覚悟していても、続けられた取り調べは地獄だった。 普通に調書を取っていれば、少なくともシャルロアにとってはなんてことない時間だったかもしれない。けれど騎警団が掴めていない被害者の情報を探るために、シャルロアは魔女の異能をパポヴォットに対して発動させなければならなかった。 本当はシャルロア自身が発見されていない被害者――森の中の少女について訊ねられれば良いのだが、記録係である自分にそんな権限はない。だからファルガ・イザラントの質問がパポヴォットの記憶を刺激してくれるのを辛抱強く待つしかなく、必然異能を使う時間が長くなる。 パポヴォットの記憶は暗澹たるものだった。 父親からの暴力。母親の無関心。被害者の殺害光景。唯一まともな光景は、自鳴琴を作ったり修理したりしている場面だけだった。絵を描いたり楽譜を書いたりする場面もあったが、描く絵は陰惨でどこか散漫的であり、楽譜はところどころで音符が途切れ、苦悩の末に紙を丸め潰すことの方が多かった。 だが同情はしなかった。彼の過去と、被害者が恐怖のうちに殺されたことには、何の因果関係もない。彼は被害者ではなく、加害者になってしまったのだ。 鬱々としながら速記を続けつつ、魔女の異能で記憶を眺めているうちに、わかったことがあった。 ファルガ・イザラントが「2人目の被害者」という単語を口にしたとき、パポヴォットの記憶が森に飛んだ。蔦巻く木々の狭間から紅色の空が覗く時間帯。夜明けか、黄昏時――おそらくは黄昏時だろう。草木が鬱蒼と茂る様子からして、人の手が入った森ではない。 森には赤い実、野苺らしき果実がなっている草の絨毯が広がっており、その中央に茶髪を1つ三つ編みにした少女が座っていた。籠の中にはたっぷりと果実が詰まっている。 視界が地面に向いて、大きな石を持つ。それからゆっくりと彼女の背後に近寄って――シャルロアは、それ以上を見ることを止めた。 さすがに何度も殺害場面を見るのは精神が狂いそうになるので、すでに殺されたことがわかっている被害者たちの殺害場面は見ないようにしていた。これ以降の記憶も、見るには辛すぎる。情報は拾えたから、あとはどうやってファルガ・イザラントを彼女の元へ導くか、だ。 幸いなことに昼を過ぎた時点で、取り調べは終了となった。パポヴォットの集中力が切れ、反応が薄くなってきたのをファルガ・イザラントが見逃さなかったからだ。今日はもう無理だ、ということになり、シャルロアたちは拘置所から第4師団の勤務室まで戻ってきた。 静かな部屋の中には、相変わらず床で死んだように眠る団員が落ちているだけで、席に座っている者は誰もいなかった。どうやらシェストレカ師団長も仮眠から帰って来てないらしい。 シャルロアが自分の席につくと、当然のようにファルガ・イザラントが彼女の机に腰掛けた。 ――わぁ、すっげぇ邪魔! だがしかし、彼もシャルロアをからかうのではなく、彼女の机に置かれていた事件資料を読むのである。黙々と読み始めたファルガ・イザラントに声をかけるのも躊躇われ、シャルロアは結局この状況を受け入れることにした。書類を並べ、先ほどの取り調べの速記を書き起こしていく。手は意識せずとも勝手に、流麗な文字を綴ってくれた。 単純作業をこなしながら、ファルガ・イザラントに手がかりを与えるにはどうすればいいのかを考えてみる。 推測だが、見つけられていない被害者は、現在見つかっている1人目の被害者アイネ・メメリカと、2人目の被害者とされているトートス・ナジハケントの間に入るのではないだろうか。 ファルガ・イザラントの「2人目の被害者」という単語に反応して犯行を思い出したのは、茶髪の女性が本来の『2人目』だからだと思う。つまりトートス・ナジハケントはパポヴォットからすれば『3人目』の獲物であるわけだ。 それから見つけられていない被害者が殺されたのは夕暮れの森。パポヴォットがシェルダールダを出ることはないと考えても、忌々しいことにシェルダールダの周りには森があちらこちらにあるので、彼女がどこの森で殺されたのか見当がつかない。 ――いや、待て。 パポヴォットの記憶の中にとっかかりを見つける。 木々に上るように巻いた蔦。あの植物は、めずらしい植物ではなかっただろうか。 ――思い出せ。思い出せ。 士官学校に在籍していたときに、夜の暇つぶしとして植物辞典を読み漁った。ただ惜しむらくは数年前のことなので、記憶が薄れているということだ。 少し紫がかった茎に、大きな葉。群生地が限られていた気がする。名前はなんだったか。何故あの蔦はめずらしかったのだろう。植物と言えば、あの野苺らしき果実も手がかりだ。あれらが一面に広がる森。 野苺。記憶の扉が開いた。 あの蔦はメーマイニという蔦で、酸性の土地で育つ植物だ。野苺も酸性の土地で育つ。 ――……ということは、野苺がよく取れる森?酸性の土地でよく育つ野苺らしき果実……。 真っ赤な色をしたアレは、なんという種類の野苺だろうか。パポヴォットの記憶からでは読みとれない。 だが被害者の少女は、あの果実を取りに森に行ったのだ。あのように人の手が入っていない森に野苺があることを知っていたのは、そこが野苺が取れることで有名だからなのか、彼女だけが穴場だと知っていたのか。 ――……穴場なのかもしれない。有名だったら、きっと誰かが遺体を見つけてる。 町全体が殺人鬼に怯えていたのだから、遺体が発見されたとなれば大騒ぎになるはずだ。なのに森で女性の遺体が見つかった、という話は聞いていない。誰もその森に足を踏み入れていないか、よほど森が広いか、どちらかになる。 ――どこの森だ? 見つかっていない被害者は、予想が外れていなければ2番目の被害者だ。パポヴォットはまだ、自宅周辺で獲物を見つけようとしていたかもしれない。となると遺体があるのはアルトメント地区に近い森が有力となる。それでも候補の森は3つある。 しかもこの情報だけでは、ファルガ・イザラントを動かせない。森に遺体があることに気付いてもらうのではなくて、まだ発見されていない遺体があることに気づいてもらわなければならない段階だ。 彼に気づいてもらうためには、どんな手がかりが必要なのか。 ――くそ、私にも取り調べ権限があればよかったのに! そうすればうまく、パポヴォットの口から発見されていない被害者の情報を聞き出せたかもしれないのに。記録係であることが歯がゆい。 じりじり焦るシャルロアの横で、くあ、と机に腰掛けたファルガ・イザラントが欠伸をした。 「……仮眠してきたらどうですか?」 その間に色々と対策が練れるかもしれないのに、とシャルロアは思う。 「師団長が戻ったらな。ボケどもに任せとくと、第4師団で引き取らなくてもいい仕事を引き取りやがるから面倒だし、お前は新人だから丸めこまれる。レッティスがいりゃあよかったが、たぶん現場に行ったんだろ」 自分の戦力外通告はさほど痛くないのだが、床で寝ている師団員たちは頼りにならない、と言われてどう思っているのだろう。恐る恐る視線をそちらにやったが、誰もぴくりともしていなかった。死んだように寝ている。 ファルガ・イザラントはファルガ・イザラントで、一旦シャルロアの机から離れてエレクトハの机に置かれた資料箱を持って戻ってきた。何故、戻ってきたのだろう。もうその場で読んでればいいのに、と思ったが指摘する度胸がなかった。 床に置いた資料箱から適当な資料を拾って、彼はシャルロアの机に落ち着いた。 その様子を何気なく見ていると、彼女の目に家宅捜査で押収された証拠品が映った。 楽譜。 閃きが身体の芯を通り抜けた。 ――記憶の中では、曲を書けてるときと、書けてないときがあった。 パポヴォットの記憶は時間順に流れて来るわけではなかったので確証はない。しかし曲を書けているときは生活がうまくいっていたときか、殺人が自分に良い感性を与えてくれていたときなのではないだろうか。 資料箱の中にある楽譜の量は数十枚にあたる。 ――けど、最近書かれた曲は、殺人を犯したときだけだったりしないかしら……? 