※グロ表現有り。ご注意ください。


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 正直に言えば、領都フェバンタの街並みと同じく、あるいはそれ以上に港町シェルダールダの風景は芸術に溢れていた。
 目も冴えるような青い海に映える、赤いレンガの壁と白いとんがり屋根の家々。道脇には花が植えられており、青と白と赤で構成された町を彩る。建物の造形はもちろんのこと、下水道を塞ぐ蓋にまで繊細な彫りが施されているのは、他の領地では見ない光景だった。
 これで寂れているのか、と問われればシャルロアならば否、と答える。
 写真で、見ただけならば。
 シェルダールダには、美しい街並みで覆い隠せられないほど活気、というものを感じなかった。
 現在連続殺人事件が発生しているため元気がないのかと考えたが、美しい家には空き家が目立つ。店も戸を閉めてしまっているところが多い。町全体ががらんとした印象、というのが集会所まで馬を走らせたシャルロアの感想であった。
 ――寂れる、ってこういうことなのか……。
 戦争前はもっと賑やかだったに違いない。その片鱗が残っていることを逆に寂しく思いながら、シャルロアたちは事件現場とされるミズルワ地区の一軒家までやって来た。
 ミズルワ地区は港から少し離れた地区で、潮の香りもあまり届かない位置にある。どちらかと言えば山寄りの地区と言えるだろう。案内役の男によれば、緑溢れる地域にふさわしい静寂さがあるのだと言う。
 しかし白い一軒家の前には、静けさとは正反対のざわめきがあった。何があったのか知ろうとする、近隣の住民たちが家の前に押し掛けているのである。それを留めているのは第1部隊の騎士団員たちであった。

「エレクトハ」
「了解」

 ファルガ・イザラントがアゴをしゃくって野次馬たちを指すと、エレクトハは心得たようにそちらへ駆けて行った。そうして美しい顔に笑みを乗せて、人垣に割りこむ。

「はい、すみませんね、ちょっと通してくださいね?僕、騎警団の人間なので、そこの団員さんにちょっとお話があるんです」

 唐突に現れた爽やかで優しげな美男に、老若男女問わず、その場にいる全員の目と意識が向いた。ある種の洗脳行動のような有り様に、シャルロアはわずかに引いてしまう。

「あれがエレクトハの得意技だ」
「得意、技?」
「あいつ、顔が良いだろ。男でも見惚れるくらいだから、目眩ましに使えて便利だぜ」

 あれ、おかしいぞ?シャルロアは生温い笑みを浮かべた。顔が良い、というのは褒め言葉であるはずなのだが、その後に続いた目眩ましという言葉が物騒だ。シャルロアの頭はそれは相手を欺くとかそういう意味の単語であったと記憶しているのだが。

「えっと、エレクトハさんはもしや、ご自身の顔の希少性を理解しているとか」

 ファルガ・イザラントは彼女を睥睨した。

「お前、エレクトハはもう24の男だぜ?あの歳で自分の顔の造形を理解してねぇなら、どうしようもねぇ馬鹿だろ。にっこり笑って甘いこと言って、二枚目に弱い女から情報をふんだくって来んのがあいつの仕事だ」
「あぁぁぁ、やっぱりエレクトハさんも第4師団の人間だったぁ……っ!」
「当たり前だろ、何言ってんだ」

 良識ある、と思っていた人間がそうではなかったと知ったときの衝撃の大きさと言ったら。情報収集と言えば聞こえはいいが、やってることは乙女心や女心を玩んでいることじゃないかと思ってしまうのは気のせいだろうか。
 頭を抱えるシャルロアを、ファルガ・イザラントが引きずって歩く。そしてその後を他の団員たちがついてくる形だ。

「っていうか、副師団長。そもそもなんでエレクトハさんを野次馬の中に突撃させたんですか」
「第4が調べに来た、と今の時点では思われたくねぇからだ。俺の顔は王都に近い国民なら知ってる場合もあるからな。念のため、エレクトハに注意を向けさせておいて、その隙に現場に忍び込むんだよ」
「わぁ、何も悪いことやってないのに忍び込むことになったのは、初めてです」
「いい経験になったな」

