士官学校が貴族街の端にあるのに対し、騎警団本部は街壁の門に近い場所にある。むしろ青黒石(せいこくせき)を積みあげて出来た街壁の一部が騎警団の本部となっている、と言えるだろう。
 150年前、隣国が放った火球の魔法を受け止めたという街壁は、その歴史にふさわしい分厚さと高さ、そして厳めしさを誇っている。と言っても、都内から見える街壁はあくまで内郭であり、都の外から見える外郭はもっと堅牢的だ。何年も雨風に曝されていると言うのに石自体の硬度が高いため、つるりとした感触を変わらず保っている。その異様な艶やかさと、石の色味が名の通り青黒くて威圧的であるため、堅牢な雰囲気をより倍増させている。
 そしてぐるりと町を囲む二重の街壁は、オルヴィア王国では王都以外に存在しない。王城の存在はもちろんのこと、都に集中した公的機関を固く守るための城壁だ。南側に1つしか設けられていない外郭の門には、常時4人の第1師団員が立っており、さらに内郭の門にも門番2人が立ち、不審人物が都に入ろうとしていないかを見極めている。
 ――王都に来て以来だけど、相変わらず圧迫感がある……。
 その立派な内郭の門を通り抜ける際、門番として立っている2人がファルガ・イザラントの顔を確認するや否や、背筋を伸ばして緊張した面持ちになった。
 第4と第1ではもちろん上司違いのはずなのだが、門番の顔には明らかに怯えが含まれている。『雷鳴獅子』への恐怖はどうやら士官学校よりも騎警団内での方が高いらしい。
 ファルガ・イザラントは門番の様子を歯牙にもかけず、内郭の門を通過した。シャルロアも遅れて通り過ぎる。
 一歩出れば、ブーツの底が掴んだのは石畳ではなく土だった。
 都の外から吹く風が、シャルロアの鼻をくすぐる。貴族街に近い士官学校では嗅ぎ慣れることのなかった土と、草と、鉄の匂いがした。田舎育ちのシャルロアは香水の香りが漂う街中よりも、こういう匂いがする外の方が好きだ。
 内郭と外郭の間には隙間、と言うにはあまりに大きな距離が存在する。その空間は広間、と呼ぶにふさわしい。何せ6師団を抱える騎警団本部建物がすっぽりと収まった上、訓練場やら寮やらも入っているし、騎警団から許可された飲食店もいくつか建ち並んでいたりする。内郭の門から外郭の門までは、男の足で歩いても20分はかかると言うのだから、その広さには呆れるより他ない。
 遠くから聞こえる野太い声に視線を向ければ、隆々とした筋肉を持つ男たちが、訓練場を駆けていた。『第1闘魂(イートー)』『おうっ』『イートー』『おうっ』とすさまじく熱血系な掛け声であるのだが、上半身裸なのは何故なのだろうか。暑いのだろうか。しかし士官学校では騎士部門生徒もあんな掛け声を発しながら、甲冑を着て訓練場を走っていたので、服を脱ぐほどの暑さではないと思う。
 半裸集団が過ぎたその向こうでは、騎乗訓練も行われている様子だ。

「何してんだ。行くぞ」

 いつのまにか足を止めていたらしく、先を行くファルガ・イザラントがこちらを振り返っていた。慌てて駆け寄ると、彼は再び歩き出しながら焼けた金の瞳を面白そうに細めた。

「そのうち外乗(がいじょう)に連れてってやるよ」

 どうやら騎乗訓練を見ていた、と思われたらしい。まぁ、半裸男の集団を涎垂らして見ていた、とか思われていないだけよほどマシ、なのだが。
 ――何故かしら。ここで頷いたら最後な気がする。
 シャルロアは目を泳がせながら首を横に振った。

