ネルトの黒き守護手【ねるとのくろきしゅごて】 悪を戒める行いをしていた者が、悪行に手を染めてしまうたとえ。 <語源由来> とある男が主人から、高価な薬の原材料となるネルトの根が生息している山の管理を任された。男は根を掘り起こして盗む者からそれを取り返し続ける日々を送っていたのだが、ある日泥棒から根を取り返したことにより、泥で汚れてしまった自分の手を見つめて、「この根を売り払えば今よりも楽な生活送れる」と気付いてしまい、根を持ったまま行方をくらませてしまった、という故事から。 ――オルヴィア王国出版 オルヴィア国語辞典より ******** ふと気付くと、朝露の匂いがした。 それが夜が明ける匂いなのだと、シャルロアはこれまでの人生の中で学んでいる。本の文字を追っていた銀色の瞳を窓の外に向けると、思ったとおり空が明るい青に染まり始めていた。小鳥たちも目覚め、気の早いものはすでに鳴いている。 ―― そろそろ起床時間だ。 彼女はまったく頭に入ってこなかった教科書を閉じて、机の上に放り投げた。知識が脳に染みわたらない理由は、火を見るよりも明らかだ。 第4師団の切り札と名高い『雷鳴獅子』。彼が突如として訪問してきたその衝撃から、どうして一夜のうちに冷静になれようか。しかも常人と違い、シャルロアは眠りを長く必要としないのである。必然、衝撃について悩む時間は長くなった。 シャルロアは肩までもない桃茶の髪をかき混ぜて、頭を抱える。 完璧に朝を迎える前に、とりあえず落ち着ついて現状を整理しなくては。 深く、長くため息を吐いて、落ちつかない心を鎮める。 ――とりあえず、魔女の異能はバレてないと思う。 いくらファルガ・イザラントが有能であったとしても、シャルロアの能力を即座に魔女の異能だと断じることは出来ないはずだ。そうと確信を得るには、まだ証拠が足りていない。 シャルロアの使う力は曾祖父が創り上げた秘伝魔法であるから、莫大な この説明に矛盾点は何もない。魔力計測器にかけられても、秘伝魔法を覚えている所為で ―― そもそもまっとうな思考回路なら、魔女なんて単語、真っ先には思いつかないし。 だからシャルロアが決定的な失態――例えば、『 そしてもう1つの問題。 『らいめいししにきゅうこんされたきがする』問題。 シャルロアは、冗談で片付けることに決めた。 常識的に考えて、まったく話したこともない、10以上離れた小娘に求婚する男はいないという結論に達したし、何よりそれが『雷鳴獅子』であるのなら裏があると疑って当然のことだ。きっとシャルロアには想像もつかない何かを企んでいるか、からかったに違いない。そう思う。 決して『雷鳴獅子』に求婚されたのが不気味すぎて恐いとか、怯んで現実逃避しているわけでは、ない、のだ。 背筋をひやりとしたものが這ったところで、シャルロアは頭を振る。 状況整理はこれで止めておく。それよりも彼女にはもっと切羽詰まった問題があった。 昨日サインした任命書には、『明日』よりの勤務を命じる、とあった。 明日とは、今日である。 ――どこへ行けばいいのよ。 ファルガ・イザラントは昨日、どこへ出向けばいいのか指示しなかった。おかげで、師団へ出向けばいいのか、学校で待機していればいいのかまったくわからない。 ――マズイ……勤務初日で命令違反とか遅刻とかしたくない! 第一印象というのは、新しい環境に身を置くにあたって最も重要なことである。だと言うのにあの『雷鳴獅子』ときたら。職場で叱られたら恨んでやろう。 頷いて、シャルロアは乱れた髪を梳き、1つに括った。起床時間にはまだ早いが、いつどんな指示があっても動けるように、早めに準備しておくべきだ。 寝間着から制服に着替えようとクローゼットの扉に手をかけたところで、ノック音が響いた。 「シャルロア・メル。起きていますか?」 密やかな声には聞き覚えがある。寮長だ。 ――あれ?もう起床時間? 思わず時計を見るが、起床の鐘が鳴る10分も前だ。シャルロアは小首を傾げる。 シャルロア、と言うよりも、何の役職にもついていない一般生徒が寮長と話す機会はあまりない。寮長は厳格な女性で、生徒と慣れ慣れしく世間話をするような真似をしない。生徒の相談に親身になって答えるのは監督生の仕事であり、彼女の仕事は寮内で起こった問題を解決することだ。だから少々恐れられている方が都合が良い、らしい。 