西棟では騎警団員を廊下でちらちら見たのに対して、東棟では人の気配を感じることはあまりなかった。東棟の1階には第3師団の勤務室と、医務室、食堂が入っているらしいが第3の勤務室はこじんまりとしているし、医務室はそもそも騒がしくする場所ではない。2階に上がるために通りすがった食堂からは良い香りが漂っていたが、まだ解放時間ではないからなのか、騎警団員たちが食事を楽しんでいる光景はなかった。
 しかしひっそりとしていたのは1階だけだった。ファルガ・イザラントに連れられて2階に上がれば、途端にギッギッ、という非常に恨みがましげで不快で不気味な音が鼓膜を震わせた。
 シャルロアが眉宇を引きつらせたのを見て、『雷鳴獅子』は喉で嗤う。

「心霊音じゃねぇよ。安心しろ」
「それは……そうでしょうね……」

 こんな心霊音あったら、神秘性も何もない。シャルロアの耳に聞こえるこれは、どう考えても歯軋りだ。

「だ、第4師団員のみなさんは、多大なストレスを抱えてらっしゃるんですか」
「んな細ぇ神経で、うちの仕事がやれるわけねぇだろ」

 呆れたような声音で返されたが、ではこの尋常ではない歯軋りはいったい何だと言うのか。
 廊下を進み、『第4師団勤務室』と看板がある下のドアを、ファルガ・イザラントは家のドアを開けるかの気楽さで開いた。
 第4師団の勤務室は、おおよそ想像通りの部屋だった。事務机が並び、資料を入れているらしい箱が雑多に積まれている、けれどもシャルロアの想像よりは散らかし具合が酷くない。少数精鋭の師団のため、部屋の片づけなど二の次ではないか、と考えていたのだが、違ったらしい。
 そこまではいい。むしろ万歳だ。
 しかし短い毛の青い絨毯が敷かれた床に、ごろごろと屍――もとい、師団員が寝転がっているのは完全に予想外だった。
 彼らはファルガ・イザラントがドアを開けた音に、身体をわずかに反応させた。が、すぐに元通り歯軋りと、いびきをかいて眠ることに戻った。そして彼らの上司である『雷鳴獅子』はそれを歯牙にもかけない。室内を見渡してちっ、と舌打ちした。

「なんだ、師団長いねぇのかよ」

 ずかずかと中に入っていくファルガ・イザラントとは対照的に、シャルロアは勤務室の入口で二の足さえ踏めずにいた。床に倒れた師団員たちが奏でる恨みがましげな歯軋りと、唸るようないびき。しかもちらりと見えるその顔色は土気色である。死んでないのがおかしい、と言えるくらいには。

「ふ、副師団長」
「勤務時間外だってんだろ。なんだ」

 シャルロアの硬い呼びかけに、彼は気だるげに振り向いた。その足元には、うんうん言いながら倒れている師団員がいる。

「あ、あ、あの、人が倒れているように見えます」
「あ?倒れてるだなんて人聞きの悪いこと言うんじゃねぇよ。こりゃあ寝てんだよ」
「ね、て……?」

 シャルロアの常識では、普通人は切羽詰まった状態でもない限りはベッドで眠る生き物であるはずなのだが。そしてそれ以外の場所で身体を横にしている場合は、倒れていると見做されておかしくないはずなのだが。
 ――ベッドに辿りつく体力もないほど、切羽、詰まってるのかしら。

「だ、大丈夫、なんですか?」

 ファルガ・イザラントは小首を傾げて、褐色の首筋を手で撫でる。

「床で寝てるうちは元気だ」

 衝撃的な発言である。ベッドに辿りつくまでの元気がないから床で眠っているのではないのか。何故床で眠っている状態が元気だと見做されているのか。
 ――第4師団、謎すぎる……!
 思わず頭を抱えそうになったところに、とどめの一撃が放たれた。

