旭光を浴びて、シルク生地は艶めかしく輝いていた。それは手織りしたシルクにし
か現れぬ特徴であり、見る角度によっては鮮やかな赤、濃い赤、赤紫、と色を変え
て見る者の目を飽きさせない。
 さらにマドレーヌは布をつまみ上げて離してみた。生地は沈むことなく、つまみ上げ
られた形を保ったままだった。これも機械織りのシルクでは見られぬ特徴で、手織り
のシルク生地は布がしっかりしていながらもしなやかで滑らかな肌触りとなる。
 ―― デーアに似合いそう。
 ドレスのデザインは想像がつかないが、生地だけでも彼女に似合うだろうことは想
像に難くない。この艶めかしい赤は、確かにデーアに似合う生地だった。
 マドレーヌはふぁ、と大きな欠伸をして、リビングのテーブルに広げた布を折り畳ん
だ。品質は申し分ない。1か月近く織り続けた大作のシルク生地は、今日にでも納
品できる。
 と言っても、実は織ること自体は1か月もかかっていない。現在のマドレーヌの手
腕ならば5日ほどで織り上げられる。では一体何に時間がかかるか、と問われれば
間違いなくそれは整経だったり筬通しだったりという、織るまでの準備作業だ。
 特に魔法布の場合は経糸の張り方が少し特殊なので時間がかかる。かと言って
それの手を抜くことは許されない。布地の良し悪しは経糸で決まる、という言葉があ
る通り、魔法布の良し悪しも経糸の出来がすべてを担っていると言って過言でない。
 ――うんうん。上手く織れたー。
 思考まで間延びするほどの眠気を感じ、マドレーヌがまた1つ欠伸をすると、テーブ
ルに座っていたブランシェが呆れてため息を吐いた。

『まったく。今回は納期がギリギリだったわけでもあるまいに、徹夜をしおって。仮眠
してはどうだ?』

 それはマドレーヌの悪癖だった。布地の完成が近付くにつれてテンションが上がっ
て、ついつい徹夜をしてまで織りあげてしまう。
 ブランシェの提案を聞いて、マドレーヌはボサボサの頭を掻いて逡巡したが、首を
横に振った。
 ――今寝たら、明日まで起きれない、って言うか、起きない。
(納期にはまだ余裕があるだろう)
 ―― そうだけど、持って行くのは早い方がいいと思う。
 ドレス用の生地だ、と言っていたから、デーアはこの生地を使ってドレスを作るとい
うことだ。ドレスを作るにはそれなりの時間がかかる。なので早めに納品した方がド
レスを縫製する人たちも助かるだろう。
 ―― それに私も、そろそろドレスを買いに行かないと……。
 クロードが求める格好は、それなりに察しがついている。完璧な淑女。そうとさえ見
えていたら、中身が貧乏人で学のない小娘でもクロードはとりあえず何も言わない
だろう。
 そこまでわかっていても、クロードにはパーティーに出席することを報告しなければ
ならない。
 くあ、と三度目の欠伸を噛み殺し、マドレーヌは目を擦った。
 ――とりあえず、シャワーを浴びて、ご飯を食べよう……。
 気が重くなるドレスの話も、クロードへの報告も、それから考える。
 マドレーヌは凝った肩を回しながら、バスルームへと向かった。





