「――以上が、本日分の報告です」

 オレンジ色の陽が完全に落ちた空が、飾り気のない窓から見える。
 デバイドウォーネ基地とは真逆の、質実剛健な勤務室にて、エレクトハが読み上げる報告をシャルロアは大人しく聞いていた。
 現場の検分が終わってから、シャルロアは一旦ファルガ・イザラントたちとは別れ、集会所で待機を命じられた。
 そもそもシャルロアが連れてこられたのは、目撃者がいた場合、速やかに似顔絵を描く準備に移れるようにするためである。つまり、目撃者がいなければシャルロアに仕事はない。
 なんてこと、あるはずがない。
 集会所でも出来る仕事はある。鑑識分隊から報告書や写真などを預り、後々第4師団員が読みやすくなるようにまとめておくのもシャルロアの仕事だ。
 あれもこれも、と集まる資料のまとめに追われながら仕事をしているうちに、空は夕暮れ色になっていた。
 その頃になってようやく、目撃者を探して街中を走り回っていたらしいエレクトハが集会所に戻ってきた。彼によるとファルガ・イザラントはこのままこの町に留まり捜査を続けるが、エレクトハは報告のために、シャルロアは本日は目撃者を見つけることは不可能、と判断されたため、本部に戻ることとなったという。第4師団では初日の捜査だけは必ず師団長に報告することが義務付けられている、と彼は補足してくれた。
 師団長が情報を知っておくことでやり取りが円滑に進むからか、と思いきや、どうやらこの規則はファルガ・イザラントが入ってから出来たものらしく、「捜査初日からハメを外すんじゃありませんよコラ」という師団長の無言の圧力なのだとか。若き日のファルガ・イザラントが何をしたのかは、当時を知る者たちが誰も口を開かないからわからないらしい。
 ともかく自分が残ったところで捜査の役に立つことはないとわかっているので命令に従い、シャルロアたちはデバイドウォーネ部隊から師団に戻り、本日の報告を師団長にしているわけである。
 シェストレカ師団長はエレクトハから報告を聞いて、鷹揚に頷いた。

「ひとまず、ご苦労様でした。エレクトハ君、君は一昨日寮に帰りましたね?」
「はい」
「よろしい。それじゃあ君はこのまま本部に詰めて、イザラント君からの呼び出しに対応できるように待機しなさい。仮眠は許可します」

 隣でエレクトハが「あ、僕これ事件解決まで寮に帰れない感じだ……」と悲しげな呟きを落とした。反論することなど端から諦めている。

「メル君は今日は初日ですし、寮に帰りなさい。あぁ、そう。その寮のことなんですけれどね」

 彼は思い出したように、机に積まれた書類の端をペラペラとめくりはじめた。

「騎警団は師団ごとに寮を持っているんですが、生憎うちは女子寮を持っていないんですよ」
「えっ」

 シャルロアはその言葉に固まった。
 もしかして、と言う前にシェストレカはいやいや、と手を軽く振る。

「狼の群れに子羊を放りこんだりしませんよ。大体あそこにはイザラント君も住んでいるんですから。絶対に後処理が大変面倒になりま、いや、女性を男所帯に入れるのは風紀上よろしくないですし、第6師団の寮を使わせてもらえることになりました。そもそも君は所属は第6師団であるわけですしね」

 今、すごく不安を煽られるようなことを言われた気がしたが、触れてしまったら負けのような雰囲気があるので、根性で無視をした。だがファルガ・イザラントと勤務時間外で2人きりになる状況に陥るのは避けよう、絶対に、と誓う。
 密かな決意を固めるシャルロアの前で、シェストレカは目的のものを見つけたらしく、書類の山からそれを引っ張り出した。

