もわからずにいるのだ。
 ――魔法薬が人間の胃の中に消えていたなら、流通するはずがない。
 けれど今度は別の疑問が生ずる。
 何故、人身売買された子供に薬を飲ませたのか。
 シャルロアがわからぬ問いにファルガ・イザラントはすぐに答えを出したようで、医師に話しかけた。

「その陶器の欠片は、盗難に遭った魔法火傷治療薬の瓶である可能性が高い。盗んだ男の周辺に人身売買した疑いがある商会もあるので、その少年は魔法薬の密輸に使われた関係者かもしれない。人身売買された子供の顔も一部判明しているので、少年が該当するか確かめさせてくれ」
「密輸?」
「南東の国境線界隈では、輸出禁止品を国内から持ちだすために人間の胃や腸に品物を詰め込んで密輸する事例が増えている」

 ――魔法薬を密輸するために、人身売買された子に瓶ごと飲ませた、ってこと?
 あまりに非道な行いに、シャルロアは呆然とした。
 医師もまた呆然とし、しかし馬鹿な、と首を横に振る。

「胃や腸に隠したところで、取り出すのは……」
「そういった密輸に関わるのは、経済的に破たんした人間や身寄りのない人間だ。密輸品を取り出すときに殺しても構わない人間を使う。胃の中から魔法薬が入った袋なんかが出て来なかったか?」
「いや……摘出されたのは陶器の欠片だけです」

 医師の答えは意外だったのかもしれない。ファルガ・イザラントは一瞬金の瞳を伏せたが、すぐに医師に視線を戻した。

「とにかく、その少年の顔を確認させてくれ」
「しかし事情を聴くことはできませんよ」
「確認だけだ。起こしたりしない」

 『雷鳴獅子』の威圧感が、少し漏れたのかもしれない。
 医師は少々青褪めてため息をついてから、立ちあがった。





********





 シャルロアたちは魔法で全身を消毒されて、同じく魔法で清潔を保たれた集中治療室に通された。
 白いベッドに横たわる少年の顔色は、シーツに負けないほど白い。シャルロアにはよくわからない魔法陣機器に繋がれ、点滴を受けている姿は、医療技術でなんとかこの世に留めているという印象を強く受けた。
 年の頃は12,3歳ほどだろう。銀の髪は長く手入れされていないせいか、白髪のように見えた。
 脳裏に弟の姿がよぎり、弟と目の前の彼を比べて、あまりの痛ましさに胸が軋む。
 肌は渇き、肉はやせ衰え、手術着から覗く手には傷がたくさんある。どれも弟にはないものだ。彼と同じくらいの年齢であるはずの、弟にはない。
 ここにいるのがシャルロアの弟であれば、激昂を抑えきれなかったに違いない。こんなふうにした人間を呪い殺してやると思っただろう。それほどに少年の姿は痛ましいものだった。

「メル。見覚えは?」

 ファルガ・イザラントの問いかけに、シャルロアは軽く息を吐いてから答えた。

「あります」

 少年は、アヴェール商会の寮にて、魔法薬を盗んだ男が見かけた人身売買されたらしい子供だった。それは記憶を見て確認済みだ。間違いない。

「いつ意識が戻るか、予測はつくか?」
「神に聞かなければわかりません」

 医師の答えにファルガ・イザラントは噛みつかなかった。
 思案顔で目を伏せた彼の横で、シャルロアはじっと少年の顔を見つめた。まだ幼い彼が、どうか命を繋ぎとめますようにと祈る思いで見ていると、少年の眉がぴくりと動いて、まぶたも動く。
 一瞬起きたのか、と驚いたが、少年が目を覚ます様子はなかった。
 だが、忙しなくまぶたは痙攣するように動き続けていた。否、まぶたではなく眼球が動いている。
 ――眠りが浅い?
 眠りは深いときと浅いときがあると言う。そして浅いときは、脳が動いているのだとも。
 ――今、異能を使えばどうなるんだろう……。
 眠る人間に魔女の異能を使ったことはなかった。これまで、そんなことをしなければいけない場面に遭遇したことがないからだ。
 けれど今は、異能を使うべき状況だ。
 どんな小さなことでも、情報が欲しい。
 何故、彼は魔法薬を呑まなければいけなかったのか。
 惨いことを強いたのは誰なのか。
 知りたいと思った瞬間、桃色の翅の蝶が現れて少年の肩にとまった。