「だけど、廊下で寝てたら殺してでもここに回収しろよ」
「えっ」
「他の師団に見られると、規律がどうのこうのってすっげぇうるせぇんだよ。俺と師団長が苦情を聞くハメになるから死ぬほど面倒臭ぇが、原因がなくなってたら面目は立つだろ」

 まさか苦情を入れさせないために、師団員を永眠させろと言っているのか。いやしかし、この『雷鳴獅子』に苦情を申せる剛の者がこの世に存在しうるとは、とてもじゃないが考えられなかった。
 だから冗談の類かと思えば、ファルガ・イザラントの表情にはふざけた様子の欠片もない。むしろ大真面目だ。
 シャルロアは心底恐くなった。
 なんだこの職場、恐い。
 もし万が一、体調不良で廊下で倒れた場合でも殺されて勤務室に回収されるのか。そこは医務室に送ってほしい、切実に。
 勤務室に一歩たりとも入っていないのに、何故これまで事務員が長続きしなかったのか、その一端を垣間見た気がした。

「んで、ロア。いつまでそこに突っ立ってるつもりだ……」

 話しながらファルガ・イザラントの視線が左に動いた。シャルロアがその視線を追う前に、左手方向から穏やかな声がかけられる。

「おや、君が新入りですね?」

 声につられて彼女が振り向けば、胸まである長い金髪を横に流して1つにまとめた男が立っていた。騎警団本部にいることがふさわしくなさそうな穏やかな笑みを浮かべており、緑の瞳が対峙する者に安堵感を与える。
 ある意味、ファルガ・イザラントとは真逆の存在であった。
 シャルロアは思わず気を抜きそうになったが、彼が着ている服を見て、緊張を取り戻す。
 白い上着とズボンに、3青星紋章。
 それが意味する階級を、シャルロアはすでに第6師団で見ている。
 改めて彼の方を向き直り、シャルロアは背を正して胸に手を置き、敬礼した。

「本日より第6師団所属第4師団長付きを拝命しました、シャルロア・メル一等兵です!よろしくお願い致します!」

 男は書類を手に、優しげに微笑んだ。

「ご愁傷様です。私はイーヴァゼ・ファン・シェストレカ第4師団長です。これからよろしく」

 やわらかげな雰囲気を纏って、彼はシャルロアに近づくと手を差し出した。それが握手なのだと気付いて慌てて手を取ると、やはりシェストレカはふんわりと微笑む。
 ――なんだか、すっごく優しそうな人だ……ん?
 いや、待て。シャルロアは己に呼びかける。今、とても、なんだか、物騒なことを混ぜて挨拶されはしなかったか?
 ――ご愁傷さまって、どういうことなの。
 彼女は握手したまま、改めてシェストレカ師団長を見上げた。40歳前後の、優しげな男性、に見えるが果たしてそれは合っているのか。
 『欄外』と括られた無法者たちを束ねる頂点が、ただただ優しい男であるはずがある、わけがない。
 シャルロアが頬を引きつらせると、シェストレカはやんわりと微笑んだ。が、その緑の瞳はファルガ・イザラントに勝るとも劣らない、獲物を狩る光を宿していた。
 謎の寒気に襲われて、ぶわわ、と鳥肌が立つ。
 油断していた分、『雷鳴獅子』に威嚇されたときよりも心臓が縮こまった。