 経験することすべてが良いことだとは言えないと、本日学習した。分隊長たちもとても言葉には言い表せない微妙な表情を浮かべていたので、非常に申し訳ない。
 無駄に爽やかな笑顔を振りまくエレクトハを横目に、シャルロアたちは無事に現場へ入ることが出来た。
 が、玄関に入って――シャルロアは思わず顔をしかめた。
 生理的な嫌悪を催す臭いが、辺りを漂っている。

「被害者の情報は」

 ファルガ・イザラントはいつもと変わらぬ表情で、家の中を見渡していた。
 家自体は普通の一軒家だ。木床には花柄の赤いじゅうたんが敷かれ、靴箱の上には花が活けられていた。美しい手編みレースの花瓶敷きも含めて、それらは被害者夫婦の妻の好みだったのではないか、と場数を踏んでいないシャルロアにさえ想像出来る。そしてそうやって家の中を整える妻を見守る、夫の姿も。
 副分隊長はファルガ・イザラントを先導し、玄関から見えていた階段を上がりながら、被害者についての情報を話した。

「被害者はイザレ・テレンサー、28歳女性と、ライガーバ・テレンサー31歳男性。関係性は夫婦で間違いない、と近隣住民と戸籍の確認が取れています。妻のイザレは掃除婦、夫のライガーバは菓子屋勤務。今のところ勤務先で厄介事を抱え込んでいたという情報は入っていません」
「発見者と現場は?」
「発見者は隣に住んでいる夫婦です。馬車に乗って王都まで一緒に観光をする予定だったのに、待ち合わせ時刻を過ぎても表に出てこないので裏口を覗いたらドアが開いていたので不審に思い、中に入った、と」

 階段を上がりきると、廊下で鑑識の団員が指紋採取をしていた。器材と人を縫うようにして奥に進み――臭気の濃い寝室へ足を踏み入れる。
 部屋に入ってシャルロアの目を惹いたのは赤、ではなく白だった。
 ベッドに仰向けで倒れている女性の遺体。この国には様々な肌の色の人間がいるが、目の前にある肌ほど白いものはない。あの白さは血が通わなくなったことでしか得られない。
 ぞっとして息を吸った瞬間、喉の奥に絡むような生臭さがした。同時に部屋全体の惨状が目に入る。
 男性の遺体は床で仰向けに倒れていた。頭の一部が陥没しており、青い眼からは血が流れている。そして彼の左腕は、上腕で断ち切られていた。
 その左腕を探すなら、ベッドの上の女性に視線を戻さなければならない。彼女の有り様は、夫よりも酷かった。
 紺色の前髪で隠せていないこめかみ部分が、青黒く変色している。白い紙にインクを垂らしたようにさえ見えた。さらに細い喉は真横に切り裂かれ、開かれ、傷口がぐちゃぐちゃになっている。
 異常な点はそこだけではない。それまでの事件資料通り、女性被害者は夜着を着たまま胸から下腹部まで、縦に切り開かれていた。シャルロアが立つ位置からではその内部まで見ることは出来ない、が、長い筒状の肉――腸らしきものの一部が胸のあたりから飛び出ているのは、どう考えてもおかしい。
 だが何より。
 シャルロアを蒼褪めさせたのは、女性の、つまり妻の脇腹に、夫の左腕が刺さっていたことだった。
 血の臭いがする。
 それも、生きた血ではない。留まり、腐った血の臭いだ。
 どろりと鼻の奥にこびりついて離れない。
 ――これって、血、の臭い、なの?本当に?
 狂気に臭いがあるなら、こんな臭いなのではないか。
 この、脂ぎった、酸っぱい、臭いが。
 胸が、悪くなる。

「メル」

 『雷鳴獅子』は部屋の入り口で棒立ちになっているシャルロアを振り返りもせずに、淡々と現場を検分しながら声をかけた。

「現場を汚すなよ。吐くなら桶に吐け」

 シャルロアは背後に立っていた案内役の団員から桶を奪い、廊下の端まで走って吐いた。





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 精神に値というものが存在するなら、おそらくシャルロアのものはガリガリと削られているに違いない。
 朝食をすべて吐き、喉を焼くほど胃液を吐いて、やっとシャルロアは人心地ついた。案内役の団員は良い人で、背中をさすって水まで差し出してくれた。乙女心としては人前で吐いてしまったという事実で心が萎れそうだが、横で無言で励まし続けてくれた彼には感謝しかない。

