アートレートは似顔絵付き手配書の威力を思い知らされつつ、部下のウルグを連れてエッテル領イッセティンダ町の集会所へ向かっていた。
 夜11時過ぎ、イッセティンダのとある宿から、手配書の似顔絵の女が泊まりに来たと町の自警団に通報があったと言う。彼らが駆け付けたところ、確かに女の顔と似顔絵が一致したので、集会所の牢屋に入れたらしい。
 基本的に主要都市以外には騎警団設備がないので、小さな町や村で犯罪者や重要参考人を捕まえた際は集会所にある牢屋を拘置所として使うことになっている。

「アートレート分隊長、眠いッス……」

 時刻は現在午前1時前。色彩豊かな町は眠りについている。
 田舎町の街灯は時折眠気に負けるようにして、ゆらゆらと火を揺らす。アートレートがランタンを持っていなければ、彼らの影は闇に溶ける瞬間があるだろう。

「まだ三徹ほどだろう。気張れ」

 ウルグの弱音をざっくりと切り捨てると、犬のようについてくる部下は目を擦りながら「はい」と返した。荒事になると狂犬と化すウルグだが、捜査においては実に素直に言うことを聞く忠犬だ。指示を与える際、彼にも理解できるような言い回しを考えねばならないのが難点だが扱いづらい類ではない。
 これがファルガ・イザラントであれば、荒事においても捜査においても気を張っておかねばならなくなるので、アートレートは彼と組むたびに頭が痛くなる。あの男なりに勝算はあるのだろうが、容疑者のところに行ってこちらの手札を惜しげなく切っていく様は毎回ヒヤヒヤするものだ。それで相手がボロを出し、結果逮捕に至ることには至れるのだが、もう少しやり方を考えてほしいものである。
 背後で、くぁ、と欠伸をするウルグにつられ、アートレートも喉奥からこみ上げた欠伸を噛み殺した。
 ――……よもや4日足らずで見つかるとはな。
 事件発覚と初動が遅れた事件であったため、重要参考人確保にはもっと時間がかかることを覚悟していた。第4師団の捜査であっても一週間はかかるだろう、と。
 しかしながらシャルロア・メルの描いた似顔絵は、想像以上に写実的で出来が良かった。およそ目撃者の話から聞いて描いた絵とは思えぬほど、現実的で特徴を捉えた絵だったのだ。
 以前、彼女は自鳴琴(ゴーン)連続殺人事件で目撃証言を元に似顔絵を描きあげた。その後、犯人と似顔絵を見比べた第4師団の誰しもが「似ている」と褒めそやした。
 その出来映えは人伝ではなく、アートレート自身も確認している。
 そのうえで訂正するなら、彼女の描いた似顔絵は似ている(・・・・)のではない。そのまま(・・・・)なのだ。
 自身は犯人を見ていないにも関わらず、目撃者の話だけを聞いて描いた絵が『犯人そのまま』である、とはありえないことだ。大抵そうして描かれた似顔絵は「どことなく似ている、そういう特徴がある」という、犯人を見た者に疑心暗鬼を覚えさせる役割であるのに、シャルロア・メルが描いた似顔絵は似ているの域を越している。
 まるで犯人を見て描いた絵。そういう印象を受けた。
 だから今回も、パッフェル会長の話を元に描かれた精巧な似顔絵が大いに役立ち、これほど早くに重要参考人を捕まえることが出来た。アートレートがわざわざ師団からシャルロア・メルを呼んだのはこうなればいいと思ってのことだったが、予想よりも遥かに事態がスムーズに進んだ。
 ――だが、何だろうな。何か気になる……。
 シャルロア・メルは最初、重要参考人の人相とは関係ない、普段の働きや振る舞いについて軽く雑談してから人相描きに移った。それによってパッフェル会長や受付の女性が緊張を解いたのは事実だが、シャルロア・メルの方はその雑談をしているときも何かに集中しているように見えた。
 ――似顔絵対象の持つ雰囲気を、普段の話から探っているのか?
 普段が温和なら温和そうな表情、普段が厳格なら厳格そうな表情にするよう気を付けて描いているからこそ、第4師団員が褒めるほどの似顔絵になったのか。
 実際、人相を描きだしてからは彼女の鉛筆は迷うことがなかった。幾度か鼻や目を修正したが、修正すると会長や受付の女性も満足気に頷く出来栄えだった。
 ――どうであれ、あの能力を事務員に置いておくのはあまりに惜しいな。
 アートレートは、母校の眼光が曇りきってしまったことを酷く残念に思った。自分が在籍していた当時の教官であれば、あれほど『犬』に向いた生徒を見逃すはずがない。普段の仕事ぶりを見れば確かに事務員としても優秀ではあるが、凄惨な事件現場を見ても倒れない強い精神と度胸、何より目撃証言から犯人の特徴を的確に描きだせる能力はどう考えても捜査向きの能力だ。
 本人が気付いていない資質を見出すのも士官学校の勤めであったはずなのに、教師が堕落した結果がこれだ。

