翌日、パポヴォットは森の中の少女について聞かれると、隠すことなく犯行を自供した。 あれは糧にならなかったから、殺し捨て置いた、と。 意味のわかる単語を繋げてみた推測はこうだ。 パポヴォットは自鳴琴を作るための妄想が出来ず、イラつきながら近くの森を散歩していた。そうすると、どこからか歌声が聞こえてきた。その美しい音に誘われるがまま声を辿ってみれば、ペッティを摘む少女がいたと言う。 彼は魅入られるように足元にあった大きな石を拾い、少女の背後に忍び寄って殴りかかった。殴った場所が悪かったのか、少女は一撃では意識を失わず、逃げようとしたらしい。それを追って、もう一撃を与え、動かなくなったところを彼女が持っていたハサミで喉を切った。瞬間、少女はカエルを潰したような声を漏らした。 その声音はパポヴォットの美的感覚が許せなかったものだった。だから彼は怒りに駆られて自鳴琴を作りあげ――つまり内臓を弄るだけ弄って、喉仏は持ち帰らなかったのだ。 パポヴォットにとって森の中の犯行は隠したものではなく、興味がなくて捨て置かれたものだった。 その日の内に殺された少女の身元が判明した。アルトメント地区に住む15歳の少女で、家族から捜索願いが出されていた。家族は彼女が何故森に入ったのか知らなかったが、少女の友人の1人が証言した。 少女の祖母が近々誕生日を迎えるため、祖母が大好きなペッティのジャムを贈りたいと言っていた、と。 彼女が森に入った理由は、おそらくそれだろう、と結論付けられた。 ******** それから数日に亘って行われた事情聴取の末、パポヴォットが殺人を犯したのは間違いない、との報告書を師団長に提出し、裁判所に送った。 報告書を書き上げたのはファルガ・イザラントだったが、シャルロアも誤字脱字がないかを確かめるためにその報告書を読んだ。鬱々となるような報告書であったが、第4師団にしてはめずらしい、不備のない素晴らしい書類だったと言える。 報告書を裁判所に送った時点で、事件は騎警団から裁判所の管轄に移る。シャルロアが出来ることは、もう何もない。 ――なんだか、気が抜けた。 午前中の早い時間に報告書を出してしまったあとは、通常の事務作業が待っていた。単調な事務処理を行うシャルロアの後ろの席で、エレクトハが机に突っ伏しながらつぶやいた。 「他にも殺してなきゃいいんだけどねぇ」 パポヴォットは訊ねられた犯行については正直に口を割る――例えその内容が常人には理解しにくくても――のだが、訊ねられていない犯行は自分から喋りはしない。 エレクトハも、ファルガ・イザラントも、他に余罪がないか厳しい追及をしたが、シャルロアだけは知っていた。 パポヴォットが殺したのは、今わかっている事件ですべてだ。事情聴取の記録中に、吐き気に耐えながら彼女も注意深く記憶を探ったが、彼が殺したのは5人の女性と1人の男性。それ以外にはいない。 だがそれを知ることが出来ないエレクトハもファルガ・イザラントも、頭の隅にその疑いを残して過ごすのだろう。 「……殺してないことを祈りましょう」 シャルロアはペンを走らせながら、そう返した。真実をすべて伝えるわけにはいかない。 ――これは裏切りになるのかな。 余罪がないことを騎警団に報告すれば、彼らは安心して次の仕事に集中出来るだろう。けれどそれはシャルロアが魔女であることをバラすことであり、彼女はそこまでの決断が出来なかった。 見つかっていない被害者の情報の手がかりを示すこと、容疑者が隠している犯罪についての手がかりを示すこと。これらがシャルロアに出来る精一杯だ。 騎警団が魔女を敵視しているように、シャルロアも騎警団を信用していないのだから。 「あー、もうお昼か」 王都の方から昼を告げる鐘の音が聞こえ、エレクトハが顔を上げた。 「そんな時間でしたか。エレクトハ君、昼休憩を――」 言いかけたシェストレカの机で、通信機が鳴った。慣れた様子で素早く受話器部分を取った彼は、落ち着いた声音で「 しかしその眉間に、わずかにしわが寄った。 「――なるほど。わかりました、応援をやりましょう。