「なんだ、ロア。師団長が好みのタイプか」

 ファルガ・イザラントの喉で嗤う声が響く。
 それに応えて、シェストレカはシャルロアと手を離した。

「君に恨まれるような真似はしませんよ。命がいくつあっても足りなくなりますから」
「そりゃこっちの台詞だ」

 笑い合う男たちだが、その間にうすら寒いものを感じるのは何故だろう。いっそこの場から逃げ出してやりたい、と思った彼女だが、シェストレカに勤務室に入るよう促されて、仕方なしに足を踏み入れた。
 彼は足を踏み入れたシャルロアににこりと微笑んで、勤務室の一番奥にある師団長の事務机と向かう。それにファルガ・イザラントが続いたので、シャルロアも遅れて追った。
 床で眠っている屍が気になって仕方ないが、師団長も副師団長も視界にすら入れてない様子なので、シャルロアも倣って床を見ることはしなかった。郷に入っては郷に従え、である。
 ――しかし、何と言うか。
 背後から彼らを見て、思う。
 師団長と副師団長は、並ばせると本当に一見対極な存在であるかのように感じる。身長はわずかにファルガ・イザラントの方が高い。それに彼の方が体つきが筋肉質だ。シェストレカ師団長はもちろん一般男性よりは体を鍛えているのがわかるが、ファルガ・イザラントと比べるとどことなく骨っぽさがあった。
 雰囲気もファルガ・イザラントは威圧的なのに、シェストレカはやわらかい――少なくとも、その瞳に隠された射る光を見つけるまでは。
 ――どうあがいても、第4所属だもんね。根っこは似たり寄ったりか……。
 対極なように見えて似た者同士である彼らは、気安く会話を続ける。

「外に飯食いに行ってたのか?」
「いえ、必要書類を第5から貰いに。しかし、ずいぶんお早いご出勤ですね。君の職業病ですか?それとも何か緊急の事件が?」
「どっちでもねぇ。寮の起床時間前に迎えに行って、こいつが」

 と、そこでファルガ・イザラントはシャルロアに背を向けたまま、親指で彼女を指した。

「寝ぼけてる間に、結婚の言質を取っちまおうと思ってたんだけどよ」
「はっ!?」
「予想に反して寝起きが良かったから、当てが外れた」
「おや、それは残念でしたね」

 ――待って!師団長、よく考えて!
 シェストレカは和やかにははは、と笑いながら自身の席に着いたが、そこは断じて笑って流していい話ではなかったはずだ。
 ――部下が新入りに詐欺を働こうと、って待て、それ以前に迎えにきたときの舌打ちってそれが原因か!危ねぇぇぇぇっ!お母さん、寝起き良く産んでくれてありがとうっ!
 早朝、ぼんやりした顔と頭で『雷鳴獅子』の前に立ったら危うく餌食になるところだった。と考えて、シャルロアはまた自身の暴走する思考に停止を呼びかける。
 予想外の言葉に思考が乱されたが、果たしてファルガ・イザラントはどこまで冗談なのだろうか。もちろん、寝起きで頭が働かないシャルロアに何かを狙っていたのはあるはずだ。それが結婚の承諾だとは思ってもないが、たとえば、シャルロアの魔法のことだとかに関する秘密を探りたかったのかもしれない。
 ちら、とシャルロアがファルガ・イザラントを見れば、彼はその視線を敏感に感じ取って彼女の方をわずかに振り返った。口端には、油断ならぬ類の笑みが浮かんでいる。
 率直に言って、恐い。
 シャルロアは光の速さで彼から視線を外した。対して、ファルガ・イザラントは面白くなさそうな表情になった。

「何だよ、もっと反応しろ」
「あは、は……」

 自身の秘密を探られようとしているのに、いったいどんな反応を返せと。とりあえずシャルロアは女は愛嬌と言わんばかりに引きつった笑みを浮かべておいたが、引きつっている時点で失敗しているなんてことは当然把握していた。
 軋みかけた空気を一転させるように、ぱん、とシェストレカが手を打つ音が響く。

「とりあえず、まだ勤務開始時間には早いですが先に勤務内容を伝えしましょう。メル君、前へどうぞ」
「はい」

 シェストレカの話に彼女はありがたく乗った。ファルガ・イザラントの隣に立つと、シェストレカは机の引き出しから書類を取り出した。

「君の仕事は基本的に、報告書を作成したり、他の師団員が書いた報告書や経費申告に不備がないかの確認したりする書類仕事をしてもらいます。あと君は速記講習を受けて単位を取っていますね?」
「はい」