「楽譜がどうした」 ハッとしてファルガ・イザラントを見ると、金の双眸が訝しげに細まっていた。あまりにも一点を見つめすぎていたせいか、シャルロアの視線の先にあるものは簡単にバレてしまっているようだった。 しまった、と一瞬後悔したが、いや、と考え直す。これはある意味好機かもしれない。 シャルロアは自然を装い、資料箱から楽譜を取りだしてパラパラめくる。 「自鳴琴職人って、自分で自鳴琴曲を書くって知らなかったので驚いただけです」 「めずらしくはあるな」 「……暗い曲ばっかりですね」 シャルロアは曲の良し悪しはわからないが、楽譜なら読める。パポヴォットが書いた曲は、そのどれもが悲しく、鬱々とした曲ばかりだ。紙やインクの状態から判断するに、初期の曲は悲しさの中に光のようなものがあるが、ある時期からふつりと光が消えて、重苦しい音色ばかりになっている。そうして最後の5曲は負を叩きつけたような曲調だった。他と明らかに違う。 ――やっぱりこれは……殺人で得た閃きを曲にしたものなんじゃ……。 音符を追うシャルロアに対し、ファルガ・イザラントはふん、と鼻を鳴らした。 「楽譜なんぞ読めるか」 何気なく放たれた一言は、シャルロアにとっては大打撃だった。 ファルガ・イザラントならば。彼ならば、この楽譜から初期と後期の曲の差を感じ取り、違和感を覚えてくれるだろうと思ったのに。意外な盲点だったが、考えてみればシャルロアの弟も楽譜なんて読めないと言っていた。シャルロアは暇つぶしに楽譜の読み方を覚えただけで、みんながみんな読めるものとは限らないのが楽譜だったことを忘れていた。 ――マズい。でもなんとか、これを手がかりにさせないと! 「自鳴琴職人っていうのも、芸術家なんでしょうかね?この辺りの曲はなんだか悲壮な曲調ですし、特にこの曲は鬱蒼とした森を思わせるような感じがしますよ」 ちら、とシャルロアが隣を見ると、ファルガ・イザラントは大口を開けて欠伸をしていた。 ――わぁ、全然興味なさそう! 心の内が暴風雨で荒れ狂う。 ――何なんだよこの人、いったいどこに好奇心と興味のスイッチがあるんだよ! いらんことには目を向けるくせに、気づいてほしいところには気づいてくれないとはどういうことだ。いつもの勘の良さはどこへいった。 文句を言いきってから、落ちつけ、とシャルロアは自分に言いきかせる。さすがにあの手がかりだけでは、もう1人被害者がいるかも、なんて思えないだろう。先の言葉は遺体が放置されているだろう場所の手がかりだ。まずは隠された遺体があることを知らせなければ。 「ただいま戻りました」 「よぉ、師団長」 朝会ったときより、幾分か顔色が良くなったシェストレカ師団長が勤務室に戻ってきた。ファルガ・イザラントが気楽に手を上げて迎え入れると、彼は理知的な緑色の瞳を細める。 「君も限界のようですね。仮眠しておいでなさい」 「そうする」 ファルガ・イザラントは資料をシャルロアの机に放り出すと、勤務記録機を押して部屋から出て行ってしまった。 ――全然手がかりを与えられなかった! 師団長が席に戻るのを横目に、シャルロアは放りだされた資料を整えながら悩む。 ファルガ・イザラントにもう1人被害者がいる、と確実に思わせるには、証拠品が必要かもしれない。この資料箱に収められた証拠品には隠された被害者を示すものが存在しないから、別の証拠品が欲しい。 一番望ましいのは、もう1つ喉仏が見つかることだったが、家宅捜査した結果、喉仏は4つしか見つからなかった。パポヴォットはどうやら森の少女の喉仏は持ち帰らなかったらしい。 それ以外の証拠品となれば――少女の持ち物になるだろう。 例えば、少女の着ていた服のボタンをこの資料箱に混ぜておいたらどうなるだろう。彼女が着ていた服のボタンは飾りボタンで、男性服には使われないものだった。資料を漁るファルガ・イザラントがそれを見つけたら不審に思ったりしてくれないだろうか。 