「……くたばれ(イヴェッダ)
「え、俺ですか!?分隊長、唐突に酷ぇ!」

 母校への厳しい想いが、思わず口から漏れてしまった。アートレートは違う、と軽く手を振って否定する。

「お前のことではない。忘れろ」
「はい!」

 これで本当に忘れる部下は、かわいいものである。
 ――あの能力は惜しいが、副師団長が所属を変えさせなかったのには何か理由があるのかもしれないし、なんとも言えないか。
 シャルロア・メルを引き抜いてきたのは『雷鳴獅子』だ。慧眼を持ち、第4師団のためになるならどんな手段でも使う狡猾な男が、事務員として引っ張ってきたことにこそ意味があるのかもしれない。
 ――能力と性質は別物だからな……。
 戦闘能力は高くとも、良識が低ければ騎警団員に向かないのと同様、彼女も『犬』に――ひいては『欄外』に至るには性質が向いていなかったのかもしれない。
 ―― そうだな。どうにも普段の彼女からは闘争心が見えない。
 荒事に身を置くのならば、戦って勝とうという気概がなければ死んでしまう。否、本人が死ぬだけならまだしも、その死が戦闘時の分隊にまで影響が出れば壊滅もあり得る。
 そういった懸念さえなければ、ぜひ部下に欲しい人材だった。捜査から基地拠点に戻ったときに作られていた、読みやすい事件資料には本当に感動した。あれを常に手元に置いておきたいと思わない捜査団員はいないだろう。第4師団員としては必須の体術など、徹底的に仕込めばどうとでもなるものだし、足りない戦闘能力は魔法で補えば良い。
 それこそ、自分のように。
 とは思うのだが、それにしたって限度がある。本人に『戦って勝ち残る』という気持ちがないのであれば、第4師団が求めるほどの戦闘力は得られない。
 アートレートが部下として欲するのは、あくまで最低限第4師団内でやっていける戦闘能力を備えていれば、の話である。それは資質も込みでだ。資質のない――闘争心がない人間を育て、なおかつ分隊を危険に晒すかもしれない者を置きたいと思うほどではない。
 確かにいくら総務部門卒、と言っても護身術くらいは出来るだろう。そしてそれは第2部隊であれば通用するかもしれない。しかしながら今さら第2部隊に異動されるくらいなら、このまま第4の事務を続けていてほしい。
 第4師団は能力が戦闘に特化しがちだ。彼女のような捜査補助能力がある人間が1人でも多くいてくれれば助かる。
 と、おそらくどの分隊長も思っていることだろう。――レッティス以外。
 レッティス分隊でそういったことに頭を抱えるのは副分隊長とエレクトハの仕事だ。

「……お前はレッティスのようにならぬように」

 実力がある故に、将来分隊長となったウルグが部下を困らせる様子が易々と想像出来る。
 心配になったアートレートが後ろを歩くウルグに忠告すると、彼は小首を傾げながらも「わかりました」と頷いた。
 本当にわかっているのかどうか疑問が尽きないところではあるが、それを問いただすよりも先に集会所が見えてきた。
 戸口には第1部隊の隊員が2人、見張りとして立っている。アートレートが「御苦労」と声をかけると、部隊員は敬礼でそれに返した。