エレクトハ君、君の隊長からご指名ですよ」 「うぇっ!?いい、今からですか?」 「女性の協力者を作りたいらしいので、その顔でにっこり笑って来るだけでいいです」 「僕の存在価値って顔だけみたいな言い方は、さすがに泣きますよ!?」 「顔に価値がついているだけ得だと思いなさい。というわけで、貴方の部下を今から送りますから、くれぐれも『待て』をしておくように。いいですか、レッティス君、面倒だからって突入したら減俸しますよ」 もう色々と指摘したいシャルロアであった。 やっぱりエレクトハは自分の顔の価値をわかっていたんだな、とか、師団長もわかってるんだな、とかあるのだが、何よりも聞きたいのは、あの生真面目そうなレッティス分隊長が師団長に釘を刺されるほどの短気なのか、という点である。どういうことだ、面倒だから突入するって。 思わずペンを止めたシャルロアの後ろで、エレクトハが「もうやだ」と泣き言言いながら立ち上がって、師団長から転移許可書を受け取り、出ていった。嫌そうだったが、行動の素早さはさすが第4師団に身を置く者である。 そしてそれと入れ代わるように、ファルガ・イザラントが勤務室に顔を出した。連日寝る暇もないほど働いていたはずなのだが、体調が悪そうな節はない。 「シェルダールダの様子はどうでしたか?」 「目立った治安悪化の様子はなかった。後は基地の『虎』に任せて大丈夫だろ。それと『例の奴』は見つけ出して、『猫』に報告しておいた」 「ご苦労様でした。すみませんね、わざわざ確かめて来てもらって」 「いや。報酬はもらってくぜ?」 「はい、どうぞどうぞ」 シャルロアにはわからない会話を交わした第4師団の師団長と副師団長は、それぞれ含みのある笑みを浮かべた。 ――なんだろう、悪寒が……。 ぶるり、と震えたところを狙いすましたかのように、師団長に話しかけられる。 「メル君。お昼休憩に行って来ていいですよ。勤務記録機は押して行くように」 「はぁ」 「初めての事件で忙しかったでしょう。ゆっくりお昼を食べてきなさい」 頷いたシャルロアの視界の端で、ファルガ・イザラントも勤務記録機を押していた。 「そ、それでは、お言葉に甘えて……」 「ロア。王都で飯を奢ってやるからついて来い」 ――ついて行きたくねぇぇぇ! どうやらファルガ・イザラントは休憩に入ったようだ。シャルロアの呼び方が愛称呼びになっている。 第4師団へやって来た初日のシャルロアならば『奢り』という言葉につられてついて行ったかもしれない。しかしつい数日前、勤務時間外のファルガ・イザラントと2人きりになる恐ろしさを体感した身では、その誘いに頷くことは出来なかった。 シャルロアは目を泳がせながら、じわじわと立ち上がった。 「いや、今日は食堂の献立が私好みの献立っぽそうだったので……」 「ロア。 ペッティジャム、と言った辺りで、ファルガ・イザラントの瞳が怪しく煌めいた。 ――つべこべ言わずついて来ねぇと、ペッティ狩りに行ったこと師団長にチクるぞ。 目が口ほどに物を言った瞬間だった。 「ワアイ、タベタイナー!」 「飯の後に奢ってやろう」 「ワ、ワーイ……!」 死んだ目でファルガ・イザラントを見つめつつも、シャルロアは声を大にして言いたかった。 こんな脅迫めいた奢られ方、ありえるのかと。 ――普通、奢られる方が脅迫するものだよね? 何故奢られる側が、脅迫されているのだろう。しかしその答えは悲しいことに決まっていた。よりにもよって、ファルガ・イザラントに借りを作ったからである。 2人のやり取りに若干不思議そうな顔をしているシェストレカ師団長に後を任せて、シャルロアたちは勤務室を出た。 「副師団長」 「勤務時間外」 「例の奴、って何なんですか?」 シャルロアの前を歩くファルガ・イザラントは、その質問に顔だけ振り向いて、にやりとあくどい笑みを浮かべた。 「今回の事件、情報統制が上手くいってた、っつうのは話したな?」 「あぁ、事件の初日に話してましたね」 「その情報統制をしていたのが誰かを突きとめて、『猫』に売った」 「は?」 今、第5師団に売った、とか言う物騒な言葉が聞こえた気がする。