********





 布地を納品したその足で、マドレーヌは普段は立ち入ることのない洋服店が並ぶ
通りを歩いていた。
 ちょうど昼時に『ジャスミン』を訪れたのでヴァンはいなかったのだが、代わりに客
が少なくて暇を持て余し気味だったリオンからリーズナブルなドレスを買えるお勧め
のショップを教えてもらった。さらに彼女は本当に気が利く人で、マドレーヌの思考外
にあった靴やバッグ、香水、アクセサリー、果ては化粧品も売っているお店も教えて
くれたし、なんならメイクは美容室でやってもらうといい、という情報までくれた。
 ――女の子って、ちょっと面倒臭いよね……。
(お前が気にかけていなさすぎるだけだ。年頃の乙女なら、もっと気にせい)
 母親の様なことを言うブランシェに、マドレーヌは苦笑を返すしかできなかった。彼
女は本当に、正論しか言わない。
 その正論さに気重になりながらしばらく歩くと、目的の店を見つけた。
 外観はいかにも女性服―― それもリオンが好むようなふわふわしたドレスを売っ
ていそうな雰囲気の、白レンガ壁がかわいらしいお店で、ショーウィンドウの中には
今季最新モデルらしいドレスがマネキンに着せられていた。
 マドレーヌは思わず足を止めて見つめてしまう。ピンク色のビスチェドレスで、胸の
切り返し部分にあしらわれた大きなバラのコサージュが美しいドレスだ。
 ――リオンさんに、よく似合いそうな。
 そのドレスの隣に飾ってあるラベンダー色のドレスも、リオンのために作られたの
ではないかと目を疑いたくなるデザインだった。スクエア襟に黒のリボンがついてい
て、バルーン裾がかわいらしいドレス。きっとこれを着てリオンが微笑めば、魔導師
や魔術師がバタバタと倒れるに違いない。天使にハートを射抜かれた衝撃で。
 そうして、ふとガラスに映る自分の姿が目に入った。
 どう見ても少年にしか見えない、棒っきれのような身体。女性らしい丸みなど存在
していないとしか思えない。
 自分の容姿とドレスの絢爛さを見比べて、マドレーヌはますます気重になった。
 かわいい服は嫌いじゃない。ひらひらしたスカートは見ていて心躍るし、やわらか
な色合いは女性の魅力を存分に引き出してくれるものだから特別感がある。
 だがマドレーヌは、客観性というものを見失っていないつもりなのだ。自分に合う服
がこういうかわいらしい系統のものではないことは、よくわかっている。
 ――でも、リオンさんが勧めてくれたからなぁ……。
 自分からお勧めのお店を聞いておいて、やっぱり止めました、なんていうのはちょ
っと、いや、だいぶ失礼だろう。
 ――うぅ。着てるのは少しの時間だけ。少しだけ。
 マドレーヌはネクタイを締めて自分に渇を入れ、店のガラスドアを開けた。

「いらっしゃいませ」

 リオンと同じ歳頃のオシャレな店員に挨拶され、マドレーヌは戦々恐々としながら
ブティックの中に入った。
 表から見たとおり、キュートなアイテムが揃う店内は、自分が異物になったような
気分にさせる。さらに店内にいるお客の服装もかわいらしいことが、拍車をかけた。
 入口でキョロキョロと周りを見渡すマドレーヌに、店員が微笑みを浮かべながら近
づいてきた。

「何かお探しですか?」

 ――あ。これ、男の子だと思われてる。
 どことなく微笑ましいものを見守るような気持ちを湛えた瞳。おそらく15歳くらいの
少年が自分の彼女にお小遣いで服かアクセサリーをプレゼントするんだろうな、と思
われているに違いなかった。
 マドレーヌは生温い笑みで首を横に振り、ブランシェに言葉を伝えた。

『――私、今度パーティーで着るドレスを探しているんです』

 一人称を強調し、女であることを言外に伝える作戦は功を奏した。
 店員は一度は瞳の奥に動揺を浮かべたが、すぐさま営業スマイルに戻って「そう
なんですか」と頷く。
(驚きすぎて、人形がしゃべることに注意が向けられておらんがな)
 スルーしたことを突くのは止めていただきたかった。

「ドレスならこちらに置いてありますよ」

 先導してくれる店員の後をついていくと、色とりどりのドレスがハンガーに吊られて
ずらりと並んでいた。
 ――あっ、かわいい……。
 マドレーヌの目を惹いたのは、ラズベリー色のVネックのドレスだった。デザインが
割とシンプルで甘さを抑えているので、少し大人っぽく感じる。
 ――これにしようかなぁ……。
 シンプルなデザインだからドレス初心者でも挑戦しやすい。買って失敗した、という
こともないだろう。
 ―― それに、ドレスなんてどれを着ても同じだよね。
 マドレーヌは洋服のデザインよりも、やはり職業柄生地の色に注目してしまいがち
なので、正直色がその人に合っているならばどうとでもなると思っている。
 そんなふうにドレスを前にして考えていると、横から店員が「試着しますか?」と尋
ねてくれた。