「重要参考人は起きているか?」
「おそらくは」

 一応確認しただけで、起きているだろうとアートレートは経験上知っていた。並みの人間であれば、牢屋に入れられれば不安と興奮で眠ることなど出来はしない。ましてや、やましいものを抱えた身だ。ことさらだろう。
 集会所の中に入り、地下にある牢屋へと足を運ぶ。
 階段を下りた先はまっすぐ伸びる短い通路があり、その右手側に2つ牢屋がある。そのうちの手前の牢に、カッツ・キューレイが座りこんでいた。
 高窓から漏れる月明かりと、壁に設置されたランプで照らされた彼女の姿はシャルロア・メルが描いた似顔絵そのままだったが、本物の方が疲労の色が濃かった。

「カッツ・キューレイか?」

 アートレートの確認に、キューレイは力なく頷いた。

「眠れそうにないのであれば、軽く話をしてもらいたい」

 不安で胸がいっぱいで、眠気など訪れていないらしい。彼女はまた頷いた。
 かわいそうな話だが、ここに来る前に第4師団に連絡を入れて、シャルロア・メルを寄こすように言ってある。彼女にはまた似顔絵を作成してもらわなければならないだろう、とアートレートは読んでいた。寝ているところを起こされた彼女は数時間でここに到着するだろう。本格的な取り調べはシャルロア・メルを待ってからになるが、大まかな流れを確認しておくことは出来るし、必要だ。証言にブレがないか確かめる意味合いでも。
 アートレートは壁に背を預けて、簡単な問いかけをする。

「貴女には騎警団所有の魔法火傷治療薬盗難を手引きしたのではないか、という嫌疑がかかっている。これについて反論はあるか?」
「……ありません」

 ――ないか。素直だな。
 アートレートは改めてキューレイを観察した。髪に潤いがなく、女なのに手の甲に筋が出るほどやつれている。一見逃亡生活からくる苦痛のように見えるが、それにしては痩せすぎている、と印象を修正した。
 ウルグはこれに気付いているのか、横目を使うが気付いている様子はなかった。じっ、と成り行きを見守っているように見える。
 ――お前、少しは考えろ。
 ウルグはどちらかと言うと、思考よりも勘が冴える型だ。荒事では重宝しても、捜査でそれを多用されるのは困る。真相を暴く類のものは、理屈や理論を使って大衆を説得することが必要で重要なのだ。個人だけが理解していても、それは真相究明とならない。
 つまりは論理的思考を身につけてほしいということである。
 だがレッティスという悪しき見本がある以上無理かもしれないな、とアートレートは半ば諦めて、キューレイに視線を戻す。

「手引きした者との関係性は?」
「…………こい、びとでした」

 乾いていた彼女の瞳が、瞬く間に悲しげに潤む。
 ――でした(・・・)……過去形か。
 よくある話だが、非常に心情が面倒な話でもある。

「男の名前は?」
「イサン・ウォッルと」

 アートレートは念のため脳の片隅に記憶しておくことにしたが、それは偽名であるだろうということもわかっていた。

「今、その男と連絡は?」

 キューレイは言葉なく、ただ首を横に振った。
 推察するまででもない。とどのつまり、キューレイは恋人――のフリをする悪い男に騙されたのだ。そしてそれを本人も理解している。

「知り合ったのはいつだ?」
「3カ月ほど前に……酒場で声をかけられて、仲良くなって……」

 受付の女性が言っていた「3か月くらい前から急激にキレイになった」との証言とも見事に一致する。女性は女性の変化に敏感なのだ。
 改めて女の目敏さを恐ろしく思いながら、アートレートは核心を訊ねた。

「鍵を男に渡したのはいつだ?」
「……確か、二週間前……いいえ、17日前」

 アートレートは内心舌打ちをした。17日前、というのが本当ならば、男は今かなり遠くまで逃げているはずだ。やはり盗まれた日に対して盗難が発覚したのが遅れたことが痛い。
 ――エッテル領地からの逃亡ならば、国外逃亡も視野に入れられる。
 国内に残っているか、非常に危うい線だった。普通に考えるなら、残っていない。騎警団の薬に手をつけたのだ。アートレートならば高跳びをする。

「何故、盗難の手引きを?」

 一瞬の沈黙が牢に満ちたあと、彼女は口を重く開いた。

「彼は……薬師だと名乗ったんです。私がパッフェル商会に勤めていることを知ると、後学のために様々な魔法薬を見てみたい、とも言って。研究のために、ほんの少し中身をもらうだけだから、と言ったから……」