 総務部門において速記は必要単位ではなかったが、取ると成績に反映されるため、講習を受けていた。あと単純に、夜の暇を潰すのに最適だったからということもある。

「速記はどの程度なら取れますか?」
「授業内容程度なら確実に取れます」
「では調書取りも大丈夫ですね。記録を任せることになりますので、覚えておいてください。あぁそれと、もう1つ君の特技を。時折、捜査員について行って犯人の似顔絵作成もやってもらいます。ああいう記憶は時間との勝負ですから、現地に行ってもらうこともありますのでこれも留意しておいてください」
「了解しました」
「勤務時間は基本的に9時から18時まで。こちらの都合に応じて勤務時間が変わることがあります。よろしければこちらにサインを」

 ――ん?サイン?
 すでに任命書にサインをしているのだから改めてサインをする必要はないのではないか、とも思うが、きっと書類上必要な手続きがあるのだろう。
 シャルロアは差し出されたペンを持ち、机上の書類に目を通す。内容はシェストレカが言ったことそのままだったので、ざっと読んでサインをしようとしたところで気付いた。
 この書類、重ねられている。
 ぺらりとめくれば複写紙が見え、それもめくれば――婚姻届が隠れていた。
 ――は?

「うーん、なかなか聡いですねぇ」

 半ば呆然としながら顔を上げると、師団長がにっこりと笑っていた。しかしその緑の瞳がまったくもって、笑ってない。

「し、師団長、これ」
「メル君」

 やわらかな威圧感を醸し出しながら、シェストレカはアゴの下で手を組んだ。

「イザラント君は、大変お買い得な商品ですよ。二枚目ですし、強いですし、この若さで高給取りですし?いやぁ、彼の妻になる女性は幸福を約束されたも同然ですね」
「そ、それと、この婚姻届、なんの関わりが……?」
「大丈夫です。結婚生活なんて寮生活と変わらないと聞きますし、君もきっとイザラント君との生活にすぐ慣れますよ。寝て起きたらこんないい男がいるなんて、眼福ですねぇ。大変うらやましくな、いや、うらやましい。それに我が師団は共働きの夫婦を応援します。新婚旅行も2週間くらい行って来てイザラント君のご機嫌を取って、もとい、楽しんで来ればいいかと」

 話の流れから察するに。
 つまり、これは、ファルガ・イザラントと婚姻するための届けで。
 ――私、何か、面倒事を押しつけられようと……!?
 それ以上理解することを拒んだシャルロアは、無言で婚姻届を破り捨てた。
 シェストレカはあぁ、と残念そうな声を漏らして、悲しげな表情になる。何も知らなければこちらが罪悪感を抱く態度だが、知らぬ間に結婚させられそうになった直後では、まったく心動かされない。むしろ胡散臭い。

「そんなに恥ずかしがらず。さぁさぁ、一筆書くだけですよ?」

 新たな婚姻届が引き出しから出てきたが、シャルロアは触れる気すら起きなかった。ただの紙でしかない代物が、おぞましい呪いの品に思える。

「一筆書くだけって、書いたら結婚ですよね!?って言うか、副師団長もなんで他人事みたいに傍観してるんですか!止めましょうよ!」

 この師団長をどうにかしてくれ、という思いでファルガ・イザラントを見れば、彼はとても怪訝そうな表情で小首を傾げた。

「馬鹿か、てめぇ。なんで俺に都合がいい話を止めなきゃなんねぇんだ?」

 あまりの回答に眩暈がしたのは仕方ないことだと、彼女は誰かに慰めてほしかった。けれどそんな常識人、今ここに望めるはずもなく、なんとか気を確かに保つ。
 ――つ、都合がいい、ですと……?
 それはどういった意味でだろう。シャルロアの能力を探るのに、ということだろうか。もしそうなら、いくらなんでもファルガ・イザラントはシャルロアの能力の謎に人生を捧げすぎだと思う。
 しかしそれを指摘すれば、彼の探究心をよけいに刺激しそうな気がした。視線をざばんざばんと泳がせて、ついつい意味不明の言葉が口走る。

「いや、あの、求婚は自分でしようって気概くらい持ちませんか」
「あん?求婚なら昨日しただろうが。同級生が卒業するころには婚姻届にサインさせてやるよって。返事保留してる小悪魔はてめぇだろ」
「おや。気の早い」
「あんたに言われたくねぇな」