『じゃあ、お願いします』

 試着室に案内され、マドレーヌはとりあえずドレスを着てみた。

「…………」

 試着室にある全身鏡を見て、無言にならざるを得なくなった。
 ――どう思う、ブランシェ。
(すごいな。ここまで似合わんとは)
 精霊はいつも正しいことを言うが、それが優しさだとは限らない。
 マドレーヌが鏡の中の自分を見て泣きそうになりながら震えていると、試着室のカ
ーテンの向こうから是非を問う声がした。

「いかがでしょう?」
『……えーと、ちょっと』

 どう言えばいいものか迷っていると、断りの声があってカーテンが開いた。

「……」

 店員も無言になった。
 マドレーヌはさもありなん、と納得する。何せドレスが本当に似合っていない。
 着てみてわかったが、このVネックドレスは襟ぐりが深くてバストラインがよく出る。
否、マドレーヌに限り、バストラインが出ないと言うのが正しいのか。
 このドレスは胸で着るドレスだ。胸で着れないなら実に――貧相としか言いようが
ないのである。
 つまりデーアのような素晴らしいプロポーションを持つ者が着るべきドレスであり、
自分のような――胸に自信がない者が手を出してはいけない、魔のドレスだったのだ。
 それは決して誇張ではない。マドレーヌは鏡の中の自分をまじまじと見つめてから
視線を逸らした。胸がなければこのドレス、少年がドレスを着たような、見た者をいた
たまれない気持ちにさせるデザインだ。
(まぁ、そもそもドレスは胸で着るものだというくらいだしな)
 ――胸がない人間は、ドレスを着るなと……!?
 あんまりな差別である。
 マドレーヌは震えながら胸をぺたぺたと触った。ふわふわした感触がないことが
恨めしい。

「お客様。体型は下着で補正出来ますから……当店では下着も扱っております。失
礼ですがお胸のサイズは……」
『…………AAです』

 にこ、と店員は微笑んだ。

「他にお勧めのドレスをお持ちします。少々お待ち下さい」

 ――補正出来ないって見放された!
 少々涙目になるマドレーヌだが、店の事情と言うものもわかっていた。マドレーヌく
らいの下着サイズは専門店にでも行かなければ置いていない。その専門店の補正
下着ですら、谷間を作るのは不可能なのだ。一介のブティックに、そのような特殊サ
イズの高性能下着を置いているなんて考えられなかった。
 ――こうなったら、もう何を着ても一緒なんじゃないかなぁ。
 惨めな姿の自分を見ながら待っていると、店員が3着ほどドレスを手にして戻って
きた。

「これらのドレスはいかがでしょう?」

 1着目はハイネックのドレスだった。色は鮮やかなターコイズブルーで、首元には
同じ色のリボンがあしらわれている。ノースリーブでひざ丈なので肌を隠しすぎて
いるという印象は受けない、バランスの取れたドレスだ。
 2着目はボートネックデザインのスモーキーピンク地色ドレス。サテン生地を淡いピ
ンク色のレースが覆う、膝より少し上のミニ丈でフェミニンなものだ。ただ甘さを感じ
るだけで終わるものではなく、腰の黒いリボンが良いアクセントとなって、大人っぽさ
も兼ね備えている。
 3着目はミントグリーンのボートネックドレスである。こちらは2着目と似て非なる印
象で、ドレスの形はそれとなく似通っているが、このドレスはフェミニンさよりは爽や
かさや清潔感を感じた。ボートネックの襟には少し濃いめの緑色のリボンがあしらわ
れており、肩を覆う程度の袖とハイウエスト、ミモレ丈というどことなくクラシカルなデ
ザインは名家の令嬢を思い起こさせる。
 ――これ、かな。
 血の繋がらぬ兄のことが頭を過ぎった。
 クロードならばきっと3着目を選ぶだろう。彼が求めるのは流行の最先端を走って
いるかではなく、気品があるかどうかだ。このミントグリーンのドレスならば、少なくと
も下品だと激昂されることはない。
 そう考えて、マドレーヌは密やかに嗤笑した。
 ――見下されないことなんて、ないのに。
 そもそも、彼はこの安物のドレスを嫌悪する。彼が普段着ているスーツはおろか、
ネクタイさえもテーラーメイドの一点ものだ。そんなクロードからすれば、このような既
製品は見るに堪えないものだろう。
 それによしんばマドレーヌが完璧な装いをしていたとしても、彼はその眉間にしわ
を寄せるに違いない。
 クロードはマドレーヌの存在を厭うているのだから。

