アートレートたちは似顔絵を手にして、まずは領都マヴィスから聞き込みを開始した。似顔絵が手配書にならなかったのは、師団長が団長や上級外交官と話し合った結果、現在の時点はこの微妙な案件を大きく扱いたくない、という結論に達し、手配書としてバラまくことを許可しなかったからだ。なので情報を提供は足で稼ぐしかない。 すぐに見つかったのは案の定、二週間以上前に男が寝床としていたらしい部屋だった。もちろん住人はいない。積もった埃からして、やはり二週間以上は帰っていないようだった。 似顔絵を手に入れてからすぐに国境付近の検問所には連絡を入れたが、似顔絵の男が通る確率は低いだろう、とアートレートは読んでいた。国外逃亡を考えていたなら、もうとっくに逃げている。パッフェル商会の定期在庫点検があれば、即座に盗難がバレる。バレる前に逃げるだろう。普通ならば。 捜査が無駄足になるような気配を感じつつ、アートレートはエッテル領地内の宿全域に似顔絵を密かに手配した。盗難が発覚してからは男も宿を控えただろうが、盗難発覚前は宿を利用していた可能性がある。半月ほど前の客なら覚えている宿屋がいてもおかしくない。 地道に聞き込みを続け、情報が提供されるうちに、アートレートは自身の予感が間違っていたことを知った。 国外逃亡を図るなら、足取りは北東、または北西に向かわなければならない。 しかし男が利用した宿の情報を結ぶと、その足取りは南東に向いていた。 最後に男が宿を利用したのを目撃されたのは、事件発覚の一日前となる。その時点でエッテル領地の南東にいるため、現在国外に逃亡している可能性が非常に薄くなった。 それがわかってから3日後、国外逃亡をしていなかった証として、似顔絵の男の目撃情報が寄せられた。 エッテル領地の南東端に位置するシュデン町。陶器を焼くための木材を細々と売る小さな町のさびれた木材商会に件の男が出入りするのを見た、と商会近くにある宿屋の主人が証言した。 アートレートはウルグに引き続きその商会を探るように言いつけて、この情報を師団長の元へ持ち帰った。特に義務付けられてはいないが、中間報告のようなものだ。ちなみにアートレート以外にこれをする分隊長はおらず、師団長が重いため息をついているのを知っているので、アートレートは報告することにしている。義務になっていないのは、義務にしてもわざと忘れる者が多いので、いちいち処罰していたら仕事が回らなくなるからだ。 師団に戻ったのはおよそ半月以上ぶりのことで、第4師団の勤務室には相変わらずベッドにまでたどり着けなかった亡者たちが、恨めしげに歯ぎしりしながら眠っていた。時間も深夜だけに、第4師団の実態を知らぬ者が通りかかれば、まず間違いなく怪奇現象だと思われるだろう。 「何かありましたか?」 山のような書類にサインをしていたシェストレカ師団長が顔をあげ、入室したアートレートに視線を向けた。 「中間報告に」 「お利口です」 にこりと上品に微笑むシェストレカに、アートレートも微笑みを返す。 内心は苦々しい思いでいっぱいだが。 いくらシェストレカが年上とは言え、30も過ぎてお利口扱いは勘弁願いたい。そう思うアートレートだったが、言ったところで性悪な師団長は改めてくれないだろう。彼はわかりきってやっているのだろうから。 アートレートは諦めて、覚書に近い報告書を提出した。 彼相手であれば、話すよりも速読してもらった方が早い。 いつもどおりザッと目を通していたシェストレカだが、その緑の瞳が見開かれた。 「……シュデンのアヴェール商会?間違いなくですか?」 「目撃者の証言が間違っていなければ、報告書通りです」 シェストレカ師団長は思案顔でしばし黙った。 「……イザラント君が抱えている事件を知っていますか?」 「人身売買の組織壊滅、とだけ」 「今、犯人から関連組織についてを尋問しているんですが、そのうちの数人がアヴェール商会との関係を仄めかしています」 アートレートの銀色の瞳が鋭く細まった。 