「寮の部屋番号と、地図です。街中のように道や建物が入り組んでいるわけではないので、第6師団の女子寮はすぐにわかると思いますが……案内を頼みますか?」

 渡された紙をざっと見る限り、案内なしでも辿りつけそうな気がしたので、シャルロアはそれを丁重に断った。

「ありがとうございます。しかし、1人で行けます」
「そうですか。では、今日はもう上がってください。ご苦労様でした」

 仕事中毒のファルガ・イザラントはともかく、エレクトハのことを考えるとここで1人切り上げるのは気が引けたが、初日のうちに寮のことを把握しておきたい気持ちがあったので、シェストレカの言葉に甘えることにした。
 敬礼して、勤務記録機を押し、部屋を後にする。
 1階に降りると、夕食の時間なのか、食堂からいい香りが漂ってきた。開かれたドアの向こうには、楽しそうに食事をする団員の姿がある。
 ――正直、食欲が湧かないな……。
 昼食はミズルワ地区の屋台で売っていた、卵と野菜を挟んだパンを食べた。それが限界だった。少なくとも今日は肉を食べたくない。しかし遠目から見る本日の騎警団献立は、骨付き鶏肉を揚げたものである。あれを口にするのは、非常に躊躇われた。
 ――あぁ、確か外に野菜ジュースの店があったっけ。あれで栄養を摂っておこう。なんていうか、もう私にはそれが限度だよ。
 遠い目をしながら食堂を過ぎ去り、騎警団の近くに構えている店で、野菜ジュースを頼んで飲んだ。





********





 第6師団の寮は、本部から北西へ5分歩いたところにあった。外装は青黒石ではなく、レンガ壁の5階建てだ。けれどデバイドウォーネ領の建築物のような華やかさはない。
 玄関広間に入ると、士官学校の女子寮でもおなじみの石鹸や香水の良い香りが鼻腔をくすぐった。むしろ騎警団で働く女性の方が大人なぶん、どこか高級感の溢れる香りがする。ファルガ・イザラントは間違いなく顔をしかめそうな香りだった。
 ――『獅子』避けに、香水でもつけてやろうかなぁ。
 ふと思いついただけだが、案外有効な手かもしれない。頭の片隅に留めておきつつ、玄関広間の隅にある管理人室のドアを叩いた。数秒後、ドアが開いて40代後半くらいの女性が顔を出した。

「初めまして。本日からこちらでお世話になるシャルロア・メルと申します。自室の鍵をいただけますか?」

 見慣れない顔を見て彼女はわずかに眉をひそめたが、シャルロアがそう名乗ると「あぁ」と何かを思い出したように頷いて、微笑んだ。

「連絡は受けてるよ。待っておいで、鍵だね」

 彼女は管理人室の奥に引き返し、鍵を持って戻ってきた。

「2階の261号室だ。荷物は運んでおいたから、荷解きだけしておくれ。この時期の入団だから、相室の子はいないよ。まぁ、のんびりとやりなさい」
「ありがとうございます」

 ――相室じゃなかったか。
 それはシャルロアを安堵させてくれる情報だった。同じ部屋に他人がいると、眠るふりをする必要が出てくる。何も出来ずに夜を過ごす、というのは拷問に等しいので、それをせずに済むのはありがたかった。
 管理人に礼を言って、シャルロアは2階に上がり、宛がわれた自室へ向かった。
 廊下はしんとしている。夕食時だから、きっとまだ食堂にいる団員の方が多いのだろう。
 261号室、と書かれたドアを見つけて鍵を挿そうと思ったが、鍵穴が見つからなかった。小首を傾げながらノブをひねると簡単にドアが開く。
 中に入ると士官学校の寮ではない、ということを思い知らされた。簡易的な台所があるし、お風呂もトイレもある。だたそれらは相部屋の人間と共同で使うものらしく、ソファとテーブルが置かれた居間も共同空間とされていた。その奥にドアが2つ並んでいる。おそらくそこが個室になっているのだろう。
 ―― そういえば、副師団長も「士官学校の寮には給湯設備がない」って言ってたっけ。
 彼は上級士官であるから、給湯設備のある部屋に住んでいるのだと思っていたが、どうやら師団の寮には必ずあるものらしい。夜にお茶が飲みたくなったときにとても便利なので、簡易台所があるのはうれしかった。
 一通り共同空間を調べてから、シャルロアは右手側のドアに鍵を挿しこんでみた。鍵は回らない。外れ。引き抜いて、左手側のドアに入れると鍵が開いた。
 個室空間は士官学校の部屋と似たり寄ったりだった。ベッドと机と椅子とクローゼットがあるだけ。ほとんど眠りに帰るようなものだから、これくらいの家具があればいいだろう。
 灯りをつけて、机の上に置かれた箱を開けた。思った通り私物が入っている。だがシャルロアの目を惹いたのは、自分の愛用するものたちではなく、その上に置かれた殴り書きされた紙の切れはしだった。