本来ならそういう行為は許されないことを知っている。これを許せば、無実の人間が牢に入れられることにもつながるのだ。証拠品の扱いは慎重を期して当然のこと。 ――でも、私は知っている。 記憶の改ざんは不可能だし、幻覚は魔女の異能では見れない。昔、畑で幽霊を見たという弟の記憶を覗いたことがあるが、なんの変わり映えもない夕暮れの畑が広がっているだけだった。 この異能が見るのは事実だけ。 パポヴォットは確かに、森で少女を殺している。 ――倫理に反するけれど、こうなったら被害者の持ち物を紛れこませるしかない。 ただここで問題になるのはシャルロアの気持ちや覚悟ではなく、単純に物理である。 殺害現場に行って少女の持ち物を持って来ようにも、王都からシェルダールダまでは馬を走らせても最低半月かかる距離なのである。どんなに急いでも1日やそこらで帰って来れる距離じゃない。 ――この激務の中、間違っても「1ヶ月お休みください」とか言えねぇぇ! 口にしたが最後、視線で殺されると思う。 改めて転移魔法陣の素晴らしさに敬服したくなる話だ。しかしその文明の利器を使うわけにはいかないのだ。アレを師団で使うには師団長や副師団長級の許可が必要であるらしいことは、この数日の勤務でわかっている。許可だけではなく、こちらから申請してもいいものらしいが、その際に理由を必ず問われる。私的な利用を防止するためだ。 ――事務員が現場に何しに行くの、って話だよね。 申請すれば絶対に不審に思われる。師団長だけではなく、ファルガ・イザラントにも。否、第4師団員全員が不可思議に思うだろう。そして疑いの目を向けられる。 想像して、血の気が引いた。 ――なし!騎警団の転移魔法陣を使用するのはなし! 騎警団の転移魔法陣が使えないのであれば、民間の転移魔法を使えばいいのかもしれない。民間人の中にも転移魔法を覚えている人はいるので、その人に目的地まで飛ばしてもらうことは出来る。 しかしながら転移魔法は覚えている人間が少ない。つまり希少な技術であるわけで、必然的に利用料金が高くなる。はっきり言って、数日前まで学生だったシャルロアに出せる金額じゃない。片道分でも無理なのに、往復分なんて夢のまた夢だ。 ――士官学校の伝手を当たってみる?いるかなぁ……友達の友達の友達でもいなさそう。 もしいたとしても、シャルロアが自由に動けるのは勤務時間が終了した夜だけだ。その時間帯、士官学校生は寮から出てはいけないことになっている。絶望的に活動時間が合わない。 ――手詰まりか……。やっぱりここにある証拠でなんとかするしかないかも。 とりあえず散らかされた書類を整頓したシャルロアは、取り調べの記録を書き起こす作業に戻った。 ******** “午前は雨でも午後は晴れる”とはよく言ったものだ。自分に出来ることが手詰まりでも、良いことが向こうからやってくることもある。 好機はシャルロアの業務終了間際に入った、1本の通信だった。 「……手違い?」 シェストレカ師団長の冷えた声音が、勤務室の温度を3℃ほど下げた。 何事かと顔を上げて師団長を見れば、柔和な表情を浮かべているはずなのに青筋が立っているという器用なことをしていた。もちろん目は笑ってない。 「申し訳ない、よく聞こえなかったのですが、まさか今、手違いとおっしゃられました?……ほう、そちらの書類がうちに送られた事件資料の中に紛れているかもと?」 何だろうこの感じ、この胃がキリキリする感覚はどこかで味わったぞ、と考えていたら思い出した。シェルダールダに着いた際、ファルガ・イザラントがナンパな騎警団員に対して魔法を使おうとしていたときと同じ感覚である。 師団長の殺気を感じ取ってか、床で寝転がる師団員たちが一層気配をなくした気がする。シャルロアだって、出来ることならこの場から逃げ去りたい、と思う。 しかし師団長の次の言葉が、シャルロアの逃げ腰を制止した。 「こちらがシェルダールダの連続殺人の件で忙しいのはもちろんご存知ですよね?