「お好きなドレスはございますか?」

 尋ねられ、マドレーヌは3着目のミントグリーンのドレスを試着してみることにした。
 カーテンを閉め、手早く着替える。鏡に映ったマドレーヌは、先ほどよりもとてもマシ
に見えた。
(うむ。こちらの方が似合っておるな)
 ドレスがミントグリーンだから、その反対色であるコスモス色の瞳自体が宝飾のよ
うに感じられる。そしてなにより、大きく開かれた襟ぐりに目が奪われ、胸が無いこと
が目立たないデザインなのがありがたい。
 カーテンを開けて店員にも見せてみると、彼女の反応も上々だった。

「良くお似合いです、お客様」
『……そうですね。さっきのドレスよりはこっちの方がいいです』
「こちらのドレスは気品あるデザインですから、老若男女問わず好感を持たれると思
いますよ。色味もキレイですし」
『じゃあ、ドレスはこれで。これに合うボレロと靴とバッグもください』

(おい。面倒になってきたのだろう)
 図星を突かれたが、マドレーヌはだんまりを決め込んだ。
 ――どう考えても、私がコーディネートできるわけないし。
 変な物を選ぶよりは、その道のプロに聞いてしまった方がいい。自分の考えは間
違っていないはずだ、とマドレーヌは思い込むことにした。





********





 大きな紙袋を提げ、マドレーヌはよたよたと街中を歩く。
 ドレス、ボレロ、靴を購入したあと、色々と必要な物を買った結果がこの大荷物で
ある。それは女性として必要なものを何一つ持っていなかった、という現実の大きさ
と重さでもあった。
 ――うぅ、化粧品が重い……。
 ぶらりと覗いた化粧品店で店員に声をかけられ、パーティでのメイクはどうしたらい
いかと尋ねて、慣れていないなら美容室でやってもらったほうがいい、との答えを貰
ったまでは良かった。しかしながら化粧するには肌のコンディションというものが割と
重要ならしく、睡眠不足でボロボロの肌を嘆かれ、「お肌を整えるだけでもしたほうが
いいですよ」と勧められるがままに化粧品を購入してしまった。
 謀られたかな、と一瞬思ってしまうが、いやそれはない、と自分で否定する。顔を
洗うとき洗顔料は固形せっけんだと言ったら、店員どころかその場にいたお客さんに
も「え」という顔をされた。二酸化炭素になってしまいたい、と血迷ったくらいには恥ず
かしかった。
 とりあえず最低限だと言われた、洗顔料と化粧水とクリーム、それにリップクリー
ム。これを買っただけでも、女として磨かれた気になってくる。
(それはない。使わんと意味がないからな)
 ブランシェに即座に否定され、マドレーヌは反省した。

「キイト君?」

 背後から声をかけられ振り向くと、ピサンリがいた。
 ―― そういえば、店内でも外でも会わなかった……。
 どうやら彼女は休みだったらしい。その証拠に、花柄シャツにサロペットスカート、と
いう仕事時よりもかわいい服を着て、手には向日葵色のバッグと小さな紙袋を提げ
ている。
 同性ながらかわいい、とぼんやり思っていると、彼女は小走りでマドレーヌに近寄
った。