人身売買組織と繋がりがある商会。そこに隣国の盗賊団の元下位幹部も関わっている。 どう考えても、穏やかな話ではないし、偶然ではない。 だが関係性がよくわからない。 「しかも組織の人間に、ジェレン王国訛りがいるらしいんですよ」 「きな臭いですね」 面倒事の臭いがする。アートレートがわずかに顔をしかめると、シェストレカも苦々しい表情を浮かべた。 「組織は一応、名目上は派遣商会でしてね。人が足りない商会に人手を貸す、という商売をしていた、という設定です。商会同士は契約を交わしているので書類上は問題ないんですが、派遣商会は元手の人を貧しい農民から買ったり、孤児を騙して拉致していたりした証拠が挙がったので逮捕できたんです」 「なるほど。アヴェール商会は知らぬ存ぜぬを貫けますね」 アヴェール商会が違法行為をしていたからと言って、その取引先を片っ端から逮捕していくわけにはいかない。書類上は問題ないと言うのなら、紙に書かれていたのは労働に対する報酬などを約束する、一般的な契約書類だったのだろう。人を――人権を売買していないのなら問題にすることはできない。 「副師団長以外に、事件に関わった第4師団員は?」 「いたらもっと吐かせていますよ。単独で行かせたから、尋問に時間がかかってるんです」 だろうな、とアートレートは内心考えた。ファルガ・イザラントは勇猛で有能な男だが、完璧と言うわけではない。彼にも不得手なことは多々あって、その中の一つに尋問がある。 あの気性だ。宥めすかして相手から情報を吐かせることはできないし、かと言って脅せば相手は失神するか殺されると怯えて口をつぐむ。 それでも先の大戦中であれば、尋問もとい拷問成功率はそこそこだっただろう。自団に紛れた敵国のネズミをどう扱おうが、荒んだ世間は問題にしなかった。心がバキリと折られるような尋問だろうが、実際骨を折るような拷問だろうが、鞭で与えた傷に酒をぶっかけるような拷問だろうが、問題視されなかったのだ。 けれど今は時代が違う。犯罪者とは言え自国の民にそんな取り調べをすれば、間違いなく世間から非難される。 ファルガ・イザラントはある意味独善的な男だが、夢想家ではないし馬鹿でもない。現実家で狡猾だ。世論を巧みに読み、自分が狂犬ではなく優秀な狩猟犬だというふうに振舞うことができる。だからこそ現在尋問で荒っぽいことはしないのだが、故に尋問が苦手となったわけである。 だが、似顔絵の男が商会に出入りしているなら、その男を窃盗容疑者として逮捕することはできる。ファルガ・イザラントの方からわからなくても、こちらから何かわかるかもしれない。 「男を逮捕しますか?」 「逮捕したら短期決戦になりますよ」 密かに逮捕するにしても、出入りしている男がいきなり姿を現さなくなったら怪しまれる。相手は脛に傷がありそうな商会だ。下手すれば逃げられるかもしれない。 シェストレカは唇に指を当て、考え込んだ。 「魔法薬の販路はまだ判明してないんですね?」 「男が大きな荷物を持っていたことまでは判明していますが、売った相手の特定はまだです」 「『猫』を潜りこませて、接触し、割のいい仕事で釣ってみてもいいかもしれませんね。人身売買組織が壊滅状態で、関連するところはそれなりに混乱しているはずです。組織の人間を自称すればイケそうじゃありませんか?釣って、本人に周囲に仕事に行くと証言させておいてから逮捕した方が楽です」 「……エッテル基地の『猫』をお使いになりますか?」 その声音にわずかににじんだ忌避感を、シェストレカ師団長は聞き逃さなかった。 「師団と部隊、どちらを要望します?」 「……」 「正直に答えて構いませんよ」 「師団の『猫』をください」 おやおや、とシェストレカは苦笑する。 「エッテル部隊はそんなに酷いですか」 「私はエッテル部隊の『猫』については何も存じません」 「第2部隊と知る範囲でいいですよ。アートレート君の評価が聞きたいですね」 はぁ、とアートレートが重くため息をついた。