山札の詐欺札【やまふだのさぎふだ】
 詐欺師が山札の中に如何様札を入れて、遊戯を思うように操る様。転じて、自分がわざと起こした問題事を自分で解決すること。

――オルヴィア王国出版 オルヴィア国語辞典より







********





 人が故意に起こした災害も、果たして人災と言えるのだろうか。
 彼女は目前にある瓦礫の山を、呆然と見つめる。
 よくある町のよくある貧民街の一角にある、よくあるオンボロ倉庫。よくある犯罪の取引などに使われる、ありふれた場所だ。
 騎警団の一員としては犯罪の温床となる場所を放置しておくわけにはいかないが、彼女が在籍する師団ではその取り締まりは管轄外であり、彼女もそこに手を出す気はまったくない。
 そもそも、人目を忍ぶ場所を潰されすぎるのも困るのだ。彼女のような――隠密行動を任務とする者は、特に。
 こういったひっそりとした場所を好んで使うのは、何もやましいことをしている人間に限ったことではない。『猫』と呼ばれる者たちも、しばしば利用する。
 実際、この倉庫も幾度か任務で利用した覚えがあった。レンガの壁が音を吸収し、そこそこ機密性に優れていたので使い勝手が良かった。近場で仕事があれば、ここをまた利用しようと記憶したことも覚えている。
 その倉庫が、瓦礫の山と成り果てていた。
 月光の下、もやのような埃が瓦礫の山から足元に流れてくる。

「……獅子閣下(クラッケ・ウォーバ)

 ぬくもりの欠片も感じない彼女の声に、斜め前に立つ浅黒い肌の男が軽く振りかえった。
 金色の瞳が、獰猛に細くなる。
 威嚇ではない、と彼女が気付けたのは(ひとえ)に他人の顔色を判断することを迫られる師団にいるからだ。対象の不機嫌とご機嫌を読み違うようでは、死を免れない場面だってある。
 彼の細くなった瞳に宿るのは、明らかに愉悦。
 しかしそれが笑みなのだと気付いても心地は悪いし、彼女の後ろにいる第2部隊の者たちなど凍りついて、猛獣から隠れでもするかのように息を潜める有り様だ。

「師団長閣下の命令は『一網打尽にしろ』だぜ?命令違反じゃねぇだろ」
「建物を廃墟にしろとも、殺せ、とも言っておられなかったはずですが?」

 瓦礫となった倉庫には、人身売買組織の人間がいた。
 否、いる(・・)
 現在進行形で、組織の人間が瓦礫の下に埋まっているのだ。
 そんな状況を作り出したのは、他の誰でもない『雷鳴獅子』である。
 人身売買組織の者たちが今夜ここに集まる、という情報を『猫』である彼女から聞いた『雷鳴獅子』は、指揮下にある第2部隊員たちを連れてここにやってきた。
 嘆かわしいことに、この国で戦後から横行する最大の闇商売は人身売買である。孤児となった無力な子供たちを攫い、売る。そのおぞましき商売人は潰しても潰しても後を絶たない。しかも最近では子供だけではなく、若い女性や男性もその餌食となる傾向が見え隠れしていた。若者不足に喘ぐこの国で、将来の働き手となる存在を喰う輩は『凶悪』他ならない。
 故に、今回の人身売買組織の摘発には第4師団が投入された。
 現場に向かった『雷鳴獅子』が指揮をして、大捕り物が始まるのか、と思いきや。
 『雷鳴獅子』は部隊員たちを後ろで待機させ、目標である倉庫に向けて魔法を放った。暴風の魔法である。
 通常、戦時にしか使われない――というか、そういう場合に使おうとしか考えない荒々しい大魔法を、『雷鳴獅子』は躊躇いなく放ち、目標の倉庫だけをいっそ見事に壊した。それでいて、その表情に疲れの一片も浮かばないのだから、化け物である。猛々しい威名は伊達ではない。
 呆れる彼女を前に、『雷鳴獅子』は嗤笑を浮かべ、崩れたレンガを乱雑に蹴った。