 なるほど、とアートレートはため息をつく。
 カッツ・キューレイについての仔細は頭にたたき込んである。彼女は34歳になる現在まで恋人どころか恋の一つすらしなかったらしく、勉学や仕事に情熱の全てを注いでいたようだ。しかし一年ほど前から友人に「人恋しい」と漏らしていた。結婚適齢期を過ぎ、伴侶がいない寂しさを肌に感じる歳になったのだろう。
 そんなときに、愛を囁く男と出会った。
 ろくに恋をしたことがなかった彼女は、遅い青春に翻弄されて冷静な判断能力を欠いた。
 男は最初からキューレイがパッフェル商会に勤める秘書だと知って近づいたはずだ。キューレイはその思惑に気付かず、恋しい男の望むままに鍵を持ち出して渡した。鍵はきちんと返ってきたのだろう。しかし本質は生真面目なキューレイが後に倉庫に確認に行ってみれば、魔法火傷薬が大量になくなっており、恋人とも連絡がつかなくなっていた。
 彼女は己のしでかした事態の重さにやっと気付き、悩んだ。おそらくは食事ものどを通らぬほどに。逃亡生活の短さの割にやつれているのは、悩んでいた期間が長かったからだろう。そして緊張に耐えきれず、点検で盗難が発覚する前に姿を消した。
 愚かなことだ、とアートレートは苦々しく思う。
 もちろん騙した男が一番悪いが、キューレイも被害者の枠に収まらない。彼女は男に騙された被害者ではあるが、パッフェル商会の信頼に傷を付け、騎警団に損害をもたらした加害者でもある。同情はするが、罪は罪。容赦は出来ない。

「ねぇ、お姉さん」

 それまで黙っていたウルグが、口を開いた。

「次からはさ、お姉さんが大事にしてきたものを欲しがる男なんて、止めときなよ」

 キューレイは虚ろだった瞳を潤ませて、俯き、小さく何度も震えるように頷いた。
 その反応を見て、アートレートは己の良心がほっとするのを感じた。
 ――相変わらず、悪の道に転んだ者を引き戻すのが上手い。
 ウルグと話していると、どことなく安堵する。それはウルグの朴訥な雰囲気と物言いに因るものなのだが、こういった場面でアートレートは重宝していた。
 ウルグは論理的に人を説得できないが、鋭い勘で相手が言って欲しい言葉に気付き、それを自分の言葉にして人を説得することが出来る。これを無意識にやっているようなので、第4師団員の中ではエレクトハの次にモテるのが彼だ。
 ――これが意識的に出来るようになれば、取り調べを任せられるんだが……。
 どうやら意識すると勘が鈍るらしい。世の中上手くいかぬものだ。
 アートレートは密やかにため息をついた。
 ――上手くいかないと言えば、エッテル基地もな……。
 第4師団員が精鋭である自覚はあるのだが、それにしたってエッテル基地の第2部隊は連携が妙に取れていないところがあるようだし、事務員も仕事が遅い。第4師団の中では温厚だと言われるアートレートが苛立ちを覚えるくらいだから、レッティスやファルガ・イザラントであればとうにキレているだろう。
 北部の人間は雪に立ち向かうため団結が強いと聞いていたのだが、このエッテル基地に至っては例外であるようだ。
 正直なところ、事務の仕事が遅い理由はわかっていないが、アートレートは第2部隊の連携齟齬の原因は見抜いていた。どうやら分隊長である赤髪の美男に周囲は不満を溜めているらしく、士気が下がり気味なのだ。伝令を間違えたり、連絡が上手くいかなかったりと細々した問題ごとが起きている。おかげでアートレートの中でエッテル基地第2部隊の評価は底辺に等しい。仕事をしろ税金泥棒(ティダット)らめ、と思わず先の大戦中に覚えた下品な言葉(バルバ)を脳内で使ってしまったので反省し、感情を落ちつかせる。
 斯く言うアートレートも赤髪の分隊長と幾度か話したが、そのたびに敵意やら妬みやら不満やらをにじませてきて、何度このクソガキがと思ったことかわからない。
 同じ分隊長という地位であっても支部と本部では階級の重みが違う。
 厳密には頂点を団長とし、副団長、師団長、副師団長、領都総部隊長、領都副総部隊長、領都部隊長、領都副部隊長、総部隊長、副総部隊長、部隊長、副部隊長、師団分隊長、領都分隊長、分隊長というふうに下がっていき、その下の副分隊長と一等兵と新兵は師団に在籍しようが部隊に在籍しようが偉さに変わりはない。
 しかし例外的に、第4師団員は任務が特殊なだけに、他の部隊員や師団員に比べて権限がかなり強い。第4師団分隊長は領都部隊長に意見を述べ、協力を求めることが出来る程度の権限はある。
 ので、現在の事件は本部、それも第4師団分隊長であるアートレートが現在指揮を取っているのだが、あの男はそれがよほど気に入らないようだ。その視線の鬱陶しさに、頭の中で魔法をぶっ放したこともある。当然相手と違い、アートレートはそんな内心は欠片もにじませなかったので、隣に立っていたウルグも気付いていないだろうが、両手で数えるくらいの会話回数でこれほどまで苛立たせるのだから、ある意味アレは煽りの天才なのかもしれない。
 もちろん分隊長にまでなった男だ。煽りだけが上手いわけでもないだろう。
 それでも、しかし。
 ――才能はあるかもしれんが、アレは人の上に立つ器ではない。
 そのうち失態を犯し、降格でもしてくれればいいのだがな、と第4師団員らしい物騒なことを考えながら、アートレートはため息をついた。