 不鮮明な映像が流れ込んできた。

 ボロボロの家。玄関で男女が男から小袋を受け取っている。ぶつん、と映像が切れて、荷物のように馬車に乗せられる光景が見えた。またぶつん、と映像が切れて、痩せた子供が集まった小部屋が見えた。部屋は――寮の一室のように感じる。その一角で、男が瓶を洗っていた。パッフェル製薬の印が入った瓶。丁寧に水分を拭き取っていた男が別の男に瓶を渡す。渡された男は瓶を叩き割った。それが繰り返されている。場面が転換した。隣に座っていた少年の口に瓶の破片が押し込まれている。映像が途切れ、また同じ場面が繰り返された。瓶の破片が口内に押しこまれて、口から血が出ている。画面が途切れる。暗い森を疾走する映像。時折転び、時折胃液と破片を吐きながら、少年は森を駆けていた。
 映像が乱れて、また不鮮明な記憶が流れ込む。関門を前に、後ずさり、出国者の列から逃げ出す。何度も後ろを見ては、走り、確認しては、走る。
 破片を呑まされる場面が、また流れ込んできた。

「メル、どうした」

 ハッとして蝶を消して周りを見ると、ファルガ・イザラントや医師たちは集中治療室から出て行こうとしているところだった。シャルロアだけが少年を前にして突っ立っている状態で、動かない彼女を医師たちは怪訝に思ったらしい。
 記憶を読むことに集中していたシャルロアは、自身の失態を苦々しく思った。

「申し訳ありません。その、あまりにも痛々しく……」

 女性らしい感傷を告げれば、医師とウルグは気の毒そうな表情を見せた。一般的に、若い女性が子供のこのような有り様を見るのは辛いだろう、と同情してくれたに違いない。
 ただ、ファルガ・イザラントだけは金色の瞳でシャルロアを観察していた。
 その視線に気付かなかったフリをして、シャルロアが動き出すと、彼らも集中治療室を後にした。
 ――寝ている人間相手でも、記憶を読むことはできるのか……。
 彼が起きたら、いつから事情を聴くことができるかどうかを話し合うするウルグたちの後をついて行きながら、シャルロアは先程のことについて熟考する。
 推測するしかないが、おそらく今回は稀な事例だ。シャルロアの記憶を読む異能は、普通は読みたい記憶のことを考えさせておかないと鮮明には読みとれない。様々な物語が混じり合った紙芝居を見ているのと同じ感覚になる。
 だが今回の少年は――夢に見るほどの辛い体験をした。
 体感してないシャルロアでさえ、胸糞悪くなる記憶。
 だから彼は悪夢を見た。実際に彼が見ている夢とは違うかもしれないが、あの見えた記憶は夢の元となる記憶であるに違いない。それを考えて見えた記憶を整理すると、少年は両親に売られてアヴェール商会の寮に連れて行かれ、そこで魔法薬瓶の破片を飲まされた。
 そう、瓶の破片だ。
 男たちは魔法薬は捨てていた。それに価値はないように。
 男たちの顔には見覚えがあった。魔法薬を盗んだ男が関係者として証言した顔。アヴェール商会の人間である。その中には薬を売ったとする人間も混じっていた。
 ――薬を盗んだ男は、売った相手がアヴェール商会と関係があることを知らなかったのか?
 もしもそうだとするなら、魔法薬を盗んだ男はトカゲのしっぽに位置する人間なのだろう。いざとなれば罪を被せて騎警団に差し出す。そんな意図が臭う。
 ――にしても変な話。
 ジェレン王国の、下っ端とは言え盗賊団幹部を切り捨ててまで欲しがった輸出禁止品となっている魔法薬。
 なのに彼らが呑ませたかったのは価値ある薬ではなく、瓶であるように感じた。
 そうして、瓶を呑ませた少年たちを国境に送る。多くの者はジェレン王国への入国を強要された、のだろう。少年は入国を待つ列にいるうちに恐ろしさが勝ったのか、逃げ出した。森の中を彷徨い、ほうぼうの体で村を見つけて、倒れて―― その後はここに運ばれた。
 見えなかった記憶を想像で補足すると、おそらくはそういうことなのだろうと考えられる。
 気になるのは、やはり瓶だ。
 男たちは魔法薬ではなく、瓶が重要であるようだった。
 魔法薬ではなく、瓶を密輸したがっていた。
 ――何故?
 その理由はわからない。けれどとりあえず、医師が『魔法薬は胃から見つからなかった』という理由に関しては説明がついた。魔法薬は捨てられていたのだから、見つからなかったのだ。