「キイト君、今日が納品だったんですか?」
『そうだが、よくわかったな』
「だって、顔が眠そうですし」

 なるほど、と納得した。確かに納品時は徹夜するのでそんな顔になっている。
 ピサンリはマドレーヌの大荷物に視線を移した。

「めずらしいですね、こんなにお買い物なんて」
『パーティーに出席することになって……』
「あぁ、オーナー主催の」

 おや、とマドレーヌは目を瞬かせる。それを知っている、ということは彼女も参加す
るのだろうか。
 疑問が顔に出たのか、彼女は首を横に振った。

「私は招待客というよりは警備役ですね。と言っても形ばかりですけど」
『形だけ?』
「当日は魔導師が数人雇われることになってますから、さすがにそこで荒事を起こそ
うなんて愚か者はいないと思いますよ。一応剣は持ってますけど、ドレスで出席して
食事もして構わないと言われてます」
『そんな適当で構わないのか』

 呆れてブランシェが問えば、彼女は苦笑いを浮かべた。

「オーナーとしては、あまり物々しい雰囲気にしすぎるのも嫌だとか。武器を持ってい
ることをアピール出来たらそれで抑制になるそうです」

 なるほど、とマドレーヌは納得した。
 確かに警備側がどのような服装であれ、装備はきちんとしている、というのが見せ
られていればおかしな真似をしようなんて考えも減る。ピサンリの場合は剣を提げて
いれば、事件の抑止力として一役買うことになるのだろう。
 ―― それに免許持ち魔導師までいるわけだし……。
 安全面ではこれ以上ないほど万全だ。

「だからですよ、キイト君!」

 ピサンリは少々興奮した面持ちで手を叩き合わせた。

「これはオーナーとダンスをするチャンスなんです!」

 ――ダンス?
 思わぬ言葉にぽかん、とするマドレーヌを置いて、ピサンリは夢見心地な声音で語
り始めた。

「ああいうパーティーでは最後にダンスをする時間があるじゃないですか。私、オー
ナーをダンスに誘おうと思っているんです。それで踊り終わったら、どこかひっそりと
したところに連れて行ってもらって、そこで告白をしようかなって」

 待ってほしい。マドレーヌは頭を抱えたい気持ちになった。
 まず、ダンスがあるだなんて聞いてない。一切聞いてない。以前出たパーティーの
ことを思い出しても――否、とマドレーヌは頭を振った。
 あった。確かにダンスの時間があった。しかしマドレーヌはもうその頃には会場を
抜けだそうとしていたので関係がない事柄だったのだ。
 ――もしかして、パーティーで踊るのは普通のことなのかな……?
(まぁ、そうだろうな)
 ブランシェの肯定が重く肩にのしかかる。
 まずい。非常に。
 マドレーヌはダンスなんてまったく踊れないのだ。
 普通ならば学校で習うのかもしれないが、マドレーヌは通ってないからステップだ
のリズムだの言われても、ちんぷんかんぷんだ。ダンスが始まったら皆が踊りだす
中で、自分だけがぽつんと突っ立っているシーンが容易く思い浮かぶ。
 ―― それに、告白?
 ピサンリは今、告白、と言ったのか。想いを自覚してから行動に移すまでの時間が
あまりにも短すぎる。その行動力をジルダに分けてほしいくらいである。

「やっぱり最後のワルツを狙っていくべきですかね?それで、そのままいい雰囲気で
……あぁ、素敵です!」

 ――うぅ……応援するって決めたけど……。
 素直に頑張れ、と言えないのはやはり相手がヴァンだからなのか。
(明らかに相性が悪いからな)
 マドレーヌは言葉に困った。何度も言うがヴァンは悪い人ではない。だがしかし、真
剣に恋愛をする相手としてはあまりにも――ピサンリに経験がなさすぎる。
 これがデーアのような経験豊富そうな大人の女性ならば、可能性があるかもしれ
ないと思えないこともないのだが、純情なピサンリでは上手くあしらわれるだけのよ
うな気がしてならないのだ。
 ――ピサンリにはもう、傷ついてほしくないんだけどなぁ……。
(傷つく、傷つかない、で焦がれる相手を決められるわけではないからな)
 含蓄あるブランシェの言葉に、マドレーヌは情けなくなった。精霊ですら恋愛を語れ
るというのに、自分の体たらくときたら。
 どんよりしているマドレーヌに気付かず、ピサンリは何かを思い出したのか、ぽん、
と手を打った。