「足手まといになって申し訳ないです」
「いや、うちの連中も何人か吐いてるから。『兎』の君が吐かなかったら、第4師団と第6師団ってどうなってんのって思うところだった」

 慰めかな、と思って顔色を見れば、9割本気な表情をしていた。シャルロアが吐かなかったら、危うく常識人がいっぱいの第6師団が恐怖の師団に変わるところだった。危ない。
 そう、第6師団の在籍する彼女らは、感傷に浸れる善良な人たちだ。
 男性に感傷がない、と言いたいのではない。だけど女性は同調しようとする生き物だ。男性に比べれば、どうしても女性の方が感情に引きずられる部分が大きい。故にこのような惨殺死体を見た場合、痛ましい気持ちに駆られて、覆いかぶされて、潰れてしまうのだと思う。
 シャルロアは割り切っている方、だと自分では思っている。写真は耐えられた。だが現場の空気に触れれば、被害者への悲しみや痛ましさなどの感情に反比例して、犯人への恐怖感や嫌悪感が爆発しそうになる。
 ――でも、ダメだ。
 シャルロアはそれを望まれて、ここに来たわけではない。
 あの『雷鳴獅子』が望んでいるのは、有能な事務員ではなく、第4師団でやっていける有能な事務員、なのだ。
 ここで逃げだしたら、容赦なく切り捨てられる。
 ――わかってる。

「……戻ります」
「だ、大丈夫?」
「はい。第4師団の事務員、なので」

 吐瀉物を処理してから寝室に戻ると、ファルガ・イザラントは3赤星紋章を胸につけた分隊長と話しながら女性の遺体を見ていた。その傍にはいつのまにかエレクトハも書類とペンを片手に立っている。
 シャルロアが部屋に足を踏み入れる前に、ファルガ・イザラントはこちらを一瞥して、すぐに視線を元に戻した。
 ――大丈夫。まだ見捨てられてはない。
 『雷鳴獅子』の気質であれば、不要なものは現場に入れないはずだ。出て行け、と言われないだけ、シャルロアにはまだ価値がある。

「取り乱しました、申し訳ありません。記述を代わります」

 エレクトハに近寄り、そう言うと、彼は目を丸くしてからシャルロアに調査書とペンを渡した。
 その表情を読み取るに、シャルロアは脱落した、と思われていたのだろう。
 なるほど、と彼女は自分の現在の立ち位置を理解した。
 つまり、自分は師団長と副師団長が入団を許可する程度には無能では(・・)ない、けれど、彼らが求める水準の事務員だとは思われていなかった、ということだ。
 だが別に腹立たしくはなかった。向こうも向こうで、使えない事務員にうんざりしていたことだろう。やって来た新米を侮るなんて当たり前だ。侮られ続けるのが嫌なら、結果を出していくしかない。
 ――目標は、第4師団員が求める水準、くらいね。
 それより有能すぎてはいけない。万が一にも魔女だと怪しまれるような目立ち方はしたくないのだ。『新米?あぁ、新米の割には上手くやってんじゃねぇ?』くらいの能力が望ましい。

「凶器は家にあった包丁と、金づちか」
「はい。指紋が取れました」
「喉仏は?これまでの被害者全員と同じように取られてたか」
「イザレ・テレンサーだけ奪い取られています」
「んで、結局死亡推定時刻は午後11時から午前2時の間でいいんだな?」
「遺体を見るに、間違いないです」
「エレクトハ」

 書類とペンを手放した彼は、はい、と指示を待った。

「近辺の住人にその時間帯、不審な物音を聞いたり不審な人間を見なかったか聞きこめ」
「了解」

 慣れたような指示に対して、分隊長がわずかに慄きながら「あの」と軽く手を上げた。分隊長は見る限りファルガ・イザラントと同年代であるようだが、完全に『雷鳴獅子』に畏縮している。