********





 ――最悪だ。
 夜中に叩き起こされてエッテル領地へ向かえ、と言われたことではない。そもそも眠っていたのではなく、ドアの向こうから人の気配がしたから慌ててベッドに潜って眠ったふりをしていただけだ。本当の魔女の眠りはすでに終えている。おかげで目はぱっちりだ。
 ならば何が最悪か?
 魔女と因縁の深い地を再び訪れるはめになったことか。
 恋に破れ涙ぐむ女性から記憶を読み取り、元恋人の似顔絵を描くはめになったことか。
 否。
 シャルロアが最悪だ、と思ったのは、イッセティンダ町の集会所での任務を終えてエッテル基地の捜査資料を整えて帰ろう、と捜査本部として提供された部屋に向かう途中のことだ。
 呼び出し、移動、キューレイからの聞き取り調査で時間を取り、シャルロアがエッテル基地に戻ってきたのは辺りに爽やかな朝が広がった時間だった。マヴィス基地内も夜中の静けさが嘘のように賑やかになり、朝食をとる者、朝練をする者などを見かけた。
 エッテル基地も他の建築物に倣い、外見も内装もずいぶんと色彩豊かとなっている。外壁はさすがにピンクではないが、騎警団の制服よりも明るい緑。内装も師団、あるいは以前訪れたデバイトウォーネ基地よりも派手だが、慣れれば特に鬱陶しいと思うようなほどのものでもなかった。ただ、夜はその内装の明るさゆえに逆に辺りの静寂が目立ち、居心地は悪いかもしれないとは思う。
 なので空が朝日を迎え、それに伴い基地内が人で賑わう様子はまさしくふさわしい、としか言えない。
 その賑わう人の中に先日の分隊長――イゼットの姿があった。
 彼は食堂で事務員の女性たちに囲まれながら朝食を食べていたのだが、その食堂の脇をすり抜けようとしたシャルロアとアートレート、ウルグの姿を偶然見つけてしまったらしい。ご丁寧に朝食を中断し、女性たちをテーブルに置いてこちらに呼びかけ、話しかけてきた。

「どうも、アートレート分隊長。今日もよろしくお願いしますよ」
「あぁ、よろしく頼む」

 イゼットの挨拶と表情にはシャルロアも何か含むものを感じたが、アートレートはしれっと受け流してにこやかに挨拶している。彼はまったく気にしていないらしい。
 ――アートレート分隊長、大人だなぁ……。
 そう思いながらイゼットの視界に入らないように、身体の大きなウルグの陰に隠れていたのだが、案の定イゼットの視線はシャルロアにも向けられた。