「じゃあ、胃から摘出された破片は鑑識に回させてくださいね」

 ウルグの言葉で、シャルロアは思考を止めた。
 気がつくといつのまにか、玄関にまで戻って来ていた。

「わかりました」
「その破片、今はどこに保管してます?」
「保管室に」
「ウルグ、行け」
「了解です。あ、いいですよ、場所は看護師さんに聞きますんで!」

 ウルグはにこっと笑って、駆け足で病院の奥へと消えて行った。シャルロアはそれを見送りながら、決断すべきことが足元からじわじわと上って来ているのを感じていた。
 ――副師団長に、情報を与えるべきか?
 魔女として知り得た情報を、『雷鳴獅子』に与える危うさは身に染みてわかっている。すでに彼はシャルロアに何かを感じていて、疑っている。その『何か』に魔女と言う単語が当てはまっているのかは知らない。
 やめておきなよ、とかさついた声が耳奥で響く。
 保身を考えるなら、やめておくべきだ。これ以上ファルガ・イザラントの注目を浴びるのはマズイ。知らせたい情報は、いずれは鑑識でわかることなのではないだろうか。
 わかっている、けれど。
 少年の痩せた姿が、陰惨な記憶が、脳に焼きついて離れない。
 ――弱者を見捨てるのか、魔女が。
 それは許せなかった。どうしても。
 何も知らなかったふりをしておくのがいいと、わかっている。でも、シャルロアはどう足掻いても弱い人を見捨てられない。自分が見捨てられたら、と思うと、恐ろしくて人にできない。
 正義感なんてものじゃない。
 その証拠に、シャルロアは逮捕した男が思い出せなかった子供たちのことは見て見ぬフリをした。記憶誘導はおそらくアートレート分隊長に不審に思われると考えた結果、自分にできることはないのだと割り切って保身を取った。
 この選択のどこに、正義の心があるというのか。
 ただただ、私はこんなに良い魔女だから迫害しないで、という打算的な考えがあるだけだ。
 けれど今回のことについては、見ぬフリをしなくても、保身を選ばなくても、弱き人を助けられるのではないか?違和感を与えず、ファルガ・イザラントに情報を与えられるのではないか?そんな考えが芽生えてしまう。
 考えが芽生えた時点で、シャルロアにはもう見捨てる選択肢が消えてしまうのだ。
 ――私は、魔女だから。

「お尋ねしたいんですが」

 シャルロアの口から出た声は、思ったよりも震えていなくて安心した。呼びかけられた医師の視線が自分に向くのを待って、続きを話す。

「その、塗り薬は飲んだりしないよう、注意喚起がされますよね?」
「ええ」
「魔法火傷治療薬を飲んだ場合、どんな症状になるんでしょうか?」
「そうですね。主に肌の色がまだらになったり、呼吸不全になったりしますよ」
「あの少年には、そういった症状はありませんでしたか?」
「ありませんでしたね」

 医師は顎を撫で、詳細を思い出すように宙を眺めた。
 ぴく、とファルガ・イザラントが反応して質問する。

「症状の痕跡は?」
「一度まだらになった肌の色は半年は治りませんし、彼の置かれていた状況から察するに、呼吸不全に一度でもなっていたらそのまま亡くなっていたと思われます。なので痕跡はありませんし、症状が出た可能性は極めて低いかと」
「なるほど」

 ――気付いた?
 シャルロアがファルガ・イザラントに伝えたかったこと。それは魔法薬は拭われるほど丁寧に排除されていた、という点だ。
 瓶を割って、そのまま破片を胃に詰め込んだのなら、瓶の内側に付着したままの薬によって何かしらの症状が出ただろう。けれど実際は、瓶は洗われて、キレイに拭われてから割って、詰め込まれていた。
 手間がかかっている。おかしい。
 シャルロアがわかるのは、そこまで。何故そんな手間をかけたことをするのか、それを推理するのはファルガ・イザラントに任せる。
 ――貴方なら、わかるでしょう?
 魔法薬を飲んだ症状が出ていない不自然さ。そこから導き出せること。
 この男ならば、正解に辿りつくだろう。