シャルロアが目を丸くすると、ファルガ・イザラントはますます面白そうに嗤った。 「お前を割と裏技で獲得したから、『猫』の師団長がすっげぇゴネたんだよ」 「ゴネ……」 「今日まで毎日、『うちの師団員が先に目をつけてた新米寄こせ、うちの師団員が先に目をつけた新米な』っつう通信が師団長に来てたらしいぜ。まぁ、今年はほっとんど卒業生が出ねぇことが予想されてるから、どこも人員確保に躍起になってんだよ。つうわけで、要するにお前の代わりがいりゃいいんだろ、ってんでちょうどよく情報統制能力に長けた奴を見つけたから、『猫』に情報を流しといた。そのうち、勧誘しに行くだろ」 士官学校時代は第5への入団方法は謎に包まれていたが、話から察するに、第5へ入団するには勧誘を受ける必要があるようだ。おそらくは、第5が求める水準の技術や性質を持つ人間が勧誘されるのだろう。 熾烈な人員確保合戦や、師団長がゴネることがあるという衝撃、シャルロアのために第5に入団することになったかもしれない人がいることは、忘れることにした。人生忘れた方がいいことのほうが多いのだ、と無理矢理理由をつけて。 「『猫』の師団長はねちっこい性格をしてるが、まぁ今回の情報で相殺しただろ。お前は安心して第4師団で事務してろ」 「はぁ」 シャルロアとしては確かにありがたい話である。間違っても敵地で情報収集なんてしたくない。そんなことしていたら、緊張で心臓が破裂してしまう。間諜を主人公にした小説は、シャルロアが苦手とする読み物だ。彼らは敵に見つかるかもしれない、という恐怖の中、どうしてああも優雅に動けるのだろうか。 ファルガ・イザラントと食事をする、という現実から逃避するのにちょうどよかったこともあって、シャルロアは今まで読んだ間諜小説でどれが一番心臓に悪かったかを思い出しながら、てくてくと歩いた。 決して、ファルガ・イザラントが口にした『報酬』の意味について考えないようにしていたわけではない。もしかして、ファルガ・イザラントに情報統制をした人間が誰かを探ってもらった師団長が、報酬としてシャルロアを差し出したんじゃないか、なんて思ってない。もしそれが事実であったら、あの職場はシャルロアが魔女でなくとも敵地である。 考えないように考えないように歩いているうちに、シャルロアたちの足は王都の石畳を踏んでいた。 雑踏の中、先を行くファルガ・イザラントが問う。 「お前、何が食いたい?」 シャルロアは、その問いにふふん、と微笑んだ。 「ペスティトーレですね!」 ペスティトーレ、というのは食べ物の名前ではない。いわば食の種類だ。ペスティトーナ、という国の料理の特徴を捉えていればペスティトーレ、と呼ばれ、その多くは前菜から始まって甘味で終わる高級料理の1つである。 ――どうだ、付き合うにはお金がかかりそうな女作戦! 士官学校生ならばとてもじゃないが食べられない値段の料理だ。彼の懐もさぞ痛かろう。金がかかる女なのだ、とわかれば、きっと離れていくに違いない。自分が魔女である関係で、対人能力の小賢しさには自信があるのだ。 自信満々のシャルロアであったが、ファルガ・イザラントは目を丸くしてから――獣の笑みを浮かべた。 ――え。 「ペスティトーレなぁ。お前、副師団長って呼ぶ割には俺の稼ぎをわかってねぇな」 「え」 「士官学校生にゃ敷居が高くても、それくらい奢ってやるぜ。逢引にちょうどいい店知ってるから、そこの 「って思ってたけど今猛烈にシャルターンが食べたいですすごく食べたいですお口の中がシャルターンです私友人と食べに行ったことのあるお店知ってるんでそこで買って公園で食べましょうシャルターン食べたいです!」 ふっ、とファルガ・イザラントは鼻で嗤った。 「シャルターンかよ。お前、すっげぇ安上がりだな」 ――何とでも言えばいい! 安上がりだろうが作戦失敗となろうが、あのまま高級料理店の個室に連れて行かれるよりはいい。 ――恐ぇよ、この人!私の16年間の小賢しさが瞬時に粉々になった! 狩りをする前の獣のようなあの鋭い眼光は、絶対に好きな人に向けてはいけない類のものだと思う。 