「人間……だけでよろしいのでしょうか?」
「あ?」

 眇められた金の瞳に分隊長は肩を跳ねさせたが、さすがに一等兵と違い、自分の意見を言うだけの気概を持っていた。

「ここは寂びても港町ですので、ポーツ大陸から獣人が渡ってくることもあります。肉食獣の血が入った獣人が犯人である可能性も捨てきれませんし……」

 獣人、というのは獣の特性を継ぐ種族のことで、人間の形態に近い種族もあれば、大きな獣であるように見える種族もいる。共通点としては、彼らは皆知的生命体であるため言葉が通じる、ということだろう。様々な獣人がいるポーツ大陸で、各々人間とは違う法律に従い、生活しているという。
 そのポーツ大陸とは海を挟んで真向かいにあるアーセント大陸。その最南端に位置するオルヴィア王国は、獣人が渡ってくるのを見ることもある。虎の血や狼の血を継ぐ獣人もいるというのだから、そういう疑念が出るのは仕方ないことかもしれない。
 ――でも、やだな。
 シャルロアはペンを片手に、わずかに眉をひそめた。
 経験則。獣人を理由なく恐がる人間は。

「それに、近年影はありませんが、魔女の仕業である可能性もあります」

 魔女を恐がる傾向にある。
 ――あーやだやだ。
 シャルロアは表情には出さず、けっ、と嘲笑う。
 そう、こういう連続的な殺人が起こって、それが新聞で報道された場合は、必ずと言っていいほど『魔女の仕業か!?』という話題が出る。
 連続殺人犯も大量殺人犯も、恐ろしいことをしでかすのは皆魔女、魔女、魔女、だ。
 この国は大層な魔女嫌いというよりも、魔女過剰反応だと思う。それもこれも昔あった事件のせいだ。
 今からおよそ110年前のこと。とある領地で穀物の病が広がった。原因不明の病で穀物は次々と枯れ、このままでは餓死者が出る、と頭を悩ませる領主のもとに、1人の魔女が現れた。曰く「私の異能で穀物の病を癒してみせましょう」と。
 魔女は穀物を撫でて、見事病の穀物を癒して見せたという。
 しかし調べてみれば、そもそもその病は魔女が広げたものだった。魔女は領主に取り入るために、異能で病を自在に操っていたのだ。
 領地に混乱を与えた罰として、領主はその魔女を処刑することにした。そしていよいよ処刑の日。魔女は殺される前に「愚かな領地に災いあれ!」と叫び、その領地に病が残るように呪いをかけた。その言葉を聞いて領主が再び調べてみれば、魔女が病を広げたという事実はなく、すべては領主の部下が魔女に恩賞を与えるのを嫌って作りあげた虚偽の報告だった。以来、その領地でのみ奇妙な穀物の病が見られるようになった、という話。
 これはおとぎ話ではなく、実際にオルヴィア王国であった事件であり、奇妙な穀物の病は今でもエッテル領地を蝕んでいる。そして病は領地を超えればまったく見なくなるのだから、魔女の恐ろしさを物語っていよう。
 実はこうした魔女の異能に関する話があちらこちらに散らばっており、それらが真実味を帯びているため、この国では必要以上に魔女が恐れられているわけだ。
 ――でもだいたいは、魔女に濡れ衣着せて殺してるから異能で悪さされてるんじゃない。
 シャルロアだって善意で人助けをしたのに、濡れ衣で殺されそうになったら、魔女の異能を全力で使って混乱と恐怖を巻き起こして逃げてやると思う。

「俺が迫害された魔女なら」

 ゴロ、と『雷鳴獅子』の喉が鳴り、射るように目が細まった。

「王都で大量虐殺を起こすがな」

 上には上がいた。
 当の魔女ですら思いつかなかったことをあっさり言い放った男は、しんと静まった寝室を見渡して、喉を鳴らして嗤った。

「冗談だ。笑えよ」

 ――わっ、笑えねぇぇぇ!
 なんでこんな危険思想を持った男が捕まってないんだ、と思ったら捕まえる方だった。この国は実はもう終わっているのかもしれない。
 エレクトハを見ると、彼は優しげな笑みを浮かべて遠くを見ていた。現実逃避をしている。
 ファルガ・イザラントは見渡していた目を女性の遺体に固定して、話を続けた。

「絶対とは言わねぇが、犯人は人間の男だ」

 そう言いながらもどこか断定的な言葉に、分隊長だけではなく、寝室を調べていた他の鑑識団員もファルガ・イザラントを訝しげに見た。

「何故、そうわかるのです」
「この事件は、どう見ても猟奇的殺人だ」
「はい」
「人族に対してこういう猟奇的殺人を起こすのは、大抵同族――人間なんだよ。しかも統計的に凶悪殺人の犯人は男が多い。と言っても今までは半信半疑だったが、今回は弱者(おんな)だけじゃなく、強者(おとこ)も殺されてる。夫の方はもみ合った形跡があるだろ」