その顔は憂鬱げだ。 「先の大戦の頃に戻って、死地に送りこみたい輩が数十人います」 表情に反して、発言はなかなかに物騒だった。しかし台詞がさらっと脳に入って来る。 シェストレカはアートレートの、こういう部分が非常に気に入っていた。アートレートがどんなに物騒めいた命令をしたとしても彼には常に威厳と気品があるため、何か考えがあるのだろうと思われて部下に聞き入れられやすい。混乱なく命令が行き渡るので、非常に上官向きの資質を持っている。 ちなみにファルガ・イザラントが下す命令に関しては、第4師団員は信頼ではなく諦めを抱いている。よほどのことがない限り、ファルガ・イザラントは一度下した命令を撤回しない。それがどんな無茶な命令であっても、だ。 「殺したい無能が山ほどいる、と」 「殺したいわけじゃありません。死地から帰ってきたらそれだけで有能になっていますから」 「帰ってくればね」 「加えて、死地に送りこめない人間がいるので厄介です」 「『兎』ですか」 「ウルグとメルがどれほど勤勉かを思い知る日々ですよ」 「こちらから苦情を入れましょうか?」 「すでに入れました。書類仕事が遅すぎると。しかし裏で第2部隊の分隊長が若い女性たち……彼の信者たちを庇ったらしく、それにより私が回す書類はより遅くなり、第2部隊の分隊長が回す書類は早くなりました。馬鹿馬鹿しくて問題に手をつける気にもなりません」 これが第4師団内のことであればアートレートも責任を持って問題解決にあたるが、問題があるのはエッテル部隊の第2部隊と第6部隊だ。冷酷に言うなれば、あちらがどんな失態を犯そうともアートレートの責任ではない。 もちろん指揮はアートレートが執っているので指揮や部隊員の管理責任はあるが、それだけだ。自分の分隊のように新人や分隊員を育てる義務はない。むしろ下手に指導しようものなら管轄侵害だ。アートレートはあくまでエッテル部隊を借りているだけ。やる気のない部隊員たちを叱咤し、矯正する役割を放棄しているのは本来第2部隊の分隊長や部隊長で、アートレートには何の責任もない。それでも一応義務として改善するように忠告した。しかし無視された。それで終わりだ。 端的にいえばアートレートはエッテル部隊を見限っていた。 あれを何とかするのは第4師団の一分隊長ではなく、エッテル部隊の部隊長や、あるいは第2師団長、もしくは団長だ。アートレートが手を差し伸べる必要性をまったく感じられない。 シェストレカ師団長が「いいでしょう」と頷く。 「第5師団に要請しておきます」 エッテル部隊の『猫』が無能であると決まったわけではないが、使ってみるにはアートレート自身のエッテル部隊に対する信用度が低すぎる。あげられた報告を信頼できないだろう。 シェストレカも仕事に私情を挟む部隊がいる基地を信用できない。 だから第5師団に協力を仰ぐのは構わないのだが。 「……憂慮すべきことが浮上しますね」 「はい」 シェストレカの懸念をアートレートは理解している。 「男を無事逮捕できたら、関係者の特徴を吐かせておきたいんですよね」 「メルが必要になります」 「……アートレート君」 「師団長。決してイザラント副師団長には漏らさないようにしてください」 「わかってます」 面倒臭いことになりそうだ、とシェストレカとアートレートは思った。 ******** もうこの地を踏むことはあるまい、と思っていたシャルロアがエッテル基地に呼び出されたのは、似顔絵の男が逮捕された翌日の朝のことだった。 男は非常に手間をかけて、秘密裏に逮捕された。第5師団員が接触し、自身を人身売買組織の摘発から逃れた者だと信じ込ませて仕事に誘い、まんまとおびき出されたところを捕縛したらしい。それにかかった日数がたった2日だというのだから、第5師団員の手並みがどれほど鮮やかだったことか。 久々に会ったアートレート分隊長がいつにもまして穏やかな表情を浮かべていたので、彼も満足する働きだったのだろう。 