「殺すなんてヘマするか。奴らは防壁で守ってある」

 『猫』は目を軽く見開いた。

「探知魔法も併用したから、漏らしはねぇぜ?ま、防壁で守ってあるっつっても下手に動けばレンガに押し潰されるのはガキでもわかる。のんびり掘っても奴らは逃げねぇよ。足止め、拘束、一石二鳥だろ?」

 あぁ、いや、と『雷鳴獅子』は自身の発言を訂正する。

「この倉庫、違法建築物件だったな。取り壊しも出来て一石三鳥だ」

 ゴロゴロと愉快げに喉を鳴らすその男に、彼女と第2部隊の隊員たちは何も告げることが出来なかった。





********





 外はからりとした暑い風が吹き、緑の濃い木々を揺らす。濃い青空と白い雲の対比が美しい夏が、本格的にこの国にも巡って来た。
 朝からさんさんと照る太陽を浴びながらシャルロアが出勤すると、シェストレカ師団長が通信機の受話器を持ったまま、頭を抱えていた。
 師団長から発せられる空気は、確認する前に感じた。凍てつく冬である。
 その影響で、相も変わらず床で寝転がっている数名の師団員たちは、未だ冬眠する獣のように気配を押し殺している。
 シャルロアもそれに倣い、存在を希薄にしながら勤務記録機を押す。
 ――この光景、先週も見たわ……。
 先週、というか、導入された暦表によれば2日前のことである。
 そのとき師団長が頭を抱えた相手はレッティス分隊長だったわけだが(ちなみに何をしたのかは恐ろしくて聞いていない)、はてさて今回は。

「……確かに一網打尽にしろ、とは言いましたよ。ですが違法建築物まるまる一軒暴風で潰せ、とは言わなかったはずですがね?それに君は何度言えば、『一網打尽』は『病院送り』と同義語ではないとわかってくれるのです?」

 ――あぁ、副師団長かぁ……。
 『雷鳴獅子』。ファルガ・イザラント。
 するりと湧いた答えは、疑いようもなかった。他のどこに、建物一軒を壊す人間がいるというのか。もしファルガ・イザラント以外にいるのなら、世界は滅びに向かうに違いない。
 静かな勤務室に、受話器からファルガ・イザラントの声が漏れ聞こえる。

『減俸1カ月』
「馬鹿をおっしゃい。減俸6カ月ですよ」
『減俸2カ月』

 うわぁ、と思いながらシャルロアは自分の席に着く。処罰の値切り合いなんてもの、初めてみたし、第4師団以外では見られないだろうと確信する。
 ギシリ、と事務椅子が軋んだことで師団長の視線がシャルロアに向いた。
 会釈をする前に、その緑色の瞳が悪賢く煌めく。

「……よろしい、減俸2カ月で手を打ちましょう」
『なんか企んでるな』
「そのかわり向こう2カ月、メル君と休日が合うことはないと覚えておきなさい」
『鬼畜か』

 恨み言であるはずなのに、ファルガ・イザラントの声音はどこか愉快気であった。

「障害があった方が燃えるでしょう、君」

 反論がないあたり、師団長の言葉は図星なのかもしれない。
 が、シャルロアにとってはとばっちりだ。
 ――お願いだから師団長、副師団長を煽らないでいただけますかね!?
 罰を受ける本人がさほど傷を負っておらず、その煽りを受けたシャルロアが致命傷を負うのは、色々と間違っている気がする。
 しかしそれを指摘し、訂正してもらう前に、シェストレカ師団長は受話器をガチャリ、と戻して通信を切ってしまった。
 そうして先ほどの会話などなかったかのように、爽やかに微笑む。