「よぉ、メル?逢引の約束をすっぽかすたぁ、お前も罪な女だな」

 ――はぁ?
 思わず怪訝そうな表情を浮かべそうになって、慌てて取り繕った。
 ――逢引の約束なんか、して……。
 ないはず、と言いきろうとして思い出す。イゼットが言っているのは、彼が一方的に取りつけた強引な食事の約束のことだ。
 シャルロアとしては了承した覚えがまったくなかったので、言いがかりである。
 シャルロアは反論しようとして――ぎくりと身を強張らせた。
 イゼットの後方――彼が朝食を食べていた席の周りにいる女性たち……否、食堂にいる若い女性たちが剣呑とした視線をシャルロアに向けていた。
 ――なるほど。
 やっと理解した。このイゼットはどうやらエッテル基地きっての色男で、彼を慕う女性隊員が多くいる。シャルロアが若い女性たちに敵意を向けられるのは、この色男に声をかけられたというのに、約束をすっぽかしたとんでもない悪女に思われてしまったからだ。
 この基地において、どちらの信用が高いかなんて聞くまでもない。シャルロアがどんなに約束していなかった、と訴えようが、エッテル基地の女性隊員の悪感情を煽るだけだろう。
 自分たちが好きな男の約束をすっぽかしただけでなく、言い訳までする最低な女だと。
 ――くっそ面倒!
 意地悪くにやにや嗤うイゼットは、この状況をわかっている。否、作りだしたのだ。どうやら先日食事の誘いを断ったのが、よほど彼の誇りを傷つけたらしい。今思えば、先日第6部隊勤務室でわざわざ約束したように見せたのも、嫌がらせの一環だったのだろう。その嫌がらせを今またここで効果的に使い、シャルロアの株を下げてくれている。
 ――これどう答えても悪感情しか煽らないわ……。
 女の直感が訴えている。これは負け戦だと。

「あぁ、約束の相手は君だったのか。申し訳ない」

 何と返したものか困っていたシャルロアの横から、アートレート分隊長が話に割って入った。

「彼女から約束があると聞いていたんだが、師団の方で緊急を要する書類を作ってもらわなければならなくなったので、無理を言って残業をしてもらったんだ。いや、一応彼女も伝令を頼んでいたようだがミスがあった(・・・・・・)ようだな。まぁここではよくあるミス(・・・・・・・・・・)だろう?許してやってほしい」

 ――あれ?
 表面上とても穏やかな表情のアートレート分隊長だが、シャルロアは彼の台詞に微妙な引っかかりを感じた。だが何に引っかかっているのか自分でもわからない。
 さらに瞬きの後に横目を使って観察すると、いつもどおりのアートレート分隊長がいる。そのあまりの堂々たる姿に、引っかかりを覚えたこと自体が間違いだったのか、とシャルロアは思い直してしまった。
 ――気のせいか。いつも通り、キレイな発音だったし……。
 イゼットも束の間きょとんとしたのか、毒気が薄れていた。

「え、えぇ……」
「では私たちは仕事に戻るので、これで」

 カツン、と足音を高く響かせて歩き出したアートレート分隊長に、シャルロアもウルグも自然と続いた。
 なんとはなしに、彼の後に続くのが当たり前のような錯覚に陥る。
 ――ん、あぁ……これが貴族の振る舞いか。
 しばしアートレート分隊長の背中を呆然と見つめてから気付いた。
 人を従えて当然。アートレート分隊長のそういう振る舞いは分隊長だからというよりは貴族だから、という理由の方が強く思える。

「あの……アートレート分隊長、ありがとうございました」

 シャルロアが小さな声で礼を言うと、先を歩くアートレートは少しこちらを振り返って苦笑を浮かべた。

「気にするな。……面倒な男に目を付けられたな」
「あ、やっぱメルって約束ってやつ断ってたんだよな?」

 何も言わなかったウルグが事情を察していることに、シャルロアは驚いた。
 しかし。

「副師団長の嫁があんな野郎と逢引なんかしねぇよな!」
「嫁じゃない」

 にこやかに問題発言をしてくれたので、冷えた声音で訂正しておいた。

「……っていうか、ウルグ、分隊長に向かってあんな野郎はマズイでしょ」
「えー。面と向かって言ってるわけじゃねぇし、いいだろー?俺、あの分隊長嫌いなんだよなぁ。目下は眼中ないって感じがさー」
「ウルグ、上官を好き嫌いで語るな」