なのに、わざわざ書類1枚のためにデバイドウォーネ領まで出向けと?」 ――デバイドウォーネ。 天啓を与えられた気分だった。シャルロアは大慌てで机上にあった適当な紙に言葉を書いて、手を上げながら立ち上がった。 シェストレカ師団長の厳しい視線が自分に向いたことに怯みそうになったが、そこをぐっと我慢して、彼が座っている席に近付いて紙を差し出す。 それには『私に行かせてください』と書いてあった。 ――今なら大して不審に思われず、現場に行ける! 紙を目にしたシェストレカは意外そうに目を丸くして、通信先に少し待つように言ってからシャルロアに向き直る。 「メル君。これはあちらの落ち度ですから、あちらから人員を……」 「私は今日はもうすぐ勤務終了ですし、仕事に支障はないと思います。それに実は以前デバイドウォーネ領に出向いたとき、ペンを落として来てしまったようで……。使いやすくて重宝していて、あのペンがあるかないかで作業効率が大幅に違うんです。見つけられるなら見つけて持って帰りたいと思っていたんです。私情が入って申し訳ないんですが、もし師団長が行っても良いとおっしゃってくれるなら、書類を返すついでにペンも探せるので大変ありがたく思います」 この好機を逃してなるものか、という気持ちが前面に出過ぎたのか、あの師団長がわずかにのけぞるほどに、シャルロアは言い募った。 シェストレカは少々思案してから、改めて通信器具を握り直す。 「……こちらの事務員に書類を持って行かせます」 そう言って師団長は通信を切り、転移許可書に手早くサインをする。 「おつかいを頼むようで申し訳ありませんが、よろしく頼みますね。返して来たら今日はそのまま上がってもらって結構です」 「了解しました」 喉から手が出るほど欲しかった許可書を胸に、シャルロアは第一関門を突破した喜びに震えそうになった。 ――お金は……たぶんなんとかなる。地図と方位磁針……いやいや、とりあえず書類! 席に戻って資料箱の中の書類を漁ると、確かに関係のない書類が混じっていた。それを手にして、シャルロアは勤務記録機を押してから勤務室を出た。 そしてそのまま転移室――には向かわず、まずは寮へ駆け足で戻る。 遺体のある森は見当がついていないがメーマイニがある森ならば、地元住民であれば知っているかもしれない。野苺はともかく、メーマイニは地質の関係で南の地方ではあまり見ない植物だ。印象に残っている人間も多いだろう。だから場所の特定を心配するよりも、森の中で迷わないようにするための準備が必要だ。 部屋に戻ったシャルロアは、財布にお金を補充し、方位磁針と地図を制服のシャツの下に隠した。窓の外から見る空は、もう陽が沈もうとしている。 森を歩くのは夜になるだろう。しかしさすがにランタンは持って行けない。書類を返しに行くだけなのにそんなものを持っていたら、怪しまれる。現地調達するしかない。 必要なものと持って行くべきではないものを素早く判断し、シャルロアは持って行けるものだけを隠し持って、転移室へ向かった。 ******** 転移は拍子抜けするほど上手くいった。 許可書があるため怪しまれることなくデバイドウォーネ基地に着くことができ、書類を第2部隊に返して、任務は終了となった。 本来であればこれですぐに帰還となるわけだが、そんなもったいないことするわけがない。 シャルロアは何気ない表情を装い、デバイドウォーネ基地を出た。 その足でまず雑貨店に向かい、ランタンを購入する。森はもちろんだが、領都からシェルダールダに向かう道も暗闇では危ない。灯りは重要だ。 同じ店で服も買った。今回は任務でシェルダールダに向かうわけではない。なのに騎警団の服を着た女が「メーマイニと野苺が生えている森を知らないか」なんて聞きこみしていたら、下手をするとファルガ・イザラントや師団長の耳に入るかもしれない。なるべく、目立つような真似は避けたい。 幸い雑貨屋の女主人は、シャルロアが仕事終わりに急いで恋人のところへ向かうのだ、とロマンス溢れる勘違いをしてくれたので怪しまれることはなかった。