おはようございます(ウラーヴァ・デッヘン)、メル君」

 ――騙されませんからね!
 その笑顔が浮かんだときが、一番油断ならぬときなのだ。
 シャルロアは挨拶を返しながらも、指摘を諦めない。

おはようございます(ウラーヴァ・デッヘン)、シェストレカ師団長。さっそくですが物申したいことがあります」
「ははは、大丈夫ですよ、メル君。イザラント君のお給料が2カ月減ったところで、結婚式を挙げることが出来ない事態になんて陥りません。最高のドレスを用意してくれるだけの男気はありますとも」
「私にはまったく関係のないお話ですが、副師団長の未来のご令閨(れいけい)は安心ですね」
「嫌ですね、君のお話をしているんですよ?」

 獲物を捉えた猫のような笑みに、シャルロアはうっ、とたじろぐ。
 ファルガ・イザラントの獰猛な笑みには慣れたものの、師団長のそれには未だに慣れない。人生の経験値に裏打ちされたものがにじみ出る圧迫感は、16年しか生きていない小娘を押さえるには充分すぎる効果を発揮している。
 が、ここで負けてはならない。うっかり曖昧な態度を取ろうものなら、それこそ相手に餌を与えるようなものだ。

「……そもそも、師団長のお仕事に仲人役は含まれていらっしゃらないのでは?」

 シャルロアの言葉を、シェストレカ師団長は一笑に付した。

「イザラント君のことであれば、含まれるに決まっていますよ」

 ――は?
 よくわからない回答にシャルロアが訝しげな表情を浮かべると、シェストレカ師団長は椅子の背もたれにゆったりを体重を預けた。

「メル君。イザラント君はかの『雷鳴獅子』ですよ。戦時の劣勢を立て直し、勝利に導いた英雄です」
「それは、知っていますが」
「英雄とは、兵器と同義語です」

 やんわりとした笑みとは対照的に、師団長の声音は冷ややかだった。
 その温度差に、シャルロアは思わずぎくりと身を強張らせる。

「剣の一振りで恐れを集め、言葉一つで士気を上げる、思考する兵器です。その威力が絶大だと知っているからこそ、私たちは彼をオルヴィア王国に留めておかねばならない。有効な手段は、この国に手放せないものを持たせること。そうだと思いませんか?」

 ――つまり、副師団長に出奔されたら困る、と。
 だから騎警団――国は、ファルガ・イザラントが家庭を持つことを推奨しているわけだ。妻、子供が出来れば祖国を裏切る確率が大幅に減る。それはオルヴィア王国の戦力を盤石にすることに繋がる。
 シェストレカ師団長は、決して善意や興味本位でファルガ・イザラントとの結婚を推し進めているわけではないのだ。

「英雄という立場に同情はしますが、私にも責任と言うものがありますからね」

 師団長は、国家の安全を担う者として、当然の行動をしているだけ。
 しかし。

「……ならそれは、他の誰かに割り振っていただきたいですね」

 その犠牲にシャルロア自身がなるつもりは、毛頭ない。
 そもそもがお門違いな期待だ。シャルロアも、シャルロアの家族も自身に危険が及べばこの国を出ていく心構えが出来ている。普通の家族であればない覚悟だが、生憎シャルロアは魔女(とくしゅ)だ。故郷を離れないことと命を守ることのどちらかを選べ、と言われたら命を守る方を間髪いれずに取る。
 故にそう否定したのだが、シェストレカ師団長の目が遠くを見つめた。

「君ね、彼が割り振って大人しく従うタマだとお思いですか?」

 ――違いますよねー。
 この賢しい師団長が過去、女をあてがわなかったわけがなかろう。しかしきっと、それらはすべて失敗したのだ。ファルガ・イザラントの興味を惹くものではなかった。いなされるか、突き返されるかしたに違いない。
 努力を無にされた、という一点においては多少なりとも同情はする。