「そうです。変態魔導師にキイト君の性別がバレてるみたいなんですけど、大丈夫で
すか?」

 ――変態!?
 目を丸くするマドレーヌにピサンリは耳打ちする。

「覚えてますか?ほら、キイト君にプロポーズ騒ぎを起こした変態魔導師がいたじゃ
ないですか。あの、顔だけはいい魔導師。この前、オーナーの依頼を請け負ってる
場面に出くわしたんですけど、そのときに『キイトのドレス選びに同行できなかった』
とか、オーナーに残念そうに言ってたんで。変態っぽかったです」

 ピサンリの男嫌いは歪みない。
 ――っていうか、あの人、オーナーにそんな話をしてたのか……。
 今日、オーナーに会わなくてよかった、とマドレーヌは心底思った。会っていたら絶
対に軽くからかわれたに違いない。

「プロポーズ事件のときは勘違いだったんですよね?でも、いつのまにキイト君の性
別を知ったんでしょう……まさかストーカー?斬り捨てます?」
『違うから。話の成り行きで性別を知っただけで、エルガレイオンに過失はないから』

 マドレーヌは即座に否定した。
 ストーカーの濡れ衣を着せられて、挙句に斬り捨てられるのはさすがにかわいそう
だと思う。こと性別において、彼に責任はない。あえて言うなればマドレーヌの油断
が招いたことだし、もっと言えば別に隠してもない。
 ピサンリは意外だ、と言わんばかりの表情を零した。

「キイト君が魔導師とそんなに親しくなるなんて思ってませんでした」
『そうかな』
「そうですよ。キイト君って魔導師と魔術師……いえ、思えば男全般ですかね。一線
を引いてる感じがしてました」

 ――あぁ。
 言われて、マドレーヌは我がことながら気付かされた。
 ここ2年の間でマドレーヌが親交を持っていた異性は、ヴァンとジルダだけだった。
そのヴァンだってオーナーだから、という理由で親交を持つことになったし、ジルダも
ピサンリ経由で知り合っただけだ。自分から交流を持とうとは思っていなかった。
 ――本当に。
 マドレーヌは自嘲を噛み殺す。
 ――あの人の存在は、心の根にまで張りついてる。
 美形が苦手、というよりは男性が苦手になっていたのか。
 思い返せばマドレーヌはそもそも、異性とは遠い生活をしてきた。以前の職場であ
る織物工場だって、男性と言えば工場長しかいなかった。後は男性、と呼ぶにはあ
まりにも抵抗のある、自分より年下か少し年上の少年たちくらいだ。
 ――初めてまともに対峙した異性があの人じゃあなぁ……。

『まぁ、エルガレイオンは魔導師としては風変わりな男でな。知識を振りかざさぬ分
馬鹿なところが目立つので、それが親しみやすいという面を否定できん』

 ブランシェの酷い言葉にハッとする。
 ――ニュアンスとしては間違ってはないけど、言い方が。
 確かに魔法関係の話を振られない分、話しやすくてとっつきやすくはあるが、そう
いう言い方をすると、エルガレイオンに関して非常に語弊があるように思う。この言い
方ではまるでエルガレイオンが無能な魔導師のようではないか。
 幸いにもと言っていいものか、ピサンリはさほど気にはしなかった。

「はーん。まぁ、男だし、キイト君に害がないならどうでもいいです」

 仮にもあの美形に対してこの反応。ピサンリは清々しいほどに、人を性別と内面で
判断する性質らしい。

「それよりもパーティーですよ!楽しみですね!」

 楽しみじゃない。
 とはとても言えず、曖昧な笑みを浮かべて返事とした。
 そのままピサンリとは別れて、マドレーヌは物思いにふけりながらアパートへの道
を帰り始める。
 ――ダンスか。盲点だったなぁ……。
 誰かに頼んで特訓してもらおうかとも考えるが、無理だと