そしてシャルロアは、アートレート分隊長の機嫌を自分が損ねるわけにはいかない、と気合を入れ直した。描画帳と鉛筆はすでに準備して腕に抱えている。万全だ。 「取調室で聞き取りを頼む。私も同室で聞いているので犯罪者相手だからと言って構えなくて構わない。ただ緊張感は持っていてくれ」 「はい」 「相手は逮捕されてから、盗んだ魔法薬をどこに売ったかを黙秘し続けている。キューレイとの関係も微妙に嘘をついていることから鑑みるに、協力的な態度ではない。注意して似顔絵を描いてくれ」 「了解しました」 どっぷり犯罪に浸かった者相手に似顔絵捜査をするのは初めてなので、少し緊張する。 アートレート分隊長も取調室に向かう廊下を歩きながら、斜め後ろにいるシャルロアに緊張した声音を向けた。 「君は前回と同じように、似顔絵対象者の普段の生活などを聞いてから似顔絵を描こうと思っているか?」 「はい」 「では忠告をしておく。犯罪者と対面するときは理性的な自分を忘れてはいけない。彼を通して彼の環境を知ったとしても、情を傾けてはいけない。これは第4師団員が犯罪者と話をするときの心構えだ。覚えておくように」 『奴らの闇は限りなく深い』 牙のように鋭い声とこの世で最も美しい金属を焼く炎を宿した瞳を思い出す。 付随してシャルロアは、喉の奥が苦くなる。 ――忘れるものか。 ――忘れない。二度と。 恐怖に浸食されながら殺されていった彼女たちを忘れない。 犯人には同情すべき点はあった。でもそれは、加害者になる前の話だ。彼の悪しき環境と、彼女たちが無残に殺されなければいけなかった因果関係はない。何も。 祖母のためにジャムの材料を取りに森に入った優しい娘が。幸せな結婚生活が明日も来ると信じていた仲睦まじい夫婦が。 惨い殺され方をしなければならなかった理由なんて一つもなかったのだ。 この怒りを、やるせなさを覚えている限り、シャルロアは決して犯罪者に同情はしない。 「心に刻みます」 凛とした声で返せば、アートレート分隊長はそれ以上何も言わなかった。 やがて取調室前まで行くと、いくつかあるうちの扉を一つ開けて中に入った。シャルロアも続けて入ると、入口近くには第2部隊員が待機しており、シャルロアと交代で外に出た。容疑者を一人きりにすることを騎警団は好まないので、必ずこうして見張りがついている。 取調室は無機質で簡素な部屋だ。色彩溢れるエッテル領地の中で、群を抜いて色味がない部屋と言えるだろう。机を挟んで椅子が2脚置いてあるだけの単純な部屋の中に、黒髪黒目の男が座っていた。 その平凡な顔立ちは、正直言って魔女の異能を使わなければ特徴を捉えることが難しかっただろうと想像できる。特徴のない顔というのは、似顔絵にしづらいのだ。鼻が大きいとか、唇が厚いとか、そういう特徴がある方が絵が似やすい。 シャルロアは彼の前に座り、机の上に描画帳を広げた。 「はじめまして。似顔絵を描くシャルロア・メルと申します」 シャルロアが男に名乗ると、彼はふん、と顔を背けた。アートレート分隊長はドアを閉め、その付近の壁に背を預けた。 相手が協力的ではないことは、予想していた。目の前にいるのは捜査協力者じゃない。犯罪者だ。シャルロアは冷静にぱた、と瞬きをして桃色の蝶を出現させ、その翅を彼の肩の上で休ませた。 途端、乱雑な映像が頭に入って来る。 ぐるぐると落ちつきなく変わる光景。それはこの男が見目に反し、相当怯えている証拠だ。 ――小心者か。 なら話は早いかもしれない、とシャルロアはいつもどおりアヴェール商会の様子を聞くことから始めた。 男は正直に、商会は寂れた木材商会で、従業員を安くこき使う最悪な商会だ、と吐き捨てた。異能で見える光景も、言葉を裏切らない。しばし商会の話を聞いて、異能で見える光景に従業員の姿が見えるようになったころ、シャルロアは話を切り出した。 「では、そのケチな従業員の特徴を教えてください。顔の形は面長ですか?