「だからイザラント君が興味津々な君を嫁がせたいんですよ」

 同情するが、思い通りになるつもりはない。

「私には荷が重い話です」
「そう言わずに」
「おそらく副師団長も血迷っていらっしゃるだけかと」
「もし万が一仮に百歩譲ってそうであっても、血迷っているうちに妻を娶らせたいんですよ」
「血迷ってる男に嫁ぎたいと言う女性がいたらお目にかかりたいものです」
「だから、もし万が一仮に百歩譲って、と言ったじゃないですか。ほぼ確実に彼は本気ですよ。じゃないと私の前で好意を剥き出しにするわけないでしょう」

 それは暗に、シェストレカ師団長の前で特定の異性への好意を口にしたら裏から手をまわされて、どうあっても娶らざるをえない状況に追い込まれる……ということを、あの『雷鳴獅子』が忌避していると示唆しているのか。
 そもそもファルガ・イザラントを部下としている時点で非凡である証明はされているのだが、その理由をありありと感じ、シャルロアは間違ってもこの人の前でファルガ・イザラントに恋愛感情がある素振りはしないでおこう、と固く誓った。

「世間話はこれくらいにしておきましょう」

 その決意を解くように、師団長はがらりと話を変えた。

「近いうち、メル君にはエッテル領地にある基地へ向かってもらうことになるかもしれません」
「エッテル領地……ですか」

 エッテル領地と言えば、国の北部に位置する領地であり、なかなかに魔女との因縁が深い土地である。件の濡れ衣を着せられて処刑された魔女が呪った土地で、現在も謎の穀物病が領地を蝕んでいる。なので領地の名産は農作物ではなく陶器であり、領民はそれで外貨を稼いで穀物を他領地から輸入しているらしい。雪が降るほど寒い土地で穀物が育たないのは死活問題であり、実際先代の領主が陶器づくりを事業とするまでは度重なる飢饉に喘いでいたようだ。
 故に魔女への畏怖と差別が他の土地よりも強い。
 そんな場所へ赴かなければならないのは鬱々とするが、これも任務であるなら仕方ない。そう割り切って、シャルロアは表情には出さず、淡々とシェストレカの話に耳を傾けた。

「早朝、エッテル領地の第2部隊から連絡が入りましてね。エッテル領地首都マヴィスには国内薬市場占有率2位の製薬商会があるでしょう。そこの倉庫から魔法火傷薬が大量に盗まれたと」

 魔法火傷、というのは魔法によってもたらされた火傷のことで、そういう特殊な火傷は普通の薬草では治らない。特別に栽培された魔法薬草とそれを調合する専門知識によって作られた魔法薬が必要だ。
 金銀財宝というわけではないが、確かに高価な品物ではある。しかも財宝は嗜好品のため我慢できる人間も多いが、薬は必要な人間にとっては全財産を失っても構わない、と思えるだけの魅力がある。そこに自分や大切な人を助けられる現物があれば、手に入れることを我慢できる人間の方が少ない。
 しかも多くの魔法薬はどの国も自国でしか流通させない。魔法薬の技術が外国に漏れるのを嫌って、輸出禁止品に指定する。魔法火傷治療薬もその例に漏れなかった。
 だからその保護代込みで、魔法薬は高額商品となっている。
 薬の盗難、と聞けば一見不可思議には思えるが、盗まれるだけの価値はある代物である。
 しかし解せないのは、この案件が第4師団に上がってきた、という点だ。
 ――どう聞いても、これは第2部隊で解決出来そうな問題な気が……。
 シェストレカは手元の資料に目を落としながらも、シャルロアの疑問を読みとった――と言うよりも予想していたのだろう。もったいぶることなく、第4管轄となった理由を述べた。