シャルロア自身も他の生徒と同じように、母親と同年代でありながら母とは違う雰囲気を持つ、貴族出身の寮長と話すのは、あまり得意ではなかった。 何かやらかしただろうか、と不安になりながら扉を開けると、早朝にもかかわらず身なりをきっちりと整えた寮長の姿があった。眠気など生まれ持ってこなかったのではないか、と疑うほどに、昼間見るのと変わらない厳しく冷ややかな顔つきをしている。 「 「おはようございます、寮長」 「早速ですが、これにお着替えなさい」 押しつけるように手渡されたものは、衣服、だった。 「これは何でしょうか?」 「騎警団の制服です」 シャルロアの問いに、寮長は明快に答える。 唐突な展開に一瞬呆けてから、シャルロアは渡された衣服をもう一度見た。確かに、昨日ファルガ・イザラントが着ていた騎警団制服であった。 戸惑うシャルロアの肩を、寮長が軽く叩く。顔を上げれば、彼女はめずらしいことに微笑していた。 「詳細は騎警団より連絡がありました。勤勉なあなたであれば、いつか必ず師団に勤めることが出来るだろうと思っておりましたよ。おめでとう」 「あ、ありが」 とうございます、を言う前に、そのいつにない優しい目からほろ、と涙が零れ落ちる。 「けれど、第4師団勤務だなんて……なんと哀れな子……」 「えっ」 「第4師団での勤務が辛かったら、第6師団と精神医を頼りなさい。きちんとした事務処理にまわしてもらえますし、治療が受けられます。半年間の精神療養も認められていることも覚えておきなさい」 「えっ」 「優秀な人材が潰れてしまうのは、騎警団、ひいては国にとっての損害。第4師団の人たちが異動を邪魔しようとも、あなたが望めば助けがあることを忘れずに」 「えっ」 「さぁ、迎えが学校の正門に来ています。着替えたら急いで向かいなさい。部屋の荷物は私が詰めて、騎警団の寮に送っておきます」 はい、以外の何が言えたというのか。 一礼して扉を閉めて、そのまま少し固まる。 ――第4師団勤務って、泣かれること、なの……? 厳しいだろうな、と思っている。何せ少数精鋭で、凶悪事件を追う師団だ。ファルガ・イザラントの忠告どおり、惨殺死体やそれを作った犯人と対面することもあるだろう。 その辺は理解しているので、特段嘆かれることでもないと思う。きっと寮長は貴族の出身だから、えげつない事件に関わることになった総務部門生徒を哀れに思ったのだろう。良家のご婦人が、新聞の第一面を飾るような事件を担当する師団のことを恐ろしく思っていても仕方ないことだ。 それよりもシャルロアが気になったのは別の点だ。 ――第4師団の人が、異動の邪魔をする?望めば助けがある? 意味がわからない。 と言うより、邪魔とか、助けとか、理解したくない気がする。 ――うん。聞かなかったことにしよう。 シャルロアは無理矢理自分に言い聞かせて、さっさと制服に着替えることにした。友人のローレンノには話をして出て行きたかったが、迎えが来ているなら仕方ない。落ちついた頃に手紙を出そう。 緑色のズボンを穿いてブーツの紐を結び、丸首の黒いシャツの上から胸に板金鎧をつける。1年生時、部門共通訓練で着た戦時用板金鎧よりもはるかに軽く、邪魔にはならなさそうだった。ベルトも支給されていたが、ファルガ・イザラントが昨日下げていた銃や拳銃嚢は見当たらない。第4師団勤務と言っても第6師団所属になっているはずなので、必要ないとされたのだろう。 クローゼットの内側に取りつけられている鏡で衣服を整えて、シャルロアは最後に詰襟の短い上着を羽織った。緑の生地に映える、胸にある4本爪痕の紋章は騎警団員となった証だ。 少し誇らしい気持ちで鏡に微笑んでから、シャルロアは自室を出た。 廊下はまだ起床の鐘が鳴る前の時間であるため、ひっそりと静まり返っている。ブーツの音を響かさぬようにタイルの上を歩き、途中、洗面所に寄った。蛇口が一列にいくつも並んだ洗面台は、シャルロアが利用する時刻には必ず混んでいた。なのに、今は誰一人いない。 顔を洗って、シャルロアは今度こそどこにも立ち寄らず寮を出た。 振り返って、3年間家とした場所に微笑む。 ――さようなら。 睡眠時間の短さを隠すのに苦労したり、件の男爵令嬢のおかげで寮内の雰囲気がギスギスしたりしたこともあったが、故郷を離れたシャルロアにとっては、我が家だった。 