それとも丸い?」 「丸い」 ぴく、とシャルロアは鉛筆を持った手を止めた。 証言と、映像が合致しない。 今男が証言している従業員の男の姿は痩身で、つまり面長で頬がこけている。丸いはずがない。 ――まずい。こいつ、嘘の証言をして捜査をかく乱する気か。 本人が思い出せないなら、シャルロアがそれとなく正しい記憶に至るよう誘導することができる。けれどまるっきり別の証言を堂々とされては、誘導できない。 しかも、その証言が嘘だと断じられる手札がシャルロアにはないのだ。 仕方なく、男が述べる嘘の証言に基づいて似顔絵を描いていく。話を聞いているのに似顔絵を描かないのも、戸口に立つアートレート分隊長におかしく思われる。それは避けなければならない。 ――でもどうしよう。 この男からの情報が、今後の捜査に重要となるのは聞いている。盗んだ魔法薬を誰に売ったか。仲間はどんな顔か。他に隣国の盗賊団関係者はいないか。さらには人身売買組織とのつながりも疑われている。関係者を洗いざらい吐かせたい。吐かせなければならない。 魔法薬の方は損害だけだが、人身売買に関しては人命がかかっている。そんな事件に関わった輩をこの世に野放しにしておいていいわけがない。 「目は釣り目?それとも垂れ目?」 「垂れ目」 映像とは違う証言の通りに描きながら、シャルロアは男をじっと見つめる。 この情報が本物である、と騎警団に認識されるのは困る。 ――嘘だと断じられる根拠が今ないなら、集めるしかない。 集めるなら、証言からと態度からだ。他から根拠を集めるには手段がない。 「垂れ目と言っても印象は色々ありますね?人の良さそうな感じ?それとも色っぽい?女性に好かれそうな?」 「人の良さそうな感じだ」 「じゃあ鼻は?高い?それとも低い?」 「高い」 「唇は薄い?」 「そうだ」 「髪の毛は?銀髪?」 「ああ」 「長さは短め?」 「短めだ」 「肌の色は白い?」 「そうだな」 ざざっ、と男の証言通りに描いたシャルロアは、アートレート分隊長に視線を向けた。彼はその意図を読み取って外に待機していた第2部隊員に声をかけて見張りを頼む。部屋を出ていくアートレート分隊長に続いてシャルロアも席を離れて部屋を出る。 扉を完全に閉めて、少し部屋から離れたところでアートレート分隊長と向き合う。 「彼は嘘を言っていると感じます」 「根拠は?」 「浮気した男と同じ表情です」 アートレート分隊長は顔面に拳を入れられたような表情で、シャルロアを見つめた。男性にとってはかなりぎょっとするような表現をあえて使うことで弱い根拠でも印象を強くする、という戦法は効果的だったようだ。 「具体的に言うと、まばたきが多すぎます。落ち着きがなく、何かを思い出していると言うよりは証言を作っているという印象です。それに私の発言にのっかることが多すぎます。さっきまで商会について罵倒していたその口で、従業員の特徴を言うに『人の良さそうな』ですよ?商会について悪感情を持っているなら、当然そこで働いている人間に対しても悪感情を持っているはずです。『間抜けそうな』と言うならまだしも、『人の良さそうな』なんて言葉に同意するのはあり得ません。私の言うことをすべて肯定しているのは明らかにおかしいでしょう。証言にも具体性がありません」 ちなみにまばたき云々は士官学校の友人たちが言っていたことだ。浮気した恋人を問い詰めると「絶対してない」と言いながらこちらをまっすぐ見るくせに、まばたきがやたら多くなると。それに賛同した女の子たちが多かったので、人間は嘘をつくときに瞬きをする癖があるのかもしれない、と考えると同時に、そんな細かいところまで見てる女という生き物って恐ろしいなと思ったので、覚えていたのだ。 その意見に同意するかのように、アートレート分隊長もめずらしく顔を青白くしている。 