「――メル」
「はい」

 剣呑な金色の瞳が、シャルロアを射抜いた。

「あの商会の魔法薬瓶の生産地(・・・・・・・・)はどこだ?」

 思わぬ質問に、シャルロアは一瞬呆けてから、記憶を探る。
 ――生産地は、確か。

「エッテル領地です。ここは、陶器を作成する有名領地ですから」

 金色の瞳が、獲物を見つけた獣のように底光りした。

「メル。俺は先にエッテル基地に戻って師団に一時帰還する。アートレートも連れて帰るから、留守の間は俺が一任した部隊長の指示に従え。お前たちは摘出された破片を回収次第、基地に帰還。代わりにエレクトハが推した部隊員を伝令係として病院に寄こして待機させろ。お前はいつ少年が起きて証言できても良いように、師団に帰らず基地にそのまま残れ」
「了解」

 シャルロアが敬礼して返事すると、『雷鳴獅子』は踵を返して夜の病院から颯爽と遠ざかって行く。
 その背に鬼気迫るものがあることを、シャルロアは感じ取っていた。





********





 4時間の仮眠を取って、幾分か頭がすっきりしたアートレートが捜査本部室の扉に手をかけた瞬間、中からけたたましい物音が聞こえてきた。
 何事かと思うと同時に、ほぼ反射的に銃を抜いて扉を薄く開くと、その隙間から見えたのは非常に緊張して青褪めた面持ちの第2部隊員たちと、床に転がる青髪の第2部隊員だった。
 床に転がった部隊員の頬は赤く腫れており、彼の周りには書類や筆記具が散乱していた。
 思わず唖然としたアートレートだが、すぐに気付いた。
 室内には、殺気が満ちている。
 その殺気に覚えはあった。
 これは、『雷鳴獅子』の殺気だ。
 とりあえず敵襲ではなかったようなので、アートレートは銃を腰に戻して静かに入室した。
 殺気の大元であるファルガ・イザラントは、床に転がる第2部隊員の真正面に立っていた。

「何事ですか」

 張りつめた空気の中で発言するのは非常に気が進まなかったが、第2部隊員は問うこともできなかっただろう。アートレートがファルガ・イザラントに問いかけると、彼は怒りで揺らめかせた赤みがかった金の目をこちらに向けた。

「この男には間諜の疑いがある。だから拘束しようとしたまでだ」

 不穏な台詞に、周りの部隊員たちがざわついた。
 頬を赤く腫らした部隊員はあんぐりと口を開けてから、慌てて「違います!」と声をあげる。

「自分は、そんなことしていません!」

 涙目になって訴える彼に嘘をついている様子は見られず、アートレートも彼が間諜であるという疑いには頷きがたいものがあった。
 だがファルガ・イザラントがなんの根拠もなくそう言うのも、おかしな話だ。
 ――何かあったな。
 アートレートが説明を求める視線を送ると、ファルガ・イザラントは嗤笑した。

「伝令内容を間違えやがった」

 アートレートは諦めた。
 場合によっては事を穏便に済ます、あるいは第2部隊に貸しを作ってやるために庇ってやることも考えたが、これは庇えそうにない。ファルガ・イザラント相手だから緊張して間違った、とかそういう次元ではないことをアートレートは知っている。
 ここでは、伝令間違えはよくあることなのだ。
 はぁ、とため息をついて、目を伏せる。
 気の済むまでどうぞ、の意味だ。
 止める者がいなくなった『雷鳴獅子』は、冷然とした声を響かせた。

「さっき通信室で確認してきた。通信士は連絡を寄こした医師と同じく『患者が回復したらすぐに』事情を聴きにしてほしいと伝えたし、周りにいた同僚からも証言が取れた。だから伝令内容を間違えて伝えたのは、てめぇしか考えられねぇんだよ」
「で、伝令を、間違えたのは、申し訳ありません。でも、それで間諜扱いだなんて……!」