「その倉庫に保管していた騎警団所有の魔法薬だけ(・・)が盗まれていたんですよ」

 即座に理解した。
 ――なるほど。それは……『凶悪』よね。
 騎警団所有、ということはつまり国が所有する財産ということになる。煌びやかでなくとも、いざというときに人を助けるための価値ある物なのだから、薬は財産と呼んでいいはずだ。
 実際他国であっても、流行病に備えた治療薬の常備は当然のこと。魔法火傷治療薬も、先の大戦による魔法の劫火で大勢の民が火傷治療薬が足りずに死んでいった、という苦い経験からオルヴィア王国では常備薬指定されている。騎警団所有扱いなのは、戦線に向かうのは常に騎警団であるからだ。
 騎警団所有の薬は常に民のためにある。
 その国民を助ける薬を盗まれた。
 今、もし、魔法の大火が国を襲えば、治療薬が足りずに大勢の民が死ぬだろう。
 死人が出ていないから凶悪じゃないわけではない。
 この事件もまた、第4師団が扱うに値する事件だった。

「第4師団の管轄になった理由はわかりました。けれど、私がエッテル基地へ向かう理由はいったい……」

 何でしょう、と問おうとしたそのとき、勤務室の扉がけたたましい音を立てて開いた。
 扉が跳ね返るほど勢いよく開けて飛び込んできたのは、巻き癖の黒髪が特徴的な上背のある青年だった。
 シャルロアが記憶を探ると、かすかに彼に関する記憶がよみがえった。面と向かって話したことはない。第4師団の人間は多忙を極めるため、それはめずらしいことではなかった。しかし彼が誰かと話しているのを見たことはある。その腰には剣や銃がさがっていたのではなく、戦斧がさがっていたので驚いた
 確か、名前は――ウルグ。ウルグ、といったはずだ。第4師団の最年少。年齢は20歳になっていなかったと思う。
 ウルグはすっ、と口を開いて、

「師団長!アートレート分隊長がメルを私にくださいって言ってます!」

 まさに腹から声を出した、と言わんばかりの声量で勤務室を震わせた。
 部屋の窓ガラスがビリビリ、と鳴ったのは幻聴か現実か。
 しかし真に場を震撼させたのは声量よりも、その内容であった。

「…………アートレート分隊長が、メルに求婚?」

 床に寝ていた誰かが漏らした言葉に、ざわっ、と動揺が波のように広がった。

「マジかよ!アートレート分隊長勇者だな!」
「これ、副師団長の耳に入ったらヤバくね?」
「アートレート分隊長が、まさかの下剋上宣言……!」
「副師団長に喧嘩売るって、無謀な!」
「いや、魔法戦ならアートレート分隊長も負けねぇんじゃねぇの」
「魔法戦にならねぇよう、イザラント副師団長が白兵戦に持ち込むだろ」

 ざわざわ、と各々が好き勝手なことを述べる中、シェストレカ師団長はにっこりと微笑んで、戸口に立つウルグに手招きした。
 彼は素直に師団長の前に立ち――投げられたインク瓶の蓋を顔で受け止めた。
 ぺちっ、なんてかわいらしい音ではなかった。ばちんっ、とビンタでも食らわされたような音がした。
 瞬時にざわついた室内が静寂に戻る。ベテラン師団員たちの危機管理は抜群であった。

「いでっ!」
「君は」

 シェストレカの口から、地を這うような低音が漏れる。

「何度言ったら、上司が言ったことをそのまま伝えるようにしなさい、という忠告を身に刻んでくれるのですかね?それと勤務室の扉は緊急時でもない限り慌ただしく開くな、と入団当初から口酸っぱくして言っているハズなんですが?何故毎回毎回、キレイさっぱり忘れて扉を勢いよく開くんでしょうねぇ?」