『おめでとう。すぐに追いつくから、相部屋に予約を入れとくわ。アンタほど朝の支度が早い子っていないもの。誰だって鏡の前で戦争を起こしたくない。そうでしょ?――ローレンノ』

 乱雑だが見覚えのある筆跡と、強気な言葉に思わず笑みが漏れた。ローレンノは1年生のとき、相部屋だったことがきっかけで仲良くなった友人だ。相部屋には鏡がたった1つしかないため、1年生の寮部屋では鏡の争奪戦が起こるのだが、シャルロアは彼女と鏡を奪い合ったことはない。彼女が起きるよりも早く身支度を済ませてしまっていたからだ。
 ――猫を懐かせる魔法は、覚えられたかしら。
 無茶ぶりをしてくれた友人を思い出すと、鼻の奥がつんと痛んだ。
 その痛みが目頭に移って、熱を持ちだす。
 ――あー、くそ。
 気が、緩んだ。
 溜まった熱が、涙となって机に落ちる。
 脳の一部が痺れたように感じた。じくじくとした疼きは頭痛に変わって、シャルロアの心を弱気にさせる。
 弱く、弱く。けれど徐々に。
 自分に向けられていた感情が、反響して大きくなっていく。
 ――馬鹿じゃない?
 嗚咽は噛み殺して、甘えていた自分を叱咤する。
 ――ちゃんと覚悟したでしょ。第4師団はああいうのが仕事だって。だからああいう意見が出てくるのだって、思いつかなかったわけないでしょ?
 仲の良さが、家の調度品からも感じられる夫婦だった。食器はおそろいのものがいくつもあったし、2人が寄り添う写真も残されていた。朝食の下準備だって済んでいた。妻の真心が詰まった食事を夫は食べるつもりでいただろう。きっと変わらぬ明日が来ると、被害者の2人は疑いの余地も無く思っていた。
 ――魔女(わたし)だって、あんな幸せそうな夫婦に危害を加えないよ。
 あんな惨状を見て「かわいそうに」とは思っても、「良かったね」なんて思わない。
 幸せなんて壊れればいいのに、なんて思わない。
 魔女だって、人間だ。化け物じゃない。他人の幸福を微笑ましく思う心がある。
 だが疑われた。
 魔女の仕業だと、思われた。
 あのときの空気を如実に思い出せる。あぁ、そうかもしれないな、という悪意に満ちた同意が部屋に蔓延していた。反論する気配なんてなかった。
 国の防衛を司る騎警団がそう考えるのだ。国民感情なんて探らずともわかる。表面上の差別はなくなっても、畏怖はこの国の内部に深く根付いている。都合の悪いことはすべて魔女のせいにしてしまえ、という考えがこびりついているのだ。
 はっきりわかった。
 魔女(シャルロア)は、国家の敵だ。
 共存はありえない。
 少なくとも、現在は。
 ――今さらでしょ。
 わかっていたことだ。多くにそう思われていることなんて。
 この国に生きていれば、魔女に良い感情を持つ人間の方がめずらしいことなんて知るものだ。でも、悪感情を思い知らされると恐くなる。
 もし、自分が魔女であることがバレたとして。
 友人は、自分を倦厭しないでくれるだろうか。
 第4師団は、騎警団は、危険分子として自分を隔離するだろうか。
 ――わかってるくせに。最良を望むな。最悪を想定しろ!
 無条件に受け入れてくれる、なんて甘い幻想を抱いてはならない。人間が他人を受け入れるには、それなりの信頼が必要なのだ。彼らに自分を信頼してもらうためには、それ相応の働きを見せなければならないに決まっている。
 それが叶わなかった、もしくは第4師団から信頼を得る前に魔女の異能が露見したら、国家が敵に回るのだと思っていなければならない。
 そしてそうなった場合、真っ先に対峙するのは――『雷鳴獅子』となるのだろう。
 ずずっ、とシャルロアは鼻をすすった。

『早いところ俺に餌付けされちまえ』

 ――何が餌付けよ。
 窓の外、デバイドウォーネがある方角を睨んだ。
 魔女だとわかれば嬉々として牙を剥きそうな男に飼われる趣味は、毛頭ない。





********





「それで?彼女は使えそうですかね?」

 にこり、とシェストレカ師団長は微笑んだ。
 優しげな瞳の奥に冷徹な光を鈍く光らせる上司に、エレクトハはつくづく嫌気がさした。
 答えなどわかっているくせに、この男は自分に改めて言わせたいのである。