 ファルガ・イザラントの視線を追って、夫の遺体に目を向けると、着ている夜着のボタンがいくつか外れ、右腕に防御創が見受けられる。確かにこれは犯人と争った形跡であった。

「つうことは、犯人はそれに押し勝って夫を殺したっつうことだ。死の瀬戸際ってときの男と争って勝つのは、女の犯行では考えにくい。魔女なら異能を使えば可能かもしれねぇが、それならそもそも凶器を使う理由がねぇだろ。それこそ異能を一発ぶちこめば済む話だ」
「魔女の、何かの主張、ということも考えられるのでは……」
「ならよけいに異能を使わねぇと、魔女の仕業だってわかんねぇだろうが。それにこれは主張っつうにはあまりにもお粗末な、行き当たりばったりな犯行だぜ」

 その発言に、周りの団員たちは驚愕した。

「これが、計画されていない犯行だと言うのですか!?」
「今回の事件で、それだけは確実になった。今までは女ばかり狙ってやがったからどっち(・・・)か決めかねていたが、今回は夫、つまり男がいる時間帯にわざわざ上がりこんでどっちも殺してやがる。だが夫の方の遺体は放置で、妻の遺体は今までと同じように玩ばれてるだろ。女を狙った犯行に間違いはねぇが、計画性があるなら障害となる夫がいない時間帯を狙うことが出来たはずだ。なのに実際は夫がいる時間帯に来て殺した。これが計画性ある犯行なら、犯罪史上稀に見るお笑い草だな……エレクトハ」
「はい」
「目撃証言があった中で、痩せ形の20代半ばから後半の男が挙がった場合、それを優先的に追え」
「了解。行ってきます」

 ファルガ・イザラントの不可解な条件に聞き返すことなく、エレクトハは寝室を出て行った。
 それを見送ってから、『雷鳴獅子』は新米に向かってにやりと嗤う。

「メル、総務部門では受けられねぇ授業を受けさせてやろう。さっき言ったとおり、この犯人は猟奇的かつ、計画的じゃない犯行を重ねている」
「……はい」
「計画的じゃない、と思われるもう1つの根拠は、凶器がすべてその家にあったもので、その場に残されているからだ。お前がもし殺人を犯そうと思ったら、何を用意する?」

 なんつう質問をするんだ、と思いながらも、シャルロアは真面目に答えた。

「ロープや、ナイフ、ですね……」
「そうだな。行った先に殺せるものがあるとは限らねぇから、計画的な殺人の場合、多くは凶器を準備する。魔法でも殺せねぇことはないが、魔法は点の攻撃じゃなく、面の攻撃だ。人間1人殺すには派手で人目につきやすいから、大量虐殺しようって気でもない限り忌避される」
「……にもかかわらず、この事件の犯人は言うなれば手ぶらで犯行現場にやって来て、魔法を使うわけではなく、そこで凶器を見繕い、殺している、ということですね?」
「そうだ。ついでに言うなら、男には目もくれず、女の遺体を玩んで、指紋がついた凶器をその場に放り捨て、現場を後にしている。これから推測するに、犯人はな、どうしようもねぇ強烈な妄想癖を患ってやがって、妄想を実現しようとするだけの頭しかねぇ野郎だってことだ」
「妄想?」
「どういう妄想かは、俺にもわかんねぇよ。だが殺した女の遺体は必ず掻っ捌いて、内臓を弄ってやがる。おそらくは女を殺す理想の形がこれなんだよ。で、その理想は長年の妄想によって成り立つもんだ」

 ――長年の妄想?
 意味がわからずシャルロアが眉をひそめると、ファルガ・イザラントは呆れたような眼差しを彼女に向けた。

「てめぇまさか、凶悪犯がぽっと生まれるとでも思ってんのか?」
「え」
「犯人の妄想は数カ月やそこらで完成するわけじゃねぇし、実行するほど病みもしねぇ。大抵は幼少期に素地が出来て、多感な時期に発症し、妄想を10年くらいは寝かせておくんだよ。となると、容疑者として可能性が高いのは20代半ばから後半くらいの男になる」
「あぁ、なるほど」