代わりに、袖が5分丈で 雑貨店で着替えさせてもらい、騎警団の上着を裏返しにして腰に巻けば、女主人の言う通り制服には見えなくなった。 それから貸し馬屋に出向いて、馬を借りた。騎警団で軍馬を借りるには理由が思いつかなかったので、民間の馬を借りることにしたのだ。軍馬より速度は落ちるが、それでも歩いて行くよりは速い。 準備を終えて、慣れぬ手綱さばきで馬を駆けさせること1時間半ほど。シェルダールダについたシャルロアはアルトメント地区ではなく、隣接するエトゥリガ地区に向かった。 アルトメント地区は住宅と工房が多いため、午後8時を過ぎた今では道を歩いている者も少ないはずだ。だがエトゥリガ地区は劇場があるため、観劇客やその客相手に商売する人間が多少なりともいるだろう。 ――容疑者逮捕で、人気が戻ってくれてればいいけど……。 不安を抱えながら劇場近くに行くと、煌々と明かりの灯った劇場の周りには観劇客と屋台があった。 シャルロアは人がいたことに安堵してから辺りをさっと見まわし、目を付けた屋台の前に立った。 「お兄さん、薔薇を1本ちょうだい」 「リボンはいるかい?」 花を売る男性の言葉にシャルロアは少し考えてから、つけてもらった。馬を連れた客がめずらしいのか、少々不審げに見られたがしらっとした顔でやり過ごす。リボン込みの代金を支払ったところで、当初の目的を尋ねた。 「アルトメント地区の森で、メーマイニって蔦を見たことない?」 「メーマイニ?」 「紫がかった茎の……」 「いや、わからねぇな。森に行く用事がねぇし」 「そう、ありがとう」 ――空振りか。 その場を離れて、シャルロアはため息を吐いた。聞きこみ調査というのは、こういう空振りを土台にして出来上がっていくものなのだろう。エレクトハの偉大さを知る。 気持ちを改めて、今度は淡い色合いとかわいらしい装いの屋台に近付いた。砂糖で煮込んだ果物を小麦粉を薄く延ばして焼いた生地で巻いた甘味を売る店で、明らかに女性客を狙った屋台だった。 「お姉さん、1つちょうだい」 「まいどあり!」 焼きたての生地が湯気を立てるそれをもらい、シャルロアは先ほど花屋の男に聞いた質問を彼女にも繰り返した。 「アルトメント地区の森で、メーマイニって蔦を見たことない?」 「アルトメント地区の森で?」 「そう、紫がかった蔦の……野苺なんかも一緒に生えてる」 「あー、 思わず得た情報に、シェルロアは目を丸くして屋台の女性を見つめた。ペッティとは野苺に似た果実のことで、甘酸っぱい味わいからよくジャムに加工される。 「 「あるわよ」 シャルロアは衣服の下に隠していた地図を取りだして、彼女の前に広げた。もちろんそれはデバイドウォーネ領を詳しく描いた地図であり、シェルダールダにある森も描かれている。 「どの辺にあるの?」 「ここよ」 屋台の女性が指した森は、パポヴォットの自宅と工房がある場所から一番近い森だった。 ――そうか、彼も散歩のつもりで森に入って、被害者女性の歌声を聞いたのかも……。 「もしかしてペッティを採りに行くの?確かにあそこは地元の人しか知らない穴場だけど、あんまり奥には行かないほうがいいわよ。猛獣が出るから」 「魔物は?」 「出ないけど……」 「なら大丈夫。ありがとう。これ、お姉さんにあげるわ。貴女が髪に挿してる方が映えると思うから」 シャルロアは買ったリボン付きの薔薇を屋台の女性に渡して、劇場前から離れた。 ――獣なら魔女の異能でどうにか出来る。 銀の蝶の異能は人間だけじゃなく、動物にも効くことはわかっている。魔物相手は厳しいかもしれないが、獣相手ならどうとでもなる。むしろ気をつけなければならないのは、盗賊の方だった。パポヴォットの事件のせいで、シェルダールダの治安は悪くなっているはずだ。良からぬ人間が森をうろついていないとも限らない。 ――その場合も容赦なく、魔女の異能だな。 