 微笑みながら叱る師団長の目は、恐ろしいほど冷ややかだった。もしこの発言を当のファルガ・イザラントが聞いていたら抱え込まなくていい問題ごとを抱え込むことになっただろう、という予測が容易についたからである。
 ファルガ・イザラントが喧嘩を売る相手が取るに足りない凡夫ならば、別に取り立てて言うことはない。相手が潰されても第4師団の痛むところはないからだ。
 だがしかし、アートレート分隊長相手に喧嘩を売られて、あまつさえ潰されるのは非常に困る。彼は疑うまでもなく有能であり、シェストレカの中では現在自分の後継者として指名すべき人物は彼を置いて他にいないだろう、と思っているくらいなのだ。今、必死に師団長の椅子に座らせるための経験を踏ませているところなのに、この馬鹿馬鹿しい言い間違いの一言ですべてを水の泡にされてはたまらない。
 そんなシェストレカの心の内を知らないシャルロアとウルグも、師団長の殺気を感じ取り、今回のことが地雷であったということは把握した。

「すみませんでしたぁ!」

 がばっ、と頭を下げたウルグを見やり、シェストレカはため息をつく。

「ウルグ君。言伝を預かっているでしょう」
「あっ、はい!」

 同じ勢いで頭を上げたウルグは制服の懐から紙片を取り出して師団長に渡した。彼は物静かになった緑の目で文字を追い、唇に指を当てる。

「……なるほど。事情はわかりました。メル君、こちらに」
「は、はい」

 先程の人をも殺せそうな視線が脳裏に残っているが、上司に呼ばれたなら向かわなければならない。シャルロアは少し怯えつつ、うぐぐ、と額を押さえて唸るウルグの隣に並び立った。
 シェストレカは消した殺気のことなど忘れたかのように振る舞い、彼女に改めて事情を説明した。

「エッテル基地へ向かってもらう理由ですが、製薬会社の倉庫の鍵は今流行りの特殊錠でしてね。魔法陣を錠と鍵で分割し、それらが組み合わさったときだけ物理防衛魔法が解除される仕組みの物です。これについて知識はありますか?」

 問われて、シャルロアは宙に視線を漂わせながら答えた。

「確か……合い鍵が作れない、と聞いた覚えがあります」

 魔法陣はその鍵に合わせて毎回陣が違うので、同じものは一つたりとてない。故に合い鍵を作ることは不可能。その点が一般家庭に普及しない不便さではあるけれど、その分だけ安全を保障されている。
 師団長はその言葉に頷く。

「今回の事件で注目すべき点はそこです。合い鍵が作れないので鍵は会長が持ち、会長室で保管することになっていたそうです。鍵を使う人間は会長か秘書から許可を得て使う、という形を取っていたらしいですが、現在の調べでは鍵は盗まれておらず、なおかつ怪しい人間が鍵を使う許可を求めた形跡もありません。と、なると」

 シェストレカは引き出しから転移許可書を取り出してサインする。

「疑うべきは秘書に定まるでしょう。その証拠に、秘書の行方が知れないそうです」

 そこまで説明されると、シャルロアでもわかった。

「似顔絵を描きに行けばいいんですね?」

 探せば写真が残っている可能性もあるだろうが、シャルロアが呼ばれた時点でその可能性は完全にない、と思っていいだろう。おそらくその秘書は家に自身の写真を残していなかったし、会社にも彼女が写った写真はなかったのだ。
 写真は記者か写真家が撮るものである以上、特別なものだという認識がある。だからシャルロアも家族写真は撮ったことはあるが、それも幼い頃に一度きり、自分だけが写った写真は持っていない。写真代は高いので、何かの記念の折――結婚したときや、子供が生まれたときに家族で撮ってもらうのがオルヴィア王国では一般的だ。きっと秘書は一人身であり、シャルロアと同じく自分だけが写った写真を持っていなかったのだろう。
 しかし行方知れずの秘書は、重要参考人として探さなければならない。写真がないから諦めよう、では済まないのだ。探す以上、多くの騎警団員には彼女の特徴を掴んでおいてもらう必要がある。
 だから似顔絵が描けるシャルロアが呼ばれた。そういうことだ。

「そういうことです。メル君には似顔絵捜査の経験を積んでもらうつもりなので、第4師団の管轄の中でこういった場面があれば呼ばれると思っておいてくださいね」
「了解しました」