「田舎育ちなんで野掛けにあまり魅力を感じませんから、結構です」
「遠慮するな」
「馬に乗るのもそう得意ではないですし」
「あん?総務でも騎乗訓練はしただろ?」

 訝しげな視線に、シャルロアは苦笑いを返すしかない。

「副師団長。私、劣化世代の士官学校生ですよ。騎乗訓練なんて充分に行ってません」
「勤務時間外な。だが思い出した、騎乗訓練も削ってやがったな、あのハゲ」

 一応、学校長の残りわずかな名誉のために訂正しておくと、学校長はハゲてない。まだギリギリ、おでこが広いなーと思うくらいである。

「ならよけいに、騎乗訓練しとかねぇとダメだろ。転移魔法陣は基本的に騎警団施設間でしか使えねぇから、出先で『馬に乗れません』じゃお話にならねぇぞ」
「基本は習いましたが……」

 頼りなく芯のない言葉に、ファルガ・イザラントが睥睨する。

「お前そりゃあ、当然軍馬で練習したんだろうな?」

 シャルロアは、沈黙した。
 馬は大変身近な生き物である。何せ田舎では農耕馬として力をふるい、都会では乗り物として力をふるう。寿命も長く、50年近く生きるので自然と愛着が湧き、家族として扱う者も多いだろう。
 しかし一般人が乗ったり使ったりする馬と、騎警団が乗る馬はまったく種類が違う。騎警団が乗る馬は軍馬と呼ばれる、戦闘訓練を課した馬だ。血の臭いを嫌がらず、剣戟の音にも怯えない。しかしそのぶん気性が激しく、酷い馬は気に入らない人間が近づいただけで蹴ろうとするほどだ。
 そんな馬に平和ボケした生徒たちが耐えられるわけがなかった。
 否、騎士部門では耐えて騎乗しただろう。さすがにそこまで劣化している、とは同年代として思いたくない。だが総務部門に関しては大変残念なことに、当時力を持ち始めていた男爵令嬢の『恐くて私乗れませんっ』の一言で普通の馬になった。
 彼女が間諜だと知った今では、あれは一種の戦力を削る工作行為だったわけだとシャルロアはわかっている。だがやはり、王子たちの圧力を恐れて授業内容を変えた教師や学校長も酷く腐敗していた、とも思う。
 ごろ、と『雷鳴獅子』の喉が鳴った。口元は嗤っているが、目が険呑だ。

「あのクソ豚、頭にも風穴開けときゃよかったぜ……」

 それはおそらく、殺すと同義語だと思う。シャルロアはそう思ったが、口には出さなかった。怒気溢れる『雷鳴獅子』にツッコめるだけの度量ある人間が、はたしてこの世に何人いることやら。
 怒りがいつ自分に向けられるか戦々恐々としていると、風に流されたように彼の怒気が消えた。

「じゃ、次の休みが合った日に軍馬で外乗ってことで」

 一瞬聞き流しそうになったが、シャルロアは慌てて断りを入れる。

「いや、私は馬なんて持ってませんし……あーと、副師団長は軍馬をお持ちなんですか?」
「勤務時間外だ。俺も愛馬なんざ持ってねぇよ」
「えっ、それってめずらしいんじゃないですか?」

 聞いたときは話の流れを変えるつもりだったが、予想外の答えに驚いた。自分の馬を持つ、というのは地位が高いことを表す要素なので、てっきり持っていると思っていた。
 ファルガ・イザラントはうんざりしたような表情で、褐色の首筋を撫でる。

「馬っつうか、動物全般と気が合わねぇ。目が合っただけでアイツら逃げやがる」
「それ、軍馬に乗れないのでは……」
「よく馴らした馬なら乗れる。が、調教師に『アンタを見ると、馬が緊張して負荷を溜めて早死にするから、特定の馬は飼わない方がいい』って忠告されてんだよ。高い維持費かけて早死にさせるくらいなら、不特定の軍馬に乗ってるほうが賢いだろうが」

 シャルロアは生温い笑みでわずかに頷いた。確かに気配に敏い動物ならば、彼の並々ならぬ威圧感に触れ続けるのは負荷になるだろう。人間だってそうなのだから、動物たちを責められまい。