やっぱりファルガ・イザラントは自分のことを好きでもなんでもないんじゃないか、と疑いながら、シャルロアは士官学校時代に友人とよく利用したシャルターンを売っている屋台に彼を案内した。士官学校に一番近い公園の中に出ている屋台だったので客は学生が多かったように思うが、公園を訪れた人が買っていく姿もあった。 ちなみにシャルターンとは、ぺスティトーレとは違って食べ物の名前である。楕円形のパンに腸詰め肉と好みの野菜を挟んで食べる、という手軽な食べ物で、値段が驚くほど安い。なので士官学校生が買い食いするにはうってつけの食べ物なのだ。 ――何が悲しいって、そのお手軽なシャルターンの方が、士官学校の食事よりおいしいんだよね……。 何度も言うが、士官学校の食事はマズいわけではない。おいしいと言い難いだけで。 「おい、ロア。野菜と飲み物は何にすんだよ」 「あっ、えー、野菜はシギダ、飲み物はキャラバで」 「じゃあ、シギダとエスカッセを1つずつ、飲み物はキャラバとココ」 屋台の人が包んでくれた紙袋とカップをシャルロアが受け取る。 適当なところで座ってろ、と言ってファルガ・イザラントがどこかへ行ってしまったので、シャルロアは以前と同じように本気で1人で帰ろうかどうしようか悩んだ。結果、やっぱり後のことを考えると恐くなったので言う通りにすることにした。 緑溢れる公園の中、ちょうどよく木陰が出来た長椅子を見つけたので、そこに座って紙袋とカップを置く。 キャラバとココ。 キャラバは苦手だと言っていたから、ほろ苦甘い、女性に大人気の飲料ココの方がファルガ・イザラントの飲み物だろう。 ――副師団長、飲み物の選択がかわいくない? お茶といい、ココといい、何故そんなに女子受けしそうな飲み物ばかり飲んでいるのか。 国民に対する親近感主張なのか、と割と本気で考えているうちに、ファルガ・イザラントが紙箱を手に戻って来た。 「ほら、クラッパ」 「あ、ありがとうございます」 どうやら彼はこれを買いに行っていたらしい。焼き菓子にジャムをかけただけの単純なものだが、だからこそ焼き立てがおいしい甘味だ。 ――というか、本当に奢ってくれる気はあったんだな。 うっかりするとアレは実は脅迫じゃなかったんじゃないか、と思いそうになるが、それを信じるには険呑な目が邪魔をする。あのときファルガ・イザラントは間違いなく自分を脅していた。 とりあえずクラッパは隣に置いておき、シャルターンの入った紙袋を開ける。 「えーと、副師団長はエスカッセですよね」 「勤務時間外。お前も頑なな奴だな」 「ありがとうございます」 「どういたしまして」 皮肉気な笑みを浮かべるファルガ・イザラントの手に、シャルターンを渡す。彼はそれを受け取って、シャルロアの隣に腰を下ろした。 なまぬるい風が吹いて、長椅子に落ちた木陰が揺らめく。以前、友人とここへ来たときはまだ風が肌寒かったのに、季節は夏に移り変わろうとしている。 おそらく、被害者たちはこの風のぬるさを感じられなかっただろう。 公園のどこかで遊ぶ子供たちの声が、遠く聞こえた。 「……パポヴォットは、裁判で裁かれますよね?」 どんな容疑者にも、弁護士がつく。おそらく今回、パポヴォットの言動を見て、弁護士は善悪の判断がつかない状態にあったと弁護するだろう。 だがシャルロアにはわかっているのだ。パポヴォットは限りなく正気に近い。そうでなければああも鮮明に、犯行記憶を見れるわけがない。 パポヴォットには善悪の判断がついている。 少なくとも、人を殺したという事実は認識出来ているはずだ。 だが裁判所がどう判断するのか、シャルロアにはわからない。過去、大量殺人を犯した人間が心身喪失状態にあったとして、精神病院への入院と監視を条件にして無罪になった例はいくつかある。 パポヴォットは心神喪失などしていないのに、そのようなことになるのではないだろうか。そんな不安がシャルロアの胸にある。 「裁くだろ。ついでに言うならおそらく、心神喪失状態とは認められない」 か細いシャルロアの問いに対し、ファルガ・イザラントの答えはしっかりしていた。 