 ファルガ・イザラントは青髪の部隊員の胸倉を掴み上げ、もう一発頬に拳を入れて突き放した。
 がたん、と大きな音を立てて部隊員は床に転がり崩れる。

「戦場だったら、てめぇの伝令間違いで六個分隊を壊滅させたと思え」

 煌々と怒りで燃える瞳が部隊員を見下ろした。

「ウルグが一個分隊、俺が五個分隊だ。今が戦争中だったら、てめぇが『今すぐ』現場に向かえと伝令したせいで俺たちはのこのこと現場に向かい、敵兵に討たれたかもしれねぇんだぞ、このクソが!」

 獅子の咆哮で、部屋の隅の空気までもが震える。

「今が戦時中じゃねぇから伝令を間違えていいとでも思ってんのか!いつ戦争になってもいいように備えておくのが騎警団員だ!この平時に伝令を間違うボケが、戦時に伝令を間違えて味方を殺すクズにならねぇわけがねぇだろうが!」

 青髪の部隊員は、ガタガタと震えて青ざめていた。
 よくよく見れば他の第2部隊員たちも歯の根をガチガチと鳴らしている。それらは全員、アートレートが伝令間違いが酷いとして記憶していた部隊員たちだった。

「味方を殺すクズをなんて言うか教えてやろうか。裏切り者だ。内部に不和を起こして、こちらの戦力を削ごうとする腐ったネズミだ。そいつを拘束して懲罰房に入れ、間諜かどうか調べろ。調べて間諜でないことがわかったら出してやっていい。だが減給処分とする」

 しん、として返事のない室内を『雷鳴獅子』は皮肉な笑みとともに見渡した。

「そいつの肩を持つ人間は、すべて間諜とみなす」

 部隊員たちは慌てて青髪の青年を取り押さえた。頬を赤く腫らした青年は「違う!間諜なんかじゃない!」と泣き喚いているが、助ける者は誰もいない。

「俺はしばし師団に帰還する。留守中の指揮権は部隊長に任す。何かあれば部隊長に従え。アートレート、ついて来い」
「はい」

 悲壮な声が響く捜査本部室を二人は後にした。
 まだ後方からばたばたと騒動の音が響く中、アートレートは呆れ気味に話しかける。

「相変わらず、悪趣味ですね。間諜扱いで懲罰房なんて聞いたことありませんよ。普通間諜の疑いがあれば牢の方でしょう」

 ファルガ・イザラントはゴロゴロと喉を鳴らして嗤った。
 そもそも彼が本当に間諜であることを疑っていたなら、殴らない。斬るか、一発で拘束し、気を失わせ、牢屋に入れるに決まっている。
 つまりこれは、非常に悪趣味な懲罰の見せしめだ。

「俺が悪趣味なら、てめぇは甘ぇぜアートレート。伝令間違いはささいなミスじゃねぇ、重大なミスだ。情報一つで師団でさえ壊滅する恐れがある。それを放っておくなんざ、管理が甘ぇんじゃねぇか?」
「指摘ならしましたよ。けれど私は部隊を預かっていただけで、指導する権限はありません」
「はっ、どうせ内々に報告することで第2師団に貸しを作ってやろうとか考えてただけだろ」

 アートレートは隣を歩く男を見ながらため息をついた。
 そこまでわかっていて、人の苦労を水の泡にしてくれるファルガ・イザラントは本当に何者にも飼い慣らせない猛獣である。

「それで?師団長に報告するほどのことがあるんですか?」

 彼がめったに中間報告をしないことを知っているアートレートは、師団に一時帰還すると言うファルガ・イザラントの言葉に、何か重大なことがあったのだと推測していた。

「魔法薬が輸出禁止品だというのは知ってるな?」
「ええ」
「あまり知られてはいねぇが、エッテル領地の陶器も準輸出禁止品、つまり外に持ち出すのは非常に好ましくない品だっつうのは?」

 若干話が飛んだことに驚きながらも、アートレートは頷いた。

「知っています。確か、エッテル領地の陶器瓶は魔法薬の効果が長期にわたり持続するので保存瓶として大変優秀だから、その技術をなるべく外国に知られないようにするためと。しかし厳密には輸出禁止品ではなかったはずです」
「何故魔法薬の効果が長く持続するかは知ってるか?」
「いえ。解明されたのですか?」
「されてねぇ。エッテル領地と同じ製法で作った別領地の陶器は、エッテル領地の陶器ほど魔法薬の持続効果が長くなかった」
「やはり、土ですかね」