「だがとりあえず、部隊長級になったら愛馬を持ってるのが普通だ。第1の奴らは一等兵でも割と愛馬を持ってるぜ。あそこは貴族の次男、三男が多いからな。貧乏貴族はともかく、金持ちの貴族なら実家の金で馬を買うくらいのこと出来るだろ」
「確かに……」
「斯く言ううちの師団長も、良い軍馬を持ってるぜ。艶のある青毛の馬で、先の大戦をあの(・・)師団長と一緒に生き抜いた名馬だ」

 ――あの、ってなんだ、あのって。
 第4師団の師団長について、実はシャルロアはあまり詳細を知らない。下手をすると士官学校生は皆知らないのではないだろうか、とも思う。それくらい、第4師団の師団長は噂にならない、言うなれば地味、な人である。
 おそらくその評価が間違っているのだろう、と彼女は思っている。そもそも、斜め前ですたすた歩いている『雷鳴獅子』が色々と規格外で、噂を持ちすぎ、派手なのだ。第4師団長は決して悪くない。

「ま、権力っつうのはこういうときに使うもんだ。訓練名目で軍馬使うこと、許可しといてやる」

 にやにやと嗤うファルガ・イザラントに苛立つのは、自然の摂理であろう。別に申請したわけじゃないから許可なんていらないのに、押し売りである。シャルロアは自分に冷静になるよう言い聞かせながら、息を深く吐いた。
 正直彼の狙いがよくわからない。単純に誰かと外乗するのが好きなのかもしれないが、シャルロアの秘密を暴こうとしている可能性も否定できない。
 ――何て答えたものか。
 言い淀んだその隙間に、彼の低い声が入りこんだ。

「騎警団じゃ沈黙は了承と取るってのを覚えとけ」
「え」
「次の休みが楽しみだなァ?」

 ファルガ・イザラントは喉の奥でゴロゴロと嗤った。





********





 外郭に近付くにつれて、騎警団の設備や飲食店は多くなってくる。特に甘いパルプのスープの香りが漂ってくるころ、ファルガ・イザラントが手を上げた。

「あれが騎警団本部だ」

 つられて見た先には、外郭の一部、大きな荷馬車が悠々と5台は通れる門の両脇から突き出すように建築された騎警団の本部があった。
 騎警団の本部も外郭や内郭と同じく青黒石を外壁に使っているので、門から道に沿うように建てられた本部も街壁の一部であるような気になる。本部もまた、外郭と同じように厳めしい建築様式なのだ。本部1階の窓はすべて鉄格子で囲われているし、街壁の上と本部の屋上は通路として繋がっており、歩哨が立つことが出来る。そのことから騎警団本部はもう街壁の一部だ、と主張する人も多い。
 ――しかしまぁ、改めてみると大きいな。
 士官学校に来るために通ったはずなのだが、旅の疲れもあったのか、本部の印象がどうにもすとんと抜け落ちている。だから今、まじまじと見てみれば、さすがに6師団を有する本部だけあって、かなり大きかった。3階建ての建物が2棟も連なっているのだ。圧迫感があって当然のことだ。

「西側の棟が第1、第2、第6師団の棟で、東側の棟が第3、第4、第5の棟だ。西棟は第1と第6が詰めてるから割と賑やかだが、東棟は基本的に第4しかいないと思っとけ」
「え、そうなんですか?」
「第3は迅速な消火活動のために、ほとんどが都内の簡易待機棟に詰めてるからな。居るのは師団長と控えの2分隊くらいだ」

 ファルガ・イザラントはにやりと笑ってシャルロアを見た。

「それと騎警団七不思議の1つを教えてやろう。第5師団員が勤務室に居るのを見たことがある奴は、存在しない」
「え」
「いつ行ってもな、師団長が座ってるだけなんだぜ。しかも師団長がいなかったことはない。面白ぇだろ」