 年齢指定の根拠はそこにあるらしい。その理由は納得できたが、まだもう1つ、痩せ形と判断した理由がわからない。
 ファルガ・イザラントはその疑問の答えも教えてくれた。

「そういう類の犯人を捕まえるとだな、面白いことに大抵が痩せ形の男だ」
「つまり、経験則ですか」
「どちらかと言えば統計だ。重度の妄想癖を患ってる奴は食事を摂らねぇ。だから痩せてる。今回の犯人も、妄想を実現するためなら自己保身なんて思考外、気に入った女がいたら、好きな店に入る程度の感覚で殺してやがるだろ。その類の犯人だと予想されるから、痩せ形っつうのを条件に入れた」

 押さえていた吐き気が戻ってきそうな話だ。シャルロアはわずかに目をつむり、気分を落ちつかせる努力をする。
 もう吐くものがない。そういうふうに宥めれば、少し落ちついた。

「しかし、『目的』が見えねぇな」

 ――目的?
 シャルロアは首を傾げながらも、書類の備考欄に速記で彼の言葉を記入した。当時思っていたことを記録しておくと、資料を後々見返すとき推理の糧になる、と何かの本で読んだことがある。この書類も正式な報告書ではないし、無駄なことを、と叱られることはないだろう。

「行き当たりばったりの犯行なのに、目的があるんですか?」
「計画性はない。だが、理由なき殺人ってのは案外少数だ。特に妄想癖を患ってる奴は、常人には理解されねぇが、自分の中では相応の理由があるからこそ殺人を犯してんだよ。下調べして標的を計画的に殺してるわけじゃねぇが、犯人の琴線に触れたからこそ殺人が起きている。犯人の琴線に触れた被害者の共通点はなんだ?」

 ファルガ・イザラントのそれは呟きであり、シャルロアへの問いかけではない。だが彼女も黙りこんで考える。
 被害者たちの外見に共通点はない。1人目の被害者の髪色は金。2人目は銀。もうこの時点で共通点は失われた。髪の長さか、とも思ったが、女性の被害者は皆長さがバラバラだ。短髪の女性もいれば、長髪の女性もいる。
 瞳の色も違う。外見が整っている女性を狙っている、とも言い切れない。容姿の美醜というものは、結局のところ自分の感性に帰するものだ。美醜に重きを置いて――つまり好みの女性を殺している、と考えるには、被害者女性の顔や雰囲気がそれぞれあまりにも違いすぎた。
 強いて共通点をあげることが出来るなら、狙われているのは年若い女性だということくらいだろうか。だがそれも共通点、と言い切るには弱い。下は18歳から上は29歳。被害者の年齢にバラつきがある、とも言える範囲だ。
 働いている女性もいれば、家を守る女性もいる。職業が違う。
 考えても、共通点は見いだせなかった。
 ファルガ・イザラントのように遺体を見つめるだけの耐性を持ち合わせていないので、シャルロアが書類を睨んでいると、寝室に副分隊長が入って来た。そういえば彼の姿は先ほどから見えなかった。どこか別のところにいたようだ。
 彼はまっすぐファルガ・イザラントのもとへ近寄った。

「イザラント副師団長。犬猫の件ですが、問い合わせたところアルトメント地区とサラガ地区、エトゥリガ地区の至るところで野良犬や野良猫の死骸が見つかっているとの報告が」

 シャルロアは即座に脳内の地図を広げた。3つの地区は隣合う位置関係にある。

「腹は捌かれてたか」
「はい。喉も捌かれていたようです」

 金色の瞳が険呑に輝いた。

「アルトメント地区の見回り人員を増やすように『虎』に通達しろ。不審人物の情報はこちらにも回せ、ともな」
「了解しました。しかしアルトメント地区だけでよろしいのですか?」