「……少なくとも、なんで事務にいっちゃったんだろうって思うくらいには根性のある子でした。士官学校ってやっぱり腐ってたんですね。どう考えてもアレは刑事部門向きの子でしょう」
「君、彼女を侮ったでしょう?」
「……はい」

 正直言ってしまえば、エレクトハは最初、彼女を侮っていた。
 茶桃色の髪を1つに纏めたシャルロア・メルは幼さが若干残るものの、神秘的な銀色の瞳が印象的な美人だったのだ。言うなれば、飛び立つ前の蝶。開ききる前の花。
 儚げ、ではなく一本筋を通したような、凛とした美しさが彼女にはあった。
 だから、騙された。
 事務員だったし、一等兵だったし、きっとどこかの基地から人身御供のように連れてこられた人員なのだろうと思ったのだ。最近師団長の事務作業が滞っていたようだから、そこそこ事務が出来て、枯れた職場を潤わせるような見目の人間を一時的に借りて来たんだろうなと。
 馬鹿なんじゃないの、とエレクトハはそのときの自分を殴りたい。
 そういうふうに侮った自分を師団長はしっかり見ていたから、今こうして、公開処刑のような目にあっているのだから。
 勤務室にいる他の団員たちは、よけいな雷を避けるためにこちらにまったく目を向けない。普段なら放りだしている書類作業を黙々とやっていた。
 とん、とん、とん、と師団長は指先で軽く机を叩く。

「まぁ、いきなりの入団だったわけですし、これまでの事務員は使えませんでしたから侮りもあって当然でしょう。ですがね?」

 とん。音がわずかに強く響いて、止まった。

「私は言いましたね?『もう事件資料を見ただけで気絶するような無能は入れません。第4師団でやっていける有能な事務員しか取らないことにします』と」

 エレクトハは、非常に苦々しい気持ちでそれに頷いた。
 第4師団の事務員不足は、戦前から勤めてくれていた第6師団員の女性が定年退職したことで始まった。彼女は後釜を用意してくれてはいたのだが、後釜の女性は第4師団員と渡り合うには少々気が弱すぎた。書類の誤字訂正など本人に突っ返せばいいものを、第4師団員の忙しなさと殺伐さに押し負け、いらぬ作業を引き受け、ノイローゼに陥ったのである。書面の誤字を見つけただけで嘔吐するのに仕事を続ける、という有り様に、あのファルガ・イザラントが事務能力を惜しみながらも病院へ入院させたほどの壮絶さだったという。
 その後の事務員ときたら、散々だ。有能な事務員を引き抜いたくせに、ノイローゼにして病院送りにしたのだから第6師団としては悪感情があって当然だろう。当時の第6師団長には嫌味のように使えない人員を寄こされた。おそらく第6師団でも不要になった人材を辞めさせるために回されたに違いない。
 現在の第6師団長に代わってからはそういうことはなくなったが、そうなると今度は士官学校が静かに腐っており、能力的には有能なのにどこか間抜けた人間しか入って来なくなってしまった。端的に言えば、残虐な事件への耐性がある人間が来ないのだ。戦場をろくに覚えていない世代の、平和ボケである。
 内臓がばらまかれた写真を見て気絶した事務員を第6師団に戻したあと、師団長は先の宣言をした。
 おそらく、あのとき言わなかったら副師団長が間違いなくキレて暴れていたと思う。
 それを真っ先に感じ取ったから、師団長はああ言ったのだ。

「有能な、ですよ。私が、前言を撤回してまで、無能では(・・)ない人間なんて取ると思いましたか?この、私が?」

 師団長から笑みが消えて、声を発するのもためらうほど、冷然とした表情に変わる。
 エレクトハは冷や汗を背中にじっとりと掻き、息を潜めることしか出来なかった。

「メル君は、イザラント君が士官学校より引き抜いて来た子ですよ。君は彼の人間を見る目を侮っているという見解でよろしいんですね?」

 ―― そうだったのか。
 今さらながら聞く話に、エレクトハはますます苦々しい気持ちになる。それを初めから聞いておけば、少なくとも師団長や副師団長の前で侮った気配など見せなかったのに。