「私は今、第2部隊員に女性をもっと採用すべきだと考えてしまった」 「女の子が探偵になるのは、好きな相手にだけだと思いますよ」 それが一番恐ろしい、と言わんばかりのアートレート分隊長に、シャルロアはとにかく、と説得にかかる。 「思い出そうとしている感じがないので、似顔絵が上手く描けません。イメージが伝わって来ないんです。あれは高確率で嘘を言っていますよ」 言いながら、シャルロアは描画帳を見せた。そこにあるのは、シャルロアが記憶を盗み見て描いた絵とは比べ物にならないほどお粗末な似顔絵だ。記憶を頼りに描けないのだから、絵がお粗末になるのは当たり前だ。シャルロアは似顔絵捜査が上手いのではなく、似顔絵が上手いのだから。 アートレート分隊長は目を伏せて黙考しはじめた。 ――納得してくれ。 シャルロアは今言った以上の根拠は述べられない。魔女のシャルロアなら男の記憶を盗み見たから間違いない、とこれ以上ない根拠を述べられるが、魔女でないシャルロアが思いつけるのはこれくらいの根拠だ。否定されたら引き下がる他ない。 しばしの沈黙ののち、アートレート分隊長は口を開いた。 「……私も同意見だ。あの男は嘘をついていると感じる」 密かに強張っていた背中が解れた気がした。 シャルロアは表面上ホッとした様子は見せずに、次の懸念を口にする。 「どうやって真実を吐かせましょうか」 自白薬、自白魔法は先の大戦後に世界協定で使用を禁じられた。戦時中出回った粗悪な薬や、技術不足の者が行った魔法のせいで、知性をなくした いくら犯罪者相手とはいえ、このご時世魔法や薬を使ったら、大問題になる。 それでもファルガ・イザラントならしらっとやってしまいそうな面があるが、アートレート分隊長に限ってはそんなことはないだろう。 シャルロアが信頼に満ちた瞳で彼を見つめれば、アートレート分隊長もその信頼に応えるべく頷いた。 「事実確認の証言なら何度も何度も繰り返すことで、綻びを見つけていくのだが……ぐずぐずしていると商会の人間に感づかれる。医療系の魔法を応用しよう」 「医療ですか?」 嘘を見抜くことと医療に関連性が見えず、シャルロアが思わず訝しげにすると、アートレート分隊長は説明してくれた。 「先の大戦中、紛れこんだネズミを狩るのに非常に有効的だった古い医療魔法だ。なんのことはない、脈拍の速さを計るだけだ」 シャルロアは唖然とした。 これでもシャルロアは魔法関係の本を読み漁ってきたつもりだが、そんな魔法があるなんて知らなかった。 「知らないのも無理はない。医療関係者でもこの魔法を使っている者はもういないだろう。何せ聴診器があるからな」 「いや、でも、結構昔から聴診器って使われていましたよね?」 「一般的にはな。しかし、100年前までは王族の女性に侍医が触れることができなかった。だから聴診器の代わりに心音を聞く魔法があったんだ」 ――お貴族さまも色々大変なんだな。 シャルロアは呆れる思いだった。王族の女性とは言え、まさか医者にも肌を見せることを拒む時代があったとは。その時代の侍医たちはさぞ苦労しただろう。 「それで、心音を聞いて嘘が見抜けるのですか?」 「見抜けるな。よほどの訓練をしてない限り、嘘をついたときは心音が乱れる」 「何故今までお使いにならなかったんです?」 「この魔法は対象の心音を聞けるが、心音しか聞こえなくなる。今まで私が尋問を担当していたので、心音しか聞こえない状況は色々と差し障りがあった」 なるほど、と納得する。確かに指揮官の立場にあるアートレート分隊長が、対象の心音だけしか聞こえない状態になるのはあまり望ましいことではない。そもそも尋問も困難になるのだろう。捜査の相棒が尋問を引き受けてくれるならまだしも、今回の相棒はウルグだ。シャルロアから見ても、彼に尋問を一切任せるのはかなり不安がある。 「というわけで、君が尋問を担当してくれるならば私はこの魔法を使えるのだが?」 「私事務員なんですが、尋問してもいいんでしょうか?」 「まぁ、尋問と言っても人相描きが主だ。