「先の大戦以降、精神科の医療技術も跳ね上がったからな。心神喪失状態ってのは、うちの国じゃ基本的に善悪の判断がつかない状態であることを指す。今回の容疑者の言い分は正直理解したくもねぇが、人間を殺して自鳴琴にしたと言っている。つまりちゃんと自分の目的のために殺したって自覚があるんだよ。反省してねぇだけでな。どれくらいの刑期になるかは裁判所の仕事だから、俺たちに出来ることはもうねぇよ」 ファルガ・イザラントが容疑者を裁くわけではないから、その言葉に意味はないのかもしれない。けれどシャルロアは心のどこかで、その言葉に安堵した。 シャルロアが見た遺体は3人。けれどどれも痛ましいものだった。裁判官が正しい判断を下してくれることを願う。 視線を足元に落としたシャルロアの頭に、ポン、とファルガ・イザラントの手が乗る。 それに驚いた彼女が顔を横に向けると、ふと空気が動いた。 金色の瞳がゆるりと近づいて――。 「ふぉぉぉっ!?」 シャルロアはファルガ・イザラントのアゴに掌打をくらわした。 わずかに目を眇めて、彼はシャルロアの手に押されるがままに顔を離した。 「ななな何やってんですか!?」 「何って、キ」 「わぁぁぁ、いいっ!言わなくていい!私が聞きたいのはなんでそんなことしようとしたんだってことですよ!」 顔どころか耳まで真っ赤になりながら、ぐいぐいとアゴを押しのけるシャルロアの手を剥がして、ファルガ・イザラントは小首を傾げる。 「あん?今のはどう考えてもキスする流れだっただろ?」 「どこに!?どこにそんな流れを見出した!?」 「落ち込み気味の部下を慰めてんだぜ。浪漫溢れてんじゃねぇか」 「すごく狡猾的な思考が見え隠れしている……!絶対に浪漫とかない……!」 頬を引きつらせながらシャルロアがそう零すと、ファルガ・イザラントは嗤笑した。 「馬鹿か、てめぇ。男が女に甘い言葉を吐くのは、狙った獲物を狩るための常套手段だぜ。どんな品行方正に見える男も、口説くときは頭の中でどういう言葉が効果的か計算を」 「もうえげつないので、止めてもらっていいですかね!?」 これでもシャルロアは、16歳の乙女である。現実主義者だという自覚はあるものの、異性がどんなことを考えながら意中の人を口説いているのか、なんてことを知りたい歳ではない。乙女向け小説も嗜むシャルロアとしては、そこはまだ隠しておいてほしい情報だった。 げんなりとする彼女の横で、元凶は軽く肩をすくめてシャルターンにかぶりついた。 「ま、ともかくだ。お前は新米にしては良くやった。正直1日目で辞めるかどうか五分五分だったからな」 衝撃の事実に、シャルロアは固まった。 「……わ、私、どれだけ期待値が低かったんですか?」 「しゃあねぇだろ。俺としても初っ端からこんなエグい事件に当たると思ってなかったし。これ、第4師団の管轄内でもめずらしいくれぇの凶悪事件だぜ?これで潰れなかったら、これから先うちで確実にやっていけるだろうなと思って賭けに出てみたが、やっぱ俺って勝負運あるな」 「ちなみに賭けに出なかった場合の私の扱いは……?」 「師団長の計画としては薬物事件関連から始めるつもりだったみてぇだが、今回の事件は目撃者がいる可能性が高かったからな。予定を変更したわけだ」 つまりこれは、まったく泳げない人間を泳げるようにするために海に突き落とす荒療治にも程があることと同じであるわけだ。 シャルロアは重くため息をついてから、自分もシャルターンにかぶりついた。士官学校時代からのお気に入りの味だが、今は何故かほろ苦く感じる。 「そう憂鬱そうな面すんな。いいじゃねぇか、見事事件解決するまで生き延びたんだからよ。ご褒美にキスしてやろうか」 「いらないです」 「浪漫があるだろ」 「進言させていただくと、副師団長は浪漫とは何であるかを少女向け小説の1冊でも読んで理解しておくべきだと思います」 シャルターンをたいらげた彼は、満足気にゴロ、と喉を鳴らした。 「安心した」 「何がです?」 笑う『雷鳴獅子』に、眉をひそめて問い返す。 「迫ってみたはいいものの、お前の反応がイマイチ薄かったから俺を男として見てないか、恋愛対象が異性じゃないかのどっちかじゃねぇかと疑ってたもんでな。