 にこりと笑うシェストレカに、鼻で嗤うファルガ・イザラント。
 それに構う余裕なく、シャルロアは衝撃に揺れた。
 ――求婚、だ、と……?
 確かに言われた。言われたが、あれは。

「本気だったんですか!?えっ、脅しとかからかいじゃなく!?」

 嘘だろう、とシャルロアは愕然とした。
 あんな、あんな威圧感と緊張感溢れる求婚があってなるものか。
 手のひらを上に向けて震わせるシャルロアに、ファルガ・イザラントは「あ?」と目を眇めた。

「何だ、気に入らなかったのかよ。しゃあねぇな……じゃあ」

 頬を褐色の大きな手が撫でた。
 彼女の銀色の瞳に、焼けた金の色が、掠れた低い声とともに落ちる。

「俺のものになれよ」

 ドッ、と心臓が跳ねた。
 跳ねた心臓が体の中心を震わせ、息を詰まらせる。
 ――これは。
 シャルロアは、目を大きく見開いて。

 ――すっごい恐い!

 恐怖で固まった。
 確かに。
 確かに彼の言葉は男らしい強引さがあって、胸が高鳴る乙女もいることだろう。しかしその表情が恐すぎる。にやり、という表現が的確な笑みを浮かべて、腹を空かせた猛獣みたいな瞳を向けられたら、誰だって恋のトキメキではなく命の危機を覚えるだろう。むしろ今、命の危機を覚えなくていつ覚えるのだ。
 何も言わない彼女に、ファルガ・イザラントは嗤ったまま小首を傾げた。

「沈黙は肯定――」
「すみません無機物化は私には無理そうです生命体でいさせてください」

 彼の言葉に被せてシャルロアが断ると、彼はちっ、と舌打ちして手を離した。その態度は、到底愛しくて求婚した女に向けるものだと思えない。

「何だよ、お前、俺の何が不満だってんだ。せっかく愛称呼びも許可してやったのに、全然呼びもしねぇし。あれか、照れ屋か?こんないい男そうそう落ちてねぇんだから、遠慮せずかかって来いよ」

 どのへんがいい男、などと口が裂けても言ってはならない。言ったが最後、くびり殺されるだろう。あと仮に彼がいい男だったとしても、獲物に襲いかかっていくような肉食系女子ではないのでお断りである。

「……正直に言って、結婚を人生設計に入れてなかったので考えられないと言いますか」

 それはシャルロアの本心だった。
 自分は魔女であることを隠している。友人ならば、良いのだ。普通の付き合いならば極端に短い睡眠時間を知られることがない。恋人もまだ良い。上手くやれば睡眠について知られずに済むだろう。
 けれど結婚は、夫はダメだ。
 一緒に生活することになれば最初は誤魔化せたとしても、短い睡眠時間に気付かれるときが必ず来る。そこからシャルロアが魔女だと気付かれてしまうかもしれない。
 公には魔女への差別は薄れたが、個人の考えとなると予測不可能だ。シャルロアが魔女であることを受け入れてくれる人もいるかもしれないし、過剰に拒絶して罵る人もいるかもしれない。そして後者を考えれば、シャルロアは安易に結婚を夢見ることが出来ないのだ。
 ――最悪を考えておかないと。
 魔女だとバレてしまった場合、その差別意識が家族にも及ぶかもしれないのだ。異能を持っているにもかかわらず、慈しんでくれた両親。生意気ながらも慕ってくれる弟。もしもの場合は一家でどこか別の国に逃げだせばいい、と言ってくれる家族に、肩身の狭い思いを絶対にさせたくない。
 異能が露見して排除、となるくらいなら、1人で生きていった方が数倍マシだ。
 ――だから『雷鳴獅子』と結婚だなんて、とんでもない。
 そもそも本当にこの男は自分のことが好きなのか、と疑いの目を向けようとしたところ、椅子に座ったシェストレカがブハッ、と軽く吹きだし、肩を震わせた。