 陶器は土の善し悪しが大きく関係する。だからエッテル領地の土は陶器作りに向いた地質だったのだろう、とアートレートは考えていたが、ファルガ・イザラントの表情を読むに、彼はそれだけだと考えてはいないようだった。

「上の一部は、魔女の呪いが関係してるんじゃねぇかって考えてるみてぇだぜ?」
「魔女の呪いですか?あの、穀物を枯らす?」
「そうだ。魔女の呪いが魔法効果を遮断し、結果的に効果を留めている状態にしてるんじゃねぇか、だとよ」
「貴方もそう考えてるんですか?」
「俺は研究者じゃねぇ。んなもん知るか」

 ファルガ・イザラントは鼻を鳴らした。

「だが重要なのは、オルヴィア王国はエッテル領地の陶器が本当に魔女の呪いにより魔法薬効果が長期にわたり保証されているのかを検証できていない、ということだ。そして他国に先に検証されるのは非常に気に入らねぇ。そう考えてるのは俺だけじゃない」
「なるほど。だから準輸出禁止品ということですか」
「そうだ。エッテル領地は幸い陶器事業を医薬品特化にしている。生活用品にエッテル領地の陶器が流れることはねぇ。そして作られた陶器瓶は大抵輸出禁止品の魔法薬を保存するのに使われる。今まではこれでどうにかなってた。が、どうやら今回の事件を起こした奴らは魔法薬じゃなく、陶器瓶が目当てだったようだ。人身売買された子供の腹には薬は詰められておらず、陶器瓶だけが詰められていた」

 話が原点に帰った。
 つまり。

「陶器瓶を持ち出すために魔法火傷治療薬を盗み、密輸するために人身売買組織から人を買っていたと」
「そうだ。書類上は雇用だが。陶器……つうか、エッテル領地の土に関して研究したいとでも思ったのかもな。それなら魔法薬を丁寧に除去したのも納得できる。だがそんなことされて、魔女の呪いに関する研究が他国で進むと面倒だ。極論、エッテル領地にかかってる呪いを人工的に作り出すことに成功されて国内にばらまかれたら、あっという間に兵糧も食料も足りなくなって終わる」
「どう考えても一介の盗賊や犯罪集団が手に負えるものじゃないでしょう。ジェレン王国訛りの人間が幾人かいましたね?裏はジェレン王国が引いているんですか?」
「俺は罠臭くて、その考えは推しにくい」
「副師団長のお考えは?」
「こりゃあ、ジェレン王国が裏を引いてると思わせたい第三国の陰謀だ。ジェレン王国訛りの人間、ジェレン王国の元盗賊幹部と、あっちの国に関与する証拠が多すぎる。喰えと言わんばかりだ。国が裏にいるなら、もっと上手く隠すだろ」
「一理ありますね」

 アートレートも考えを改めた。
 確かにあちらこちらに見えるジェレン王国に繋がるものは、あからさまだ。自分がこういうことを企むのであれば、まず自国の人間は使わない。ことが露見したときに、国に繋がるものは残すべきではないからだ。

「うちとジェレン王国をもめさせて甘い汁を吸うとこはどこだ?」
「ありすぎて見当つきません。師団長ならばあるいは」
「それを聞きに行く。お前はどう処理すると思う?」
「師団長も罠だと考えるなら、ジェレン王国には抗議せず、単にジェレン王国の人間も組織にいただけの事件として扱うでしょう。ただ組織の中に第三国への密通者がいないとは限りませんので、一網打尽にすることは譲れないのでは?」
「大方そんなところだろうな。話は変わるが、お前、メルにパッフェル商会が扱ってる魔法火傷治療薬の現物を見せたことあるか?」

 アートレートは一瞬きょとん、としてファルガ・イザラントを見つめた。
 ――治療薬の現物?
 聞かれるまでもないことだ。

「彼女の業務には関係ないので見せていません。ただ、事件の資料などを整理したときに治療薬の写真を見ることはあったかもしれませんが」
「なるほど」

 表面上、彼は納得したふうを装ったが、その瞳が深く思考の海に沈むのをアートレートは察した。
 ただし彼が何を考えているのかは、わからなかった。












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