 面白い、と言うか恐い。
 団員がいない勤務室に一人ぽつんと座る師団長を想像すると、その非現実的な画に寒気が立ち上ってくるし、いつ行っても存在する師団長、というのは七不思議と言うよりもいっそ立派な怪談の領域に達している、というのはシャルロアの考えすぎなのだろうか。
 ――どうなってるの、騎警団。
 士官学校で聞き及んでいた騎警団との印象の差に愕然とする。が、シャルロアはそれを引きつった笑みでなんとか乗り切った。
 現実と理想なんて食い違って当たり前なのである。気にすることはない。
 その現実の内容が突飛なものである、ということには目を背けて、彼女は自分を宥めた。

「とりあえず、まずは西棟に行かねぇとな」

 そう言ってファルガ・イザラントは西棟へ向かう。しかしシャルロアは小首を傾げた。

「第4の勤務室は東棟ですよね?何故西棟へ?」
「お前が第6師団所属だからだ。まずは第6の師団長から師団員証を貰わねぇと話になんねぇ。だから貰いに行く」

 なるほど、と頷いてシャルロアは大人しく彼の後を追った。
 西棟の玄関にも警備の第1師団員が立っていた。遠目からはわからなかったが、通り過ぎるとき、彼らが酷く緊張しているのがわかった。2人の意識はファルガ・イザラントに向いていたので、もしかすると彼は以前門番や警備とひと悶着起こしたことがあるのかもしれないな、とシャルロアは考えた。
 出来るだけ存在を消すようにして西棟に入ると、中は想像通り質実剛健な造りをしていた。柱や壁へのよけいな装飾は省かれ、玄関広間には簡素な案内台と、頑丈そうな長椅子が2脚あるだけ。おそらく師団員への来客を座らせておく、くらいの意図しかないのだろう。
 だが案内台に座る女性は、美人だった。年の頃はおそらく20歳前後。花も恥じらう乙女、とは彼女のような人のことを言うに違いない、と思っていると、彼女は顔を上げて、その美しい表情を凍りつかせた。視線の先にはファルガ・イザラントがいる。
 ファルガ・イザラントの方は案内台に一瞥することもなく、さっさと奥へと歩いて行ってしまう。シャルロアは案内台の女性に目礼してから、彼の後を追った。
 廊下にはちらちらと、男性師団員の姿が見えた。彼らもまた、シャルロアたちとすれ違うときは視線を逸らして、ファルガ・イザラントの視界から外れるとホッとした表情を見せる。
 ――え、何これ。私、爆弾と一緒に歩いてるみたいなんですが?
 すれ違う人すれ違う人に、避けるような態度をとられる人物と歩いていて不安になるなと言う方がおかしい。
 今、ここで、前を行く人が暴れ出したりしたらどうしよう、とシャルロアは密かに胃をキリキリさせながら、ファルガ・イザラントに連れられて3階踊り場まで階段を上った。
 そこで、ファルガ・イザラントの足が止まる。

「俺はここで待ってるから、師団員証貰って来い。左に行けば内の勤務室だ」
「うぇっ!?ひ、1人でですか」
「話はうちの師団長が通してある。俺、第6は花臭ぇから嫌いなんだよ」

 ――何だ、花臭いって。
 よくわからなかったが、一緒に来て下さいよと言うのも癪だったので、シャルロアは了解して残りの階段を上がった。彼の言う通り左に向かって歩いて、すぐにその意味に気付く。
 なるほど、確かに――香水の香りがする。
 第6師団勤務室、の看板を見つけ、ドアのない部屋を覗きこむとそこは、女の花園だった。
 ずらりと並ぶ机の前には、男性師団員の陰などない。案内台にいた女性のように美しい、もしくは可憐な女性ばかりで、2階までの汗臭さと違っていい香りが充満している。
 シャルロアが勤務室前でいい香りに浸っていると、近くに座っていた女性がこちらを向いて、小首を傾げた。