もう少しだけ学生気分でいられたかもしれない、と思えばわずかに後ろ髪を引かれたが、彼女は寮に背を向けて走り出した。 ******** 正門へ駆けている間に、起床の鐘が鳴り響いた。女子寮も男子寮も、生徒たちが動き始める時間だ。 女子寮が警備の観点から学校敷地の奥に建てられているのに対し、男子寮は比較的正門近くに建てられている。これは有事の際、騎士部門の生徒が正門を守るためだ、と聞いたことがあった。 つまり、男子寮から正門の様子はよく見えるのである。 そして正門にはシャルロアの迎えが来ている、らしい。 彼女は正門への道を走りながら、苦々しい表情を浮かべた。きっと外を見た男子生徒は、騎警団の制服を見て何事かとざわめくだろう。学校長の件があるので、あの案件絡みだと思ってくれれば良いのだが……シャルロアが合流する以上、そうも思ってくれまい。なるべくなら注目を浴びるようなことは避けたい、というのがシャルロアの本心である。 というわけで、シャルロアは男子生徒たちが外に出てしまう前に迎えの者と合流しよう、とひたすらに足を動かした。 やがて正門が見えてきた。 まだこの時間であれば鉄扉門は閉まっているはずなのに、騎警団から連絡が入っているからかすでに開いている。 しかし開かれた鉄扉門の向こうには、誰もいなかった。 ――え、置いて、いかれた……? 目を擦ってもう一度見てみるも、鉄門扉の向こうにあるのは、早朝で人気のないアヴァラント通りだけ。王都の貴族街の端に位置する士官学校の周りは、起床時間が遅い貴族たちのせいで午前9時頃までは静かなのだ。通るとすれば、朝帰りの貴族を乗せた馬車くらいである。今日はどこかの宴で夜明かしをした貴族たちもいないらしく、通りは平穏だ。 ――いや、平穏であっちゃ困るよ! まさか来ていなかった、ということはないだろう。だからそこにいないのなら、考えられる可能性はただ一つ、置いて行かれた、それだけで。 正門まで辿りついたが、途方に暮れた。今まで走ってきた労力が無駄になったような気さえする。シャルロアは敷地の境界線に立って、門柱に手をつき、がっくりとうなだれた。 瞬間、威圧感が皮膚を撫でた。 悲鳴を喉に張りつかせ、門柱から距離を取る。 シャルロアが立っていた場所からならば死角になっていたわけでもない、門柱の表側に寄りかかる彼は、実に堂々とこちらを見つめ、嗤っていた。 『雷鳴獅子』の名に、ふさわしい獰猛な笑みだった。 「戦場だったら死んでんなァ?」 蛇に睨まれた蛙のごとく、シャルロアは銀の瞳を大きく見開いて、固まった。 ――何で、いるの? 他の総務部門生徒に負けず劣らず、シャルロアも戦闘行為は苦手である。彼女が学んだのはあくまでも、騎警団の裏方を支える事務のことだ。一応1年生時に部門共通訓練で剣術も射撃も体術も習ったが、それは基礎や護身術の動きに近い。有事の際、事務員も最低限己が身を守れるように、という意味合いしか含んでいないのだ。 それでも気配くらいは読めているはずだ、と思っていた。まがりなりにも士官学校に籍を置く者として。 だが今のは完全に、気配を読めていなかった。 ファルガ・イザラントが威圧感を放つまで、人がいると思わなかった。 否、そうではなく、そもそも。 ―― 焼けた金の瞳が瞬く。 ふと威圧感が消えて、息苦しさがなくなった。意識しないうちに息を詰めていたらしい。 シャルロアはこれ以上ないほど緊張しているというのに、ファルガ・イザラントの方は何の気負いもなく門柱から身体を離し、軽く手を上げた。 「 「…… 挨拶を返すと、ファルガ・イザラントの口端が吊り上げる。その反応を見て、目の前にいるのは間違いなくあの『雷鳴獅子』なんだな、と認めざるを得なくなってしまった。 ――あの威圧感の時点で、わかってはいたけど! ここにファルガ・イザラントがいる、ということは、ひいてはとある事実に行きあたる。 とどのつまり。 「お迎えに来てやったぜ。嬉しいだろ」 そう言って悪辣に嗤う姿は、おそらく戦場で敵として出会ったら死神に出会ってしまったと思うに違いない。ちなみに味方として出会ったら、魔王に出会ったと考えると思う。 正直に言って、全然嬉しくない。 なんだか仕事帰りの彼女を迎えに来た彼氏、みたいな口調だが全然トキめかない。いったいどこの世界に、彼女を威圧する彼氏がいると言うのだ。