 と、言いながらもシャルロアは若干腑に落ちなかった。
 ――あれ?私、第4師団員じゃないんだけどな……?
 捜査員として加わるつもるはまったくなかったはずなのだが。しかしこれも事務のうち、と広義的に見れば含まれる、のか?と悩むところである。

「――と、いうことを、本来なら行きがてらウルグ君、君に説明してほしかったんですよ」

 師団長に半目で睨まれたウルグは、額を擦りながら「すみません!」と元気よく謝った。反省と誠実さは見えるが、これが教訓になるような気配がまったくしない返事である。
 はぁぁ、とシェストレカは重いため息をついて、シャルロアに転移許可書を渡した。彼女に渡された時点で、シェストレカ師団長がシャルロアとウルグのどちらを信頼しているかはともかく、信用を置いているかは明白だった。

「一応、銃は携帯しておきなさい。後のことはアートレート君の指示に従うように」
「了解しました」
「了解です!じゃあメル、エッテル領地に行こうぜ」

 これから遊びに行こうぜ!くらいの気軽なノリで肩を叩かれ、シャルロアは少々戸惑いつつ、銃を腰にさげてから彼の後をついていく。
 廊下に出ると、ウルグはにかっと笑った。

「ちゃんと話すのは初めてだよな。俺、コモエ・ウルグ。第4師団の中じゃ俺ら歳も近いし、同じ一等兵だし、堅苦しい言葉なしでいこうぜ」
「はぁ……。じゃあ、お言葉に甘えて。私はシャルロア・メル。よろしく」

 よろしくな、と微笑むウルグには、エレクトハとはまた一味違う警戒心の解され方があった。
 彼の背はかなり高く、190センチ以上はゆうにある。普通それだけ上背があると圧迫感があり、どことなく近寄りがたい人物になりがちなのだが、ウルグにはまったくそれがなかった。むしろ彼の橙色の瞳が細くなると、安堵感を覚えるくらいだ。
 朴訥な顔立ちも相まって、久しぶりに帰った田舎で幼馴染と会話しているような、そんな心地になる。
 エレクトハが美貌で心の扉を開くなら、ウルグは雰囲気と親しみを覚える笑顔で心の扉を開こうとする。そういった印象を受けた。
 ――これまた厄介な……。
 ファルガ・イザラント相手のときはシャルロアは常に警戒しているので、魔女に関するボロを出すことはないだろう、と思っている。しかし案外、こういう警戒心を解いてくる相手にボロを出しやすいものだ。現にシャルロアは彼の親しさにつられて、敬語の壁を解いてしまった。
 この親しみは一種の才能であると認めざるを得ない。聞き込み捜査で大いに活躍するはずだ。伊達に第4師団に在籍しているわけではない、といった片鱗を垣間見た。
 ――ぽろっと能力のことを話さないように気を付けよう。
 内心気を引き締めたシャルロアにウルグはもう一度笑いかけてから、歩き始めた。シャルロアもそれに続き、熱い太陽光が射しこむ廊下を進む。
 その光が、ウルグの腰にさがった戦斧を煌めかせた。

「……斧が得物ってめずらしいね」

 以前見かけたときも思った感想を素直に告げると、ウルグはにかっと気持ち良く笑う。

「おー?そうかもな。少なくとも第4師団とか、今まで行った任務先で同じ得物持ってる人間と会ったことねぇや」
「私も見たことないよ。剣とか銃じゃない武器って認められてたんだってびっくりしたくらい」
「んー。俺、騎警団に入る前は木こりしててさぁ。斧が一番しっくりくるから斧じゃだめなのかって副師団長に言ったら快諾してくれたんだよ」
「かいだく……」
「副師団長って厳しいけど懐でけぇよなー」
「いや、ちょっ、待って」