教えてもらった 馬を連れ、森の入口に立ったシャルロアは、何もかもを呑み込むような闇を抱えた木々の奥を見つめた。蒼い月に照らされた鬱蒼と生える草、木に巻いたメーマイニ。空と空気の色こそ違うが、ここが殺害現場だとシャルロアは確証した。 ここに来るまでは森の中まで馬を連れて行こうと思っていたのだが、わずかに獣道が見える程度の森の中、馬を連れて歩ける技量と自信がシャルロアにはなかった。少々迷ったが、馬は森の入口の木に繋いでおくことにした。貸し馬には盗難防止の魔法道具がつけられているので、盗られる心配もないだろう。馬はゆったりと、足元に生えた草を食みだした。 ランタンのろうそくを取り替えてから、シャルロアは森の奥に足を踏み入れる。 ――おそらく被害者は、森の奥に向かったはず。 地元の人間が遺体を発見していないなら、彼女は地元の人間すら足を踏み入れぬ森の奥にいた、としか考えられない。何の事情があって奥へ向かったかは、この際調べなくて構わない。それを調べるのはファルガ・イザラントやエレクトハだ。シャルロアにとっては、彼女の遺品を持ち帰ることだけが最優先されることなのだ。 蒼い草を踏みしめて道を作りながら、シャルロアは時々空を見上げて方角を確認した。被害者の遺体を探せる時間は夜明けまで。少ない探索時間の中で迷子になったりなんかしたら、笑いごとにならない。そんな事態には陥らないように、念入りに足元の草を踏みしめて道を作りながら、星と方位磁針を見て自分の位置を確認しつつ進む。 ――ペッティは確か、水場を好んで繁殖する植物だった。 耳を澄ませて、水の音を探す。くわえて、皮膚に湿った空気が触れていないかどうかも。 聴覚を意識すると、森の中には様々な音が隠れていた。木々のざわめき、草を踏む自分の足音。鳥の鳴き声。ガサガサ、と葉が揺れた音に驚いて灯りを向ければ、自分から遠ざかっていく獣の影が見えた。こちらの気配に逃げ出す獣ならば、問題はない。 だが夜の森というものは、恐怖を煽るものである。 鳥が羽ばたく音に驚いたシャルロアは、「ひょっ」と変な声を上げて飛び上がってしまった。誰かに見られていたら非常に恥ずかしい。 バクバク鳴る胸を宥めるように撫で、シャルロアはさらに奥に進もうとした。しかしふと、鼻腔を刺激する甘酸っぱい香りに足を止める。 灯りで足元を照らすと、ペッティが生えていた。 ハッとして、シャルロアは辺りを照らしてみる。よく見れば、雑草の陰に隠れてポツポツと赤い実がなっていた。 しかもそれは北東に向かって密度が濃くなっていっている。 ――あっちだ。 直感を信じて、シャルロアはそちらに足を向ける。 雑草に隠れるように生えていたペッティは、北東へ北東へ向かううちに、主張を濃くしていった。しばし歩けば、ペッティの陰に雑草がある程度にまでなる。 木にはメーマイニが巻いていた。 ――この光景、覚えがある。 夕陽色に染まった森ではないが、この光景はパポヴォットが見ていたものと同じだ。 彼はここを歩いていた。 つまり、この先に。 鬱蒼と生えていた木々がふつりと途切れた。 突如として自然の広場が現れた。生い茂るペッティを、メーマイニを巻いた木が囲んでいる。おそらく昼間であれば、鬱蒼とした森にはめずらしく陽光が射す場所であるだろう。今はもの静かな月光が射す場所となっていた。 耳を澄ませば、どこか遠くの方で水の音がする。川の音かもしれない。 自然の音だけが響く、ペッティの広場。 その中央に、ひっそりと横たわる遺体があった。 群生するペッティの葉の隙間から見える髪の色は、茶色い。 ――あぁ。 ここにいてくれればいい、と思っていた。けれど、見つけたくないとも思っていた。 血に汚れた、かわいらしい服。酷い殺され方をした。 ざぁ、と木を揺らす夜風が吹く。その風に乗って、腐臭がした。 彼女の腕の一部は、骨が見えるほどに溶けていた。 シャルロアは惨状を想像し、思わず鼻を押さえる。 と、同時に。 シャルロアの背後から伸びた手が、彼女の口を塞ぐように覆い隠した。 |