それに付随するものに関しては指揮官権限で、君に尋問する権利を与える」 「なら大丈夫です」 シャルロアが頷くと、アートレート分隊長は軽く片手を上げた。 「では、少し待ってくれ。 ――え? てっきり話しぶりからして、 今から などと考えている前で、アートレート分隊長は口を開いた。 「我が器に リィン、と澄んだ音が響いて、間髪入れずアートレート分隊長は続けた。 「我が器に黎明 今度はシャン、とその場に鈴の音が響いた。 ――この人、辞典を使わずに アートレート分隊長が最初に唱えたのは おそらく 魔法の呪文は シャルロアもどんな魔法がどの本に載っていたかはうっすら覚えているが、呪文自体は覚えていない。だから友人に魔法について聞かれたとき、求める魔法が載っている本を答えたのだ。 さらに恐ろしいことに、彼は ――たまたま覚えてた?いや、違う。 アートレート分隊長は『先の大戦中に有効的だった魔法』と言った。つまりおよそ10年前に使ったきりの魔法だったのだろう。最近も使っているのであれば 彼の記憶力の良さは、捜査に活かされているのだとばかり思っていた。 違う。 アートレート分隊長の真骨頂は、この 他の人間が辞典を開いて呪文を探している間に、アートレート分隊長は 『いや、魔法戦ならアートレート分隊長も負けねぇんじゃねぇの』 師団員の誰かが言っていたのを忘れていた。彼は魔法戦に置いて、あのファルガ・イザラントに引けを取らないのだと言っていたも同然だったことを。 そのことから察するに、アートレート分隊長の頭の中にはあらゆる魔法の呪文が収納されている。 そして状況に応じて 1分もすれば、彼が配置している魔法は変わってしまう。だから対策を取りにくい。故にファルガ・イザラントも魔法では優勢を保てない。だから白兵戦に持っていく。 ――なんでこの人、魔法使いじゃないんだ……? ぽかん、としたままのシャルロアに、アートレート分隊長は小首を傾げかけて、ハッとした。 「そういえば、君は私のこれを見るのは初めてだったか」 「はい……ものすごくびっくりしました」 「しばらく新人と触れあっていなかったので、その反応は新鮮だな」 アートレート分隊長の苦笑を見て、シャルロアは喉の奥が苦くなった。 第4師団は毎年新人を受け入れるわけではない。数人受け入れる年もあるし、まったく受け入れない年もある。今は3年ほど新人を取っていないそうだ。 第4師団の仕事が減ったから、というわけではない。むしろ人手は足りない。けれど師団長と副師団長のお眼鏡に適う団員がいないのだ。 ――私たちの世代は劣化してしまったのか。 世間が若者に冷ややかであるということを考慮しても、シャルロア自身ですら騎警団の望む能力を身につけられていない、と思ってしまう。世が平和になり、士官学校が腐っていたのはかなりの痛手だ。 ――だから、しっかりしないと。 シェストレカ師団長、ファルガ・イザラントはもとより、第4師団員の誰からも「コイツは無能だ」と思われればシャルロアの居場所は師団にない。シャルロアは崖っぷちに立たされっぱなしなのだ。もちろん命綱はない。それがつけられるのは、仕事で信頼を得たときだけ。 「部屋の外から魔法をかけられますか?」 「この魔法は割と効果範囲が広いので可能だ」 「では、先に男に魔法をかけていただきたいです。それから男が嘘をついたら、アートレート分隊長は二度瞬きをして私にこっそり知らせてほしいです。たぶん、分隊長が魔法を使っていると思わせず、私が嘘を見抜いているように見せた方がボロが出やすいと思うのですが」 「いい案だ」 「恋人の浮気の証拠を握った友人が、恋人の言葉を一つ一つ丁寧に「それは嘘だよね」「それは本当だね」とにこやかに訂正と同意を繰り返していたら、相手がとても怯えていたので参考にしました。嘘をついている人間は、相手が自信満々で「それは嘘」と見抜くと恐ろしく思うはずです」 「…………」 アートレート分隊長は若干青ざめながら、にこりと笑った。 「君がイザラント副師団長の 「 |