「いえ、違います」
「そして、その引き抜きを了承した私の采配能力も侮っていると思ってもいいのでしょうかね?ずいぶんと舐められたものだ、私も」
「いえ、違います」
「思っていなくても、シャルロア・メルを理由なく侮るということは私とイザラント君を侮る、ということになると覚えておきなさい。特別扱いしろと言っているわけじゃないんですよ。失敗を犯したら叱ればいいし、用事を頼むのも遠慮することはありません。要するに『客人扱い』をするのではなく、『第4師団員扱い』をしろと言っているんですよ、私は。そんなに難しいことを言っていますか?」
「いいえ」

 シェストレカの言いたいことは、エレクトハだけではなくその場にいる師団員全員がわかっている。師団長はシャルロア・メルを侮ったことを問題視しているのではない。
 適当な人材を入団させる上司だ、と侮るなよ。
 そう、言っているのだ。
 こういう圧力は理不尽なようであって、実は理不尽でない。師団長は侮るな、とは言っても疑うな、とは言っていないから、ただ単に偉ぶりたい上官よりも理知的だ。
 シェストレカたちの采配を疑うことは許される。彼らにとってそれは兵が己で思考している、という証になるから、むしろ推奨されている行為だ。だからファルガ・イザラントやシェストレカを妄信している輩は絶対に第4師団に入れない。
 しかし彼らは侮ることは許さない。下士官に侮られた上官がどういう末路を辿るのか、戦場を知っている2人は理解しているのだ。故に師団長たちは、自分たちを侮った者を己が持つすべての力でねじ伏せてくる。
 ――くそ、直接侮ってはなかったけど、油断した。
 本当に、シェストレカを侮ってなどいないのだ。そもそも無能な上官であれば、誰よりもまず真っ先に、ファルガ・イザラントが適当な理由をつけてその椅子から蹴り落としている。ファルガ・イザラントに追い落とされていない、という時点で非凡である証明はされているのだ。
 それどころか、ファルガ・イザラントはシェストレカを上官と認めているし、賛辞も贈っている。曰く「戦場で兵士として1対1で戦うなら勝てるが、指揮官として部隊を率いて戦い合ったらおそらく俺が負ける」らしい。
 エレクトハは戦術なんて難しいものはわからないが、シェストレカはそれに長け、冷静で度胸もあり、なおかつ人心掌握術も優れているため、指揮官として非常に優秀なのだと聞いたことがある。部下の意見を聞くことも出来る柔軟さがあるのも、指揮官向きであるらしい。
 対してファルガ・イザラントはすべてを己で決めたがる独裁者で、自分が出来ることを他者に求める節があるので、指揮官向きではないと自覚しているようだ。それでも最近は、師団長の人心掌握術を盗み覚えて、実践しているようではある。
 ――あー、もう、本当僕って馬鹿だな!メルちゃんを侮ったら、入団を許可した師団長たちも侮ることになるってなんで気付かなかったんだよ。
 これが第4師団員の入団であれば、気付けた。師団長たちが無能を第4師団に入れるわけがない。
 同じように、事務員もそうやって考えなければならなかったのだ。
 悔やむエレクトハを密かに笑っているのは先輩団員たちで、エレクトハと同期や後輩たちはわずかに顔を蒼くさせている。おそらく、エレクトハと同じようなことを思っていたに違いない。シェストレカはそれを感じ取り、わざとこうして雷を落としているわけである。
 あなたたちも考えを改めるように、という意図が感じられた。

「わかったなら、仮眠室で仮眠を取っておいでなさい。イザラント君から連絡があれば呼び出します」
「はい」

 退室を許可されたので、エレクトハはこれ幸いと敬礼を素早く返して、勤務室を後にした。
 ――僕、今日厄日なのかなー。っていうか副師団長と組むと本当にろくなことがない。
 以前組んだときは、副師団長の攻撃から犯人を守るハメになって肩を脱臼したし、分隊を率いられたときは副師団長の攻撃を避け損なって、危うく魔物と一緒に氷漬けにされるところだった。しもやけで済んだのが奇跡と言われ、しばらくエレクトハのあだ名は『奇跡のしもやけ』となった。最悪だった。
 他にも色々と副師団長にはやられているので、正直なところ犯人や魔物に負わされた怪我よりも副師団長に負わされた怪我の方が多い気がする。
 げんなりとして、廊下の窓に寄りかかったところで、後頭部に衝撃が走った。