 ウルグの発言をアートレート分隊長が上官らしく正した。

「有能か無能かで語れ」

 ただし、アートレート分隊長も第4師団所属だった。常識的な窘めは第4師団所属である、というだけで期待してはいけない代物なのだ。
 遠い目をするシャルロアに、アートレート分隊長が話しかける。

「今後、切羽詰まった状態にならない限りは君をここに呼ばないようにする」
「え、いや、そこまでしてもらうわけには。任務なら針のむしろでも耐えますよ」
「特別扱いしているわけではなく、危機管理だ。これが師団でのことならあの男の方を僻地に飛ばすが、今回は君がここに来ない方が揉め事が起こらず済むだろう。先に言っておくが君が責任を感じる必要はまったくない」

 彼は凛々しい顔つきで、言い切った。

「だから副師団長に面倒な男に口説かれた、と漏らすのは止めてくれないか?」
「考えてもなかったです」

 シャルロアがばっさりと斬ると、アートレート分隊長はホッとした表情を見せた。

「エレクトハから、君を口説こうとした部隊員に魔法を向けたという話を聞いていてな……」
「いや、アレは勤務中に不真面目な態度をとっていたからという意味合いもあると思いますよ。まさかここまで来るわけないでしょう」
「何と言うか……あの人は、同じ獲物を狙う輩に対して、巨大な力を見せて戦意喪失させるという戦法を好んで使うんだ……」
「はぁ……」
「そしてその巨大な力でどれだけ周りに被害が出ても、気にしないんだ……」
「迷惑……ですね……」

 気にしてくれ、頼むから、とシャルロアは思った。おそらくアートレート分隊長は何度も思っていることだろう。ため息の重さに年季が入っている。
 とりあえず、と彼は話を続ける。

「君が描いてくれた似顔絵のおかげで、捜査が進展した。重要な仕事は終えてくれたので、何かない限りは君を呼ばずに済むはずだ」

 ひらひら、とアートレート分隊長が振って見せるのは、シャルロアが描いたカッツ・キューレイの元恋人の似顔絵だ。
 恋人となるため近づいた、という割にはあまり見目麗しい容姿ではなかったが、案外凡庸な顔立ちの方が警戒されずに女性と仲良くなりやすいのかもしれない。
 ウルグもアートレート分隊長もこんな黒髪黒目の地味な男が女性の心の隙間に入り込むとは、とでも考えているのだろうか。じっと似顔絵を見つめていたが、ふとアートレート分隊長が足を止めた。
 付随して、シャルロアとウルグも足を止める。廊下で3人棒立ちの状態だ。

「アートレート分隊長?どうしたんですか?」

 ウルグが首を傾げてアートレート分隊長の顔を覗きこむ。

「……この男……見覚えが……」
「え?」

 彼の呟きに、シャルロアは呆気に取られた。

「まさか、お知り合い、ですか……?」
「いや、そうじゃない。何だったか……資料で見たような……今唐突に……何か……」

 似顔絵を睨むアートレート分隊長だが、その目は似顔絵ではなく脳内の記憶を探っているかのようだった。ウルグが何も言わずに控えていることから察するに、これは声をかけない方がいいとシャルロアは判断した。
 ――前科持ちだったのか?国内で最近犯罪を?
 そんな予測を立てるシャルロアの遥か上をアートレート分隊長の台詞は飛び越えて行った。