「き、君、総務部門に身を置いといて、結婚を考えなかったなんて、くくっ」
「くっくっ」

 咽頭を震わせながら、ファルガ・イザラントも笑っている。

「お前、男嫌いだったのか?」
「違いますよ」
「ならよけいに笑えるぜ。他の部門にいたならともかく、あそこの女子の目的を知らねぇわけじゃねぇだろ」

 ――知ってますけど。
 シャルロアは思わず眉根を寄せる。
 総務部門に籍を置く女子生徒――とりわけ貴族子女は、婿を探している場合が多い。
 もちろん社交場でそういう縁を探す貴族もいるが、士官学校及び騎警団には貴族の次男、三男が多く在籍している。士官学校に入学した子息は能力は高いわけだから、跡取り娘の婿には最適、というわけだ。そして次男、三男も家を継げず、良い縁もないまま腐れていくよりは婿に行った先の爵位を継げたほうが良いわけだから、双方にうまみがある。
 また平民女子にとっても騎警団員は稼ぎが安定している良い結婚相手だ。実際多くの騎警団員は、仕事の忙しさに理解を得られやすいせいか、結婚相手に同僚を選ぶことが多い。
 ずいぶんと不純な動機で総務部門に籍を置く女子生徒が多いように思われがちだが、騎警団に入ると結婚できない、というのは若い男性団員にとってあらゆる意欲が下がる原因ともなる。そのため騎警団や士官学校としても学校恋愛や職場結婚は推奨まではせずとも、黙認しているというのが現状だ。
 当然中には純粋に、自分の能力を事務で活かしたいという志を持って入ってくる女子生徒もいるが、そういう子たちだって仕事一辺倒なわけではない。そこそこに恋をして、付き合って、という健全な恋愛を営んでいた。シャルロアほど恋愛沙汰を無視しているわけではない。
 シェストレカは笑いで乱れた息を、深呼吸で整えて言う。

「まぁ、メル君は成人したばかりですしね。イザラント君はもう少し、親密度を上げなさい」

 オルヴィア王国では15歳で成人と見做される。しかし成人してすぐに結婚するかと問われればそうではなく、結婚適齢期と言えば女性は20代半ば、男性は20代後半といったところだ。シャルロアが結婚を考えるにはまだ早い時期だ、とシェストレカは擁護してくれているらしいが、微妙に擁護になってないし、『雷鳴獅子』への助言はいらないと思う。
 そのファルガ・イザラントは、いかにも面倒臭そうにため息をついた。

「情なんざ、形を整えちまえばついてくると思うがな」
「個人的には同意しますけれど、それを狙う場合はもっと上手くやらないと」
「お二人とも言っていることが割と他人の心情を踏みにじってます」
「地位のある男なんて、大概が他の人間を踏み台にして上ってきてますよ」

 にこやかにシェストレカは言うが、それは少し語弊があるし、思ってても言ってはダメなことだろう。シャルロアは上官の前でもはや遠慮なく頭を抱えた。
 第4師団が毛嫌いされる理由がよくわかった。こんな人間まともに相手をしていたら、こちらの頭が狂う。
 頭を抱えたシャルロアを見て、隣に立つファルガ・イザラントはきょとんとした。

「何だ、腹が減ったのか?」
「……今、抱えてるところ、お腹に見えます?」
「頭だな」
「そうですか、そうですか。お腹が減ったならちょうどいい。まだ勤務記録機も押してないでしょう?そろそろ食堂が開く時間ですから、親交も兼ねて2人で食べておいでなさい」

 ――え、いや、親交なんて深めたく……。
 ない、と思う前に、緑の鋭い視線がシャルロアに突き刺さった。
 あ、これ、断ったら真綿で絞め殺されるやつだ。一瞬で理解した彼女は、賢明にも口を開かなかった。
 一方横の獅子は、愉悦気に金色の目を細めている。
 ――これ、新人虐めより酷い状況じゃないかな……?
 その疑問に答えてくれる者は、誰もいなかった。
















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