「いてっ」
「師団長に説教されたことをありがたく思え、馬鹿野郎が」

 振り返れば、本来の上官であるレッティス分隊長が立っていた。常に生真面目な表情の彼も、今は呆れたように青い双眸を半開きにしてエレクトハを見ている。

「副師団長だったら、説教の前に床と恋人関係だ」

 難なく想像出来てしまい、エレクトハは盛大に顔をしかめた。しかも唐突に床に伏せさせたあと、ギリギリと関節を極めながら、あの圧迫感のある笑みを浮かべて説教と言う名の脅しをかけてくるに違いない。

「俺の目が節穴だと思うなよ、とか言われそうですね」
「いや、てめぇの立ち位置を身体に叩きこんでやる、くらいは言ってくれるだろ。慈悲で。その後は訓練所に行ってボコボコだがな」
「もうやだ、あの人なんでそんなに野性味溢れてるんですか。マジで獅子なんですか」

 レッティス分隊長はファルガ・イザラントと同期であるため付き合いが長く、そのぶん言葉に真実味が溢れていてとても嫌だ。

「だからそうならないように、師団長が先手を打って説教してくれたんだろ。良かったな」
「身体的圧迫と精神的圧迫の二択じゃないですか!」
「お前が侮ったのが悪い。この時期、師団長が入団を許した人間がかわいいだけのポンコツなわけねぇだろうが」

 レッティスはそう言ってエレクトハの恨み事を流し、短い黒髪をガシガシと掻いた。彼や先輩団員はその辺りのことはさすがにわかっていて、シャルロア・メルのことを侮ったりしなかったようだ。

「資料をざっと読んできたが、上手くまとめられている。アレは使える方だろう」
「添付写真で遺体を見るくらいなら眉をひそめただけでしたし、さすがに現場で1回吐いたみたいですけど、きちんと戻ってきましたよ。吐くのは第4師団員の通過儀礼みたいなもんですから、むしろ第6師団の子がよく耐えたと思います」
「ほー。今回の事件が初事件たぁ、第4師団員でも同情するくらいなのに耐えたか。師団長としちゃ遺体写真見て気絶しなきゃ慣れさせる手間が省けて儲けもん、くらいに思ってただろうに、事件現場を見せたとは。さすが副師団長は鬼畜だな」

 ――あ、やっぱりメルちゃん現場に連れて行かなくてよかったんじゃん。
 おかしいな、とはエレクトハも思っていた。連れて行くにしても、シャルロア・メルはあくまで事務員なのだから集会所に置いて行ってもよかったはずなのだ。
 ――まぁ、騎警団の事務員ってなんでも屋なところはあるにしてもさぁ……。
 小さな基地になるとその傾向が強くなる。エレクトハが知っているだけでも、その基地の予算分配から給料管理、事件書類の整理、報告書類の整理、備品管理、基地案内、別の基地のお偉いさんが来たときの昼食準備や、防火訓練教室の準備やチラシ作りなどなど、やることがとても多いのだ。士官学校で『総務』と名のつく部門であることは間違っていない。
 実際第2師団や部隊も、事件が重なって人出が足りないときは記録係として第6から人手を借りることもある。
 しかし、さすがに第4師団のヤマに第6師団員を連れて行こうという考えはどうかしている、としか言えない。さすが『雷鳴獅子』である。そして第4師団のヤマの現場に耐えた第6師団員もどうかしている、としか思えない。
 ――やっぱ、副師団長が直々に引き抜いたってだけあるわ。うん、すごい。

「あぁ、それと、あの子普通に副師団長と会話するんですよね」

 事件現場を1回退出して、戻ってきた根性もすごいと思ったが、あのファルガ・イザラントと普通に――気負いなく話せているのもすごい、と思った。
 第4師団員は大抵慣れてしまっているが、他の師団員や部隊員はファルガ・イザラントが発する威圧感に圧倒されて、畏縮してしまうのが常だ。なのにあの新米は、どういうわけだか警戒心は見られるものの、畏縮する気配はあまりない。
 レッティスも妙に思ったのか、「ん?」と眉根をわずかに寄せた。

「アイツが女と普通に会話するのは、一般人相手くらいだろ」
「そのはずなんですけど、メルちゃんが畏縮してないからか、副師団長の口が結構軽やかっていうか……いや、やっぱメルちゃんに余裕があるのかな?」