「盗賊団の下位幹部だ」
「どの領のです?」
「隣国だ。ジェレン王国の盗賊団の幹部の末席も末席だった」

 ――この人、隣国の犯罪者の顔まで覚えてるのか……!
 どの領、と聞いた割に隣国と答えられて、ウルグはまったく驚いた様子がない。つまりアートレート分隊長は、隣国の盗賊団の下位幹部の顔を思い出せるほどの記憶力を持っていて、それが披露されるのは珍しくないことなのだ。
 犯罪や事件を追う第2部隊や第2師団でも、おそらく隣国の犯罪者の顔を覚えている者は少ないだろう。国内で犯罪をされなければ、オルヴィア王国、ひいては騎警団はなんの痛みもないからだ。それでも優秀な者の中には、隣国の主だった犯罪者の顔なら覚えている者もいるかもしれない。密入国されるかもしれず、そうさせた場合外交でも治安でも痛手を負うのはオルヴィア王国の方だ。それをわかっている者は覚えているだろう。
 だが、盗賊団の、下位幹部は微妙なところだ。幹部や首領ならば覚えていても損ではないが、下位幹部はさほど重要性が高くない。それよりはやはり、現在起こっている事件の犯人を追ったり、顔を覚えたりする方が重要だ。
 では第4師団員は全員隣国の下位犯罪者まで覚えているのか、と問われると――おそらくはこれも否、なのだろう。実際ウルグは知らなかった。それを生真面目なアートレート分隊長が叱責しないのであれば、覚えていることは必ずしも要求されるものではない能力と見える。
 ずば抜けた、記憶力。
 これがアートレートの秀でた能力だ。
 第4師団に穏やかなだけの人物がいるはずない、彼もまた何か秀でたものがあるのだろうと思っていたがシャルロアは改めて恐ろしい、と思った。常識的で第4師団の中では話が通じる人物であっても、傍から見ればとんでもない才能を隠し持っている。
 ――魔女だとバレて逃亡する場合、エレクトハさんじゃなくてアートレート分隊長の方に要注意ってことか。
 シャルロアは彼に顔を覚えられている。おそらく、細かく。それは変装した犯罪者を見逃さないようにと培われた癖のようのものであるはずだが、逃亡者には地味に嫌な能力をお持ちになっている。
 さらにこれにエレクトハとウルグの聞き込み調査。最後に『雷鳴獅子』が登場だ。
 ――狩られる気しかしないな!
 異能があるとはいえ、シャルロアは身体的には普通の人間だ。殴られれば痛いし、斬られれば血が出るし、撃たれれば死ぬ。さらに魔法も防御できない。魔法が魔女の異能を防御できないのと同じく、魔女の異能もまた魔法を打ち消すことは不可能だ。魔法を打たれたら間違いなく死ぬ。
 魔女の異能はどうやら色々あるようだが、基本的にシャルロアの能力は奇襲・隠密・探索能力系統に寄っており、決して攻撃系ではない。
 ――これは死ぬ気で第4師団を敵に回すようなことはしないようにしないと……。
 戦々恐々とするシャルロアを置いて、アートレート分隊長とウルグは話を続けていた。

「こいつ、盗賊団を追われたんですかね?」
「いや、半年前にこいつがいた盗賊団自体が壊滅している。ジェレン王国警察の囮捜査にまんまとやられたらしくてな、首領と上位幹部が根こそぎ逮捕された。下位幹部には盗賊団をまとめられるだけの能力がなかったので、逃げ延びた輩は散り散りになったようだ。そういう話を聞いて、下位幹部がこちらに流れてきたら面倒だと思って手配書を見たのを今思い出した」
「分隊長、詳しいっすね」
「姉の友人の姉の元侍女がジェレン王国の男に嫁いでいる。彼女らが住む領地内でのことだったので、仲が良い元同僚の侍女に手紙を書く際、そのような世間話を入れたようだ。その話が侍女から友人の姉に渡り、さらに姉経由で私の耳に入っただけのことだ」

 姉の、友人の、と関係が続いて説明される中で、ウルグは早々に理解を諦めたらしく、話半分でふんふんと聞いていた。
 それを見破ったアートレート分隊長は呆れた表情をする。

「お前が聞いてきたんだろう」
「女の人の情報ってすげぇ、ってことはわかりましたよ」
「……的は射ているな」

 確かに、とシャルロアも内心頷く。

「しかし隣国の盗賊団幹部か。末席とは言え、微妙に外交問題が絡むのが面倒だな」
「あー。密入国させたっつういちゃもんとか、引き渡し要求とか面倒っすねー」
「こちらとしては末席とは言え、盗賊団幹部を取り逃している隣国の警察の無能さを指摘したいところだが」
「もう何も知らなかったことにして、しらっと逮捕しちゃいましょうよ」
「……師団長に仰がねばならんだろう」

 アートレート分隊長はちら、とウルグを見てから重くため息をつき、シャルロアに視線をよこした。
 目が物を言っている。『君が報告してくれないか』と。
 シャルロアもウルグに報告、というよりも伝言を頼むのは不安要素が大き過ぎると思うので、頷いた。














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