「何か御用?見ないお顔だけど、もしかして異動して来たのかしら?」

 はっ、としてシャルロアは胸に手を置いて気をつけする。

「本日付で士官学校より第6師団所属第4師団長付きになりました、シャルロア・メルです。師団長より師団員証を受け取りに参りました」

 ガタガタッ、とあちこちで椅子が倒れる音がした。
 見れば、勤務室にいる全員が蒼い顔をして立ち上がっている。

「そんなっ、士官学校生が『欄外』へだなんて!」
「なんてかわいそうなっ」
「うっ、トラウマが」
「あんなに若い子があんな野獣の巣窟に!?」
「うそよっ!」
「こんな悲劇って!」

 ――え、悲劇なの?
 ざわめく室内に、パンパン、と手を打つ音が響く。

「静まりなさい、後輩を脅かしてどうするのです」

 凛とした声音のその人は、勤務室の最奥にいた。
 年齢は40歳前後ほどだろうか。耳の下で1つにまとめた青く艶やかな髪が理知的な雰囲気を醸し出し、あたたかな茶色の瞳が女性らしさを伝えてくる美人であった。
 そして彼女は、師団員とは違う服を着ている。白いシャツに黒いネクタイを結び、スーツのような白い上着を羽織っている。胸元には騎警団の紋章と、3青星紋章が飾られていた。
 つまり彼女が第6師団長だ。
 第6師団長はシャルロアの方を見て頷き、入室を許可した。

「こちらに」

 良く通る声に導かれ、シャルロアは奥に進んだ。
 彼女が自分の机の前まで来ると、第6師団長は席につき、引き出しから師団員証を取り出した。

「私はカラホ・ネーレデス・アンフェレバント第6師団長です。あなたは第6師団所属扱いとなっていますが、上司は第4師団長となります。命令はあちらを優先して実行するように」
「了解しました」

 机の上を滑らせてよこされた師団員証は、手帳の形をしていた。黒い皮の表装を撫でてから中を見ると、氏名と性別と階級が書かれてある。これは市民や同僚に自分の身分を証明するものなのだが、その階級に疑問が残った。
 ―― 一等兵?
 騎警団の階級は下から新兵、一等兵、副分隊長、分隊長、副部隊長、部隊長、副師団長、師団長、副騎警団長、騎警団長、となっている。
 普通は新兵から始まり、1年経てば一等兵へ自動昇格するわけなのだが、士官学校生は卒業すれば副分隊長から始まることとなる。そこから上へ這いあがれるかは己の才能がものを言うが、それでも副分隊長から開始できるのは大きな強みだ。
 そのぶん、士官学校への入口は狭き門である。間違っても副分隊長に据えることになる人物が無能であってはならない、という騎警団の思惑が感じられるほどに。正直言ってシャルロアは、自分が魔女で、眠りをほとんど必要としない身体でなければ到底受かることはできなかった、としか考えられぬほどの、狭き門だった。本来ならば天才たちを集めて然るべき場所なのである。
 そんな場所を卒業してきたというのに、一等兵とはどういうことなのか。
 その疑問は当然、アンフェレバントも予想していたらしい。理知的な顔立ちが若干疲労を帯びた色を見せた。

「一等兵、という表記は間違いではないわ。あなたは少し特殊な引き抜かれ方をしたので、その慣習に倣ったの。1年一等兵でいる代わりに、翌年には自動的に副分隊長に引きあげられるから安心して」
「……了解しました」

 言いながら、シャルロアはあの油断ならぬ獅子の顔を思い浮かべる。やはりあの男、とんでもない方法で自分を引き抜いてくれたようである。
 なんだか申し訳ない気分になったが、そもそも自分は悪くない。全部あの規格外な男のせいである、ということにして、シャルロアは胸に手を置いて敬礼を取った。
 アンフェレバントも立ち上がり、同じように敬礼を取る。