 言葉にしてみて、そうかもしれない、とエレクトハは思った。
 シャルロア・メルは、不可思議な余裕を持っている。例えるなら、副師団長を相手にして勝ち越しは出来なくても引き分けに出来る実力を持っている、とでも考えてそうな余裕感だ。
 そしてそれはシャルロア・メルだけではなく、もしかするとファルガ・イザラントも思っているのかもしれない。
 でなければ、副師団長はいかに女と言えどもその考えを正そうとするだろう。もしシャルロア・メルに相応の実力がないのなら、それは侮られているのと同じことだ。だから副師団長が許すはずがない。
 ――でも、そうなるとメルちゃんって副師団長並みの実力持ちってことに……いや、それはさすがにないわ。僕の体術ですら呆然としてたし。
 となると、魔法の方なのか?と思考を巡らすエレクトハの前でレッティスが爆弾を落とした。

「はーん。さすが、副師団長の(ラーレ)だな」
「そう、(ラーレ)……(ラーレ)ぇぇ?」

 とんでもない言葉を聞いて、エレクトハは間抜け顔で分隊長を見た。

「第4師団中じゃ、もうそういう認識だ」
「は?え?メルちゃん、副師団長が好き、なんですか」
「違ぇよ。イザラント副師団長の方がぞっこんなんだとよ」
「ぞっこん?」
「すでに求婚済みだっつう話だ」
「きゅうこん?」

 およそ、ファルガ・イザラントの話をするときに聞く単語ではない物ばかりを挙げられて、エレクトハの思考回路はブツ切れた。
 ――ぼく、まじであのときなげといてよかったわー
 停止した末に浮かんだことは、それである。
 シャルロア・メルをナンパしていた団員。あのままエレクトハが何もせずに見ていたら、本当に副師団長が殺していたかもしれない。
 確かに、ふざけた団員を脅すにしてはでかい魔法だな、と少し違和感を持っていたのだ。なるほど、アレは「仕事中に遊んでんじゃねぇよ」という脅しだけじゃなく「俺の女に手ぇ出してんじゃねぇぞ」という威嚇もあったのか。
 ―― そういうことは最初に言ってよ!
 斯く言うエレクトハも実に危うかった。勤務中に口説くな、という彼の言葉を信じてシャルロア・メル――副師団長の婚約者を勤務時間外に口説き直したら殺されるところだった。

「また阿呆なこと考える前に忠告しておいてやるが、あの副師団長が惚れたからっつう理由で入団を許したなんざ思うなよ」
「いや、さすがに思いませんよ。むしろ入れる玉だったから、惚れたんじゃないですか?」
「俺もそう思う。アイツの求婚を保留するなんざ、なかなか肝っ玉の据わった新米が来たもんだ」

 ――え。
 エレクトハの頬が、痙攣したように引きつる。

「ほ、りゅうしてるんですか、メルちゃん」

 ファルガ・イザラントが求婚した、ということは結婚する、という言葉と同じ意味である、とエレクトハは思いこんでいた。『はい』しかない選択肢に、まさか『いいえ』を突きつけられると誰が思えよう。

「らしいぜ。朝、床で寝てた奴に聞いたから間違いない」
「それ、嫁、どころか婚約者でもないですよ、ね」
「本っ当、馬鹿だなお前」

 レッティスはとうとう盛大な呆れ顔を浮かべた。

「あの副師団長が狩りに失敗するわけないだろ。こうやって俺らに話が回ってる時点で外堀を埋められてる」
「わぁ」

 そのとき初めて、エレクトハはシャルロア・メルに謝罪した。
 ――なんつうか、侮ってごめんなさい、メルちゃん。
 そして同情と、諦観もつける。
 ――かわいそうに。逃げられないだろうな。
 でも助けようとは思わない。
 君子危うきに近寄らず。そう考えているのはきっとエレクトハだけではなく、第4師団全員だろう。目の前の上官にも、哀れな子羊を助けてやろうと言う気概はどこにも見えなかった。
 ――僕に被害があるわけじゃないしね。
 結局のところは、そこだ。自分に火の粉がかからなければいい。

 こうしてシャルロア・メルは、本人の預り知らぬところでファルガ・イザラントへの供物として捧げられたのだった。
















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