 シャルロアの頭は現在ガンガンと痛みを訴えている。これはどこから突っ込めばいい話なのだろうか。副師団長が快諾したのはおそらく「面白そう」という理由以外にあるまい、ということからか、ファルガ・イザラントは厳しいというか恐いという感情の方が一般的ではないだろうかということか、騎警団に入る前は木こりをしていたというウルグの衝撃の過去からか。過去からだ。

「ウ、ウルグは騎警団に入る前は木こりだったの……?」
「おー。親父が木こりでなー。俺も12歳過ぎたら付いてって森で木を切ってたぜ」
「な、何故この職に……?」
「やー、16になった年に、ちょっとでっけぇ町の製材所にうちの木材買ってくれって売り込みに行ったんだ」

 ウルグの話にシャルロアは頷いた。ここまでは普通の木こりの話である。間違っていない。

「けど初めての町だったから道に迷っちまって」
「うん」
「散々迷った先で人がいっぱい集まってる広場があってなぁ。なんかカチッとした服着た人多いし、ここが製材所に違いねぇと思ってよ」
「うん……」
「そこらへんの人に声かけたら、受付はあっちだっつうから行って」
「うん……?」
「受付行ったら番号札渡されたから、同じような番号札持ってるやつはみんな売り込みに来た商売敵なんだと思って」
「う……ん……」
「そのうちそいつらが剣持って戦い始めたから、たぶん製材所の人に会うには戦って勝ち残んなきゃいけねぇんだと思って」

 話しがおかしくなってきた。

「呼ばれるたびに持ってた斧で戦って最後まで勝ち残ったら、それが騎警団の入団テストだったって知った」
「まごうことなき第4師団員!」

 シャルロアは頭を抱えた。
 もっと途中で気付くべきときはあっただろうに。よりにもよって勝ち残り戦形式の入団テストで優勝した段階で知ってしまったとは。
 何が恐ろしいって、騎警団員となるべく鍛えてきたであろう少年たちをそうと知らぬまま破ってしまった、ウルグの戦闘能力だろう。戦闘訓練をまったくしない状態での優勝である。第4師団員となるべき資質が既に当時備わっていたらしい。

「で、ちょうど別の事件調査で来てた副師団長がそれを見てて『うちに来たら美味い飯たらふく食えるぞ』っつうから、騎警団員になった。家に帰って親父とお袋に報告したら白目剥いたんだぜー」
「でしょうね……」

 考えてみてほしい。木を売りに行った息子が帰ってきたら騎警団でも精鋭の第4師団員になってた両親の心情を。驚きで心臓が痛くなったに違いない。
 ――というかこの人、副師団長に戦闘能力を見込まれた人だったのか……。
 親しみを覚える雰囲気を生かした探索能力ではなく、まさかの戦闘特化。

「ま、だから安心しろよ、メル!現場に悪い奴がいても、俺がぶっ倒すから!斧で!」
「斧で」
「斧で!」

 ウルグはにこっ、と大型犬を思わせる笑顔を浮かべた。
 見た目は朴訥な、人の良さそうな青年なのだが、騙されてはいけない。彼もまた、このアクの強い師団で潰れることなく生き残っている猛者の一人なのだ。そして何故だろう、剣で戦う姿よりも斧で戦う姿の方がより凶悪的に感じるのは。
 ――こ、今度の団員とは上手くやれそうな気がしたのに……!
 件の『雷鳴獅子』と美貌を利用した調査を戸惑いなく実行するエレクトハを超える同僚はそういまい、と思っていたのに、甘かった。今回の同僚はまさかの斧使いである。しかも戦闘能力は副師団長の折り紙つきだ。
 ――大丈夫なのか……?
 これが凶悪犯を捕まえる事件ならば、彼を頼もしく思っただろう。けれど今回の事件はとりあえずのところ、行方知れずとなった秘書を探す、調査や探索が色濃い任務である。
 ――大丈夫なんだろうか……。
 シャルロアは任務の先行きが不安になった。















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