連れてきてみてほしい。 シャルロアは引きつっているのを自覚しながらも、なんとか笑みを浮かべた。 「遅刻しないで済みそうで、有り難いです」 彼女の言葉に、ファルガ・イザラントは悪辣な笑みから一転、鼻白んで小首を鳴らした。 ――えっ、こわっ! くるりと変わった表情に思わず強張ったが、ファルガ・イザラントは特に敵愾心だとか、苛立ちだとか、怒りだとかをシャルロアに向けたりはしなかった。 「お前、寝起きいいのか」 よくわからない質問だったが、とりあえずはい、と頷いた。 「ちっ」 寝起きがいい、というのは美徳とまでは言わずとも歓迎されるものであって、少なくともこんなふうに面白なさげに舌打ちされるものではなかったはずだ。 舌打ちされた理由がわからないって、案外不安になるものなのだなぁ、とシャルロアが遠い目になって現実逃避気味なことを考えていると、ファルガ・イザラントは「まぁいい」と話を切り替えた。 「師団長からお前を師団まで連れて来いと言われてる。行くぞ、ロア」 背を向けて歩きだしたファルガ・イザラントの広い背中に呆けてから、シャルロアは慌てて彼を追った。 ――今、もしかして愛称で呼ばれた? 記憶違いでなければ、愛称は相手に許可されなければ呼んではならない、というのが礼儀だったはずなのだが。中には家族と伴侶にしか呼ばせない、というこだわりを持つ人だっているくらいだ。 斜め前を歩くファルガ・イザラントの表情を探ってみるも、何の感情も読みとれなかった。 ――あれか、名字を忘れられたのか? 「……あの、副師団長。私の ファルガ・イザラントはわずかに彼女の方を振り返り、目を眇めた。 「シャルロア・メルだろ?知ってるに決まってる。それじゃ合ってんじゃねぇか、ロアで。それとも愛称はシャロンか?」 「いえ、ロアを使っていますけれど」 「じゃあ問題ねぇな」 問題ないわけがない。シャルロアは『雷鳴獅子』とそこまで親しくなった記憶がとんとないのだから。 しかし馬鹿正直に「問題ありまくりですよ、愛称で呼ばないでもらえますか?」なんて言えない。そんなことこの男に言ったら、くびり殺されそうである。 ファルガ・イザラントは愉快気に目を細めた。 「お前も俺をルーと呼べばいい」 ギョッとしてシャルロアは目を丸くする。今まで考えもしなかったが、確かにファルガ・イザラントにも愛称というものは存在するのだ。しかしその愛称の響きがあまりにもかわいらしすぎて、似合わない。 ――というかそもそも、愛称で呼ぶ必要があるの? 第4師団の慣習か何かだろうか。もしもそうなら、抵抗はあるが受け入れるべきだろう。長いものには巻かれるのがシャルロアの信条である。 「副師団長」 「言っとくけど、俺は今は勤務時間外だぜ」 「……第4師団では、愛称で呼び合うのが慣例なんですか?」 「んなわけねぇよ。勤務時間になったらメルって呼ぶに決まってんだろうが」 シャルロアの頬は引きつった。 ――何ですと? 「……愛称で呼ぶのは、第4師団の規律や慣例では、ないんですね?」 「当たり前だ。んな気持ち悪い慣習あってたまるか」 「きもちわるいかんしゅう……」 「ちなみにお前の愛称を他の男が呼んでるのを見たら相手の男を撃つし、お前が他の男の愛称を呼んでるのを見たら相手の男を斬る」 「どう転んでも相手の人がかわいそう!」 とんでもない理不尽がシャルロアの話相手を襲っている。 蒼い顔をして叫ぶシャルロアに、ファルガ・イザラントはにやりと笑った。 「冗談だ。ところでロア」 ――あ、愛称呼びは冗談じゃないんですね。 シャルロアはもうこれは自分をからかうための冗談だったのだと色々と諦めて、視線を寄こす彼に続きを促す。 「銃と剣、どっちが得意だ?」 「学校の成績を見ていただくとわかると思いますが、どちらも苦手でした」 「俺が、 金の瞳がわずかに眇められた。 それだけのことで、不意に喉元に牙を立てられたような、嫌な緊張感が身を包む。 「偽装が杜撰すぎんだよ。射撃は3発中2発は的の中心から必ず外れてる。人の目を気にせず使うなら、どっちが得意かって聞いてんだ」 「……銃です」 相変わらず、というほど時間を置いて会っているわけでもないが、ファルガ・イザラントは厄介な鋭さを持っている。シャルロアは内心、苦々しく思う。 