さっきの反応や今の言葉から推測するに、どちらも可能性は潰えたわけだ」 「あれ……?私、なんでそんな疑いをかけられてたんです……?」 自分が特異な ますます眉をひそめると、彼はココを飲みながら指摘した。 「着替えたとき。お前、自分の前で好きな女が着替えるとか言われてみろ。誘ってるか、 「誘ってないですからね!」 「俺もそう判断したから、恋愛対象が同性か、俺自身が対象として見られてないのか疑ったわけだ。まぁ同性が好きなわけでもなく、俺をちゃんと男と見てるってことがわかって良かったぜ」 シャルロアは苦々しい表情で、唇を尖らせる。 実際、ファルガ・イザラントを完全に恋愛対象外に置けたらどれほど楽だろう、と思う。だが彼自身が非常に野性味のある男性なので、女友達に話しかけられるような気軽さでは話しかけられない。対象外と見做すには、彼はあまりにも男性的すぎるのだ。 いっそなよなよしい優男であれば、自分の警戒ももっと緩かったかもしれないが――と考えて、師団長を思い出す。彼はファルガ・イザラントと違って柔和な印象の強い人物だが、油断はならない。結局のところ、シャルロアにとっては相手に怜悧な面があるか否かで、話しかけやすさが違うと言える。 ――だから異性として警戒していると言うよりは、秘密を探る人物としての警戒が強いんだけどね。 それをわざわざ言って、ファルガ・イザラントの中にある疑惑をふくらませるつもりはないので黙っておいた。 「こっちに興味がねぇ獲物を、無理矢理腕の中に囲ったところでつまんねぇしな」 「……倫理観の問題じゃないんですね……面白いかどうかなんですね……」 「当然だろ。餌に興味があって近づいて来た獲物を捕らえるのが面白い」 にやりと笑んで、ファルガ・イザラントはカップを手に立ち上がった。 「それと進言の礼に、忠告をしておいてやる」 木陰の中、炎を生む金の瞳がチラと煌めいた。 怪しげな煌めきに目を奪われて、つかの間呆然とする。ファルガ・イザラントはそんなシャルロアの唇の端を親指で撫で、ついていたソースを拭った。 そしてそれを舐める。 『雷鳴獅子』は、嗤ってなどいなかった。 「『爪』を隠すつもりなら、もっと上手く隠せ。チラつかされると――暴きたくなる」 ――『爪』?異能? 「買い被りです。隠すような爪はありません」 ファルガ・イザラントの意図を理解するより前に、口が勝手に反論する。この場において、反射神経とも言えるほどの素早さで否定出来たのは僥倖だった。 冷えた表情でシャルロアを見下ろしていたファルガ・イザラントは、不意に見慣れた不遜な笑みに戻る。 「先に戻る。クラッパが冷めないうちに食えよ」 彼は踵を返し、シャルロアの前から立ち去った。 その後ろ姿が見えなくなってから、やっとシャルロアは安心して、息を深く吐く。 吹きぬける風が、いつのまにか額に浮かんでいた汗を拭った。 ――やっぱりあの人は『雷鳴獅子』なんだ。 今回のことで、シャルロアはおそらく彼の疑惑を深めた。それほどに、森に放置された遺体の前で出会ったのは手痛い失敗だった。 ――あれをどうとられただろう。 銀の蝶の異能は、現在のところ魔法だと言い張っても不自然な点はない。だから彼はシャルロアにはもう1つ、特殊な魔法があると考えたかもしれない。例えば探索系の秘伝魔法であれば、既存の探索魔法では知りえないことを知ることが出来ると聞く。 だがそれは、シャルロアにとっての希望的観測だ。 最悪の場合、ファルガ・イザラントはシャルロアが魔女ではないかと疑っていることも考えられる。 どう考えているにしろ、彼がシャルロアに何かあると疑っているのは明白だ。 ――もしかすると。 好意に見せたそれは、疑心の裏返しなのかもしれない。 ――冷静にならないと。 努々忘れてはならない。ファルガ・イザラントの口車に乗って、浮かれてボロを出してはならないことを。 シャルロアの命だけではなく、家族の命運もかかっているのだから。 そう思えば頭は芯から冷えるのに、拭われた口端は、ほのかに熱いような気がした。 |