「辛かったら、いつでも異動を申し込みに来なさい。どんな手段を使ってでも第6に戻してあげるから」

 瞳に、憐みが滲んでいる。
 ――師団長にもこんなこと言われる第4って、どんなとこなの……。
 後輩を脅かすな、と言った人物が一番の脅かしをしてくれた。
 引きつりそうになる頬を宥めながら、なんとか改めて彼女に敬礼して踵を返すと、わっと美人なお姉様たちが寄ってきた。

「これ、ハーカ飴。気持ち悪くなったら舐めるのよ」
「護身術は覚えてる?身体を触られそうになったら男の急所を蹴ってやりなさい」
「獣の前では毅然とした態度を忘れずにね!」
「辛いことがあったらいつでもここにいらっしゃい。相談に乗るわ」
「どうか、お気を確かに」

 ――わー、すっごいいい香りがするぅ。
 なんだか知らないが、いい香りのするお姉様方に、口内がスッとする飴を山ほど貰った。簡単な護身術も実演してもらった。相談に乗る、と言ってくれた先輩は頼もしい。気は確かだから大丈夫だ。
 しかし獣、と聞いてシャルロアの脳裏にあの男が過ぎる。
 ――獣って、あの人のことかなぁ……。
 悩みながら第6の勤務室を退室して、階段に戻った。ファルガ・イザラントは踊り場の壁に寄りかかって目を伏せていた。
 その姿を見て、黙って、射るような目を伏せ、挑発的な態度を封じ、なおかつ威圧感を隠してさえいれば、ファルガ・イザラントは美丈夫の部類に入るかもしれないな、とシャルロアは思った。踊り場の窓から射す朝日も相まって、美術彫刻のように思える体型だ。堪らない人には堪るまい。だが威圧感を失くした彼は、はたしてファルガ・イザラントと言えるのか。
 シャルロアの気配に気付いて、金色の目が開く。
 毅然と、という助言に従って、シャルロアは胸を張って彼を見下ろしてみた。
 ファルガ・イザラントはそれを受けて、きょとんとして。
 次いで、好戦的な笑みを浮かべた。
 ――あ、無理だこれ。
 1秒で彼女は自身の敗北を知った。あの獣に毅然とした態度を取るなんて、丸腰で竜に挑むのと同じことである。
 視線を泳がせながら逸らすと、グルグルと喉を鳴らす独特な笑い声が響いた。

「師団員証は貰ったか?」
「はい」
「えらく時間がかかってたが、第4(おれら)の悪口でも言われたか?」

 ――まさか、はいと言えるとでも?
 肯定なんてしたら噛み殺される。シャルロアはそんな物騒な確信を抱いて、露骨に話を逸らすことにした。

「あー……『欄外』ってのは、第4のことでしょうか」

 ファルガ・イザラントは騎警団特有らしい隠語に反応した。

「あぁ、うちのことだな。ちなみに第1は『虎』、第2は『犬』、第3は『烏』、第5が前に言った通り『猫』で第6が『兎』になってる」
「それは部隊もですか」
「おう」

 もの見事に他の師団は動物で統一されているのに、第4だけ『欄外』とはどういうことなのだろう。ファルガ・イザラントは、シャルロアのそんな素朴な疑問を嗤った。

「騎警団を動物図鑑に当てはめるとしたら、第4は該当する動物がないってことで『欄外』って呼ばれるようになったらしいぜ」
「要するに規格外ってことですよね?」
「そんなに褒めんなよ」

 全然褒めてない。斯く言う彼も皮肉気に嗤っているので、褒められているわけではないとわかっているだろう。
 ――私、やっていけるのかしら。
 まだ第4師団の勤務室にもついていないというのに、早くも不安で胸がいっぱいだ。その原因は主に階下の男によるものなのだが。

「次はうちの勤務室だ。さっさと行くぞ」
「……はい」

 シャルロアは密かにため息をついて、階段を下りはじめた。
















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