 わずかに眉根を寄せて訝しげな様子を見せる副分隊長に、ファルガ・イザラントは迷いなく頷いてみせた。

「第1被害者はアルトメント地区の住人だろ」
「はい」
「1人目の被害者だけは、遺体の様子が若干違う。顔や頭に複数回の殴打痕があり、刺し傷も無数にあった。アレは犯人が人間を殺めるのが初めてだったから、要領を掴んでなかった。だがおそらくその前に、動物を殺してやがるんじゃねぇかと思った」
「……何故そんなことがわかったんですか?」
「わかったんじゃなく、統計だ。人間を殺して被る責任ってのは現代社会に生きてれば、ガキでもわかる。だから妄想癖を患った奴らは、とりあえずは手近な動物で満足を得てみようとすんだよ。それで満足を得られなかった奴らが人間に手を出す。で、手近な動物に手を出してたってことは犯人はアルトメント地区、サラガ地区、エトゥリガ地区のいずれかに住んでいる可能性が高い。そして今回の犯人は目についた女を無計画に殺していることから推測するとだ、最初の被害者は自分の住んでいる地区で見つけた女なんじゃねぇか?」

 その場にいる全員がハッ、としてファルガ・イザラントを見つめた。
 言われてみて、初めてその可能性に辿りついた。確かに第1被害者は他の被害者と違って傷が多かった。言いかえれば、殺すのに手間取ったふうだった。
 妄想を現実にすることしか考えていない人間が、手近な動物を殺すだけでは満足できず、目についた手近な女を初めて殺した。
 アルトメント地区の事件には、そういう面が隠されていたのだ。
 副分隊長は慌てたように敬礼して、外へ走っていった。おそらく第1に通達しに行ったのだろう。シャルロアはその背を眺めながら、改めて第4師団員の精鋭ぶり――副師団長の人心掌握術に背筋を震わせた。
 本来なら、副師団長はわざわざ考えていることを説明しなくても、命令1つで人を動かせる立場にある。理由を問われても「黙って言うことを聞け」と言えるだけの階級が約束されているのだ。
 だがそれは便利な手であるとともに、悪手でもある。
 人は理不尽な命令には反発を覚えるものだ。それが幾度も続くとやる気が下がり、最悪は反感による虚偽の報告をされることだって考えられる。少数精鋭の第4師団員が捜査のみに集中出来るようにするには、鑑識や見回りなどの任務を地元の部隊に任せる他ない。なのに部隊員に反発されては仕事にならなくなる。
 だからファルガ・イザラントは、自分の命令は理論的な考えから生まれたものだ、と知らしめた。
 新米であるシャルロアを、上手く使って。
 同じ部隊である分隊長への説明時には、まだ鑑識団員たちには反発心があった。第2部隊の受け持つ事件へ横から介入したのだから、そういう感情を持って当然である。分隊長との会話は『他所者がわかったように』という思いがまだあっただろう。
 だが話相手がシャルロア――自分たちのなわばり外、しかも新米の女団員になると、彼らの警戒心や反発心が解ける。説明している相手は自分とは違う師団にいる団員だ。その内容も新米相手だから丁寧で、彼らにもわかりやすい。自分たちに向けて言われているわけではないし、すんなりと話に耳を傾けることが出来る。
 そして冷静な頭で聞いてみれば、ファルガ・イザラントの命令は突飛なようで、その根幹にはしっかりとした考えや経験があることがわかる。
 ダメ押しに副分隊長への説明が加われば、もう誰も文句は言えない。少なくとも今まで第2部隊の誰も、ファルガ・イザラントがしたような推理を言いださなかった。彼には鋭い洞察力と明晰な頭脳がある。
 そう判断した彼らは、ファルガ・イザラントを司令塔として認めた。
 今、鑑識団員の副師団長を見る目は、恐れと信頼に満ちている。これから彼らは端的な命令でも理由を聞かずに動いてくれるだろう。
 ――恐ろしい人だ。
 ファルガ・イザラントは第4師団員を『戦闘にしか脳が向かない奴ら』と言っていたが、これを見てその言葉に誰が頷くというのか。少なくともシャルロアは頷かないし、ファルガ・イザラントへの警戒を高めた。
 ――厄介だわ。
 捜査する上では頼もしいことこの上ない能力だが、たった一度でも決定的な過ち――魔女の異能を見せれば、ファルガ・イザラントはそれを見逃すことなくシャルロアが魔女だという事実に辿りつくに違いない。
 忘れないようにしなければならない。
 ファルガ・イザラントはシャルロアの魔法(・・)について疑っている時点で、敵に回っているということを。
















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