魔女の異能――気絶効果を使うのに最も適しているのは魔法を装うことではなく、投擲を装うことだ。 魔法効果で相手を気絶させた、と思われれば色々と面倒臭い処理が発生する。この『雷鳴獅子』のように。けれど魔女の異能を宿らせようとも、単なる投擲にしか見えなければ、それは単純に『打ちどころが悪かったから気絶した』と思われるのである。 戦後は治安も悪いし皆貧乏で、街中であっても幼子を連れた母の手から夕食の材料を盗む不届き者も多かった。その度にシャルロアは『ロアのごはん!』と叫びながら道端の石を投擲して、相手を気絶させたものである。 もちろん魔女の異能を使って飛距離を伸ばすと不自然に見えるので、異能は宿らせただけにしていた。それくらいに留めておけば、周りの大人たちが不届き者には冷めた目を、母には憐憫に満ちた目を、シャルロアには頑張ったな、というあたたかい目を向けてくれるのである。彼女はそういう小賢しい計算が、幼い頃より出来る子であった。 ともかく。的を捉える腕は、シャルロア自身の腕なのだ。 剣術は教官が匙を投げるほど酷かったが、射撃は最初褒められた。だからこそ、射撃の腕を意図的に落とした。 そんな真似をしたのは、部門を移りたくなかったからだ。士官学校での1年生が籍を置く部門は、あくまで仮。1年間適性を測り、2年生に進級する前に部門が本決まりする。騎士部門の生徒はそうそう動いたりはしないが、刑事部門と消火部門は移籍がめずらしくなかった。もちろん、総務部門からも射撃の腕を買われて、刑事部門に移った女子生徒もいる。 シャルロアはそんなことになっては困るので、わざと射撃の成績を落とした。 確かに1年生の時は今に比べると偽装がお粗末であったことは認めよう。何と言っても子供の浅知恵だ。見る者が見れば、わざと外していることがわかる。 シャルロアの申告に、ファルガ・イザラントはにぃ、と嗤う。 「第6師団所属とは言っても、勤務は第4師団だ。もしものために武器を携帯させることが決まったが、お前の得意な方がわからなかった。剣も銃も同じくらい評価が低かったから、剣も下手に振ってんのかと思ってな」 「あくまでどちらが得意か、という話であって、間違っても第4師団の方々と比べないでくださいね。得意と言っても3発に1発は的の中心から外れます」 「この目で見たら信じてやるよ」 ―― そんなに疑われても、これだけは本当なんだけどね。 シャルロアの魔女の異能は強力だが、制限がないわけではない。 シャルロアは3匹の蝶を所有している。 そのうちの一匹は桃色の蝶。もう2匹は銀色の蝶。 銀色の蝶が操れる物体は1匹の蝶につき1つ。つまりシャルロアは銀の蝶を2匹所有しているので、2つの物しか操れない。操れる物体の許容重量は、自分の体重以下の物だけ。気絶させるには蝶を宿した物体を、相手の肌に触れさせなければならない。鎧はもちろん、服越しに当てたとしても異能を妨げられる。それに固形物でなければ操ることが出来ないし、操作する物体は必ず一度目で見て、意識を向けておかねばならない。つまりは目で追えなかったり、意識し続けることが出来ない物は銀の蝶で操ることが出来ないのだ。 具体的に例を挙げるならば、それは弾丸だ。たとえ装填した弾丸に蝶を宿らせることが出来たとしても、引き金を引けば発射された弾丸をシャルロアは目で追う――どこに物体が存在しているかを意識する――ことが出来なくなる。魔女の異能が外れてしまうのだ。 だから実はシャルロアの戦闘能力を最大限に引き出すのは銃ではなく、投げナイフだったりする。実際、王都への旅路中も護身武器として使っていたのは投げナイフだ。敵が甲冑でも着ていない限り、布を破いて肌まで到達し、異能を伝えてくれるのでそれで充分なのである。そして気絶したところで、刺された痛みによって悶絶し気絶したのだろう、と周りが都合よく片付けてくれるのだ。 ――あぁ……あのとき副師団長が手袋をつけてくれてさえいればなぁ……。 ファルガ・イザラントが気絶をしたのは、異能が宿ったナイフを素手で掴んだからだ。あのとき手袋をしていたら、気絶はしなかった。 ―― そうしたら、こうして目をつけられることもなかっただろうに。 だが彼のおかげで引き抜いてもらえたのも事実。こうなれば腹を括って第4師団でやっていくしかない。 シャルロアはため息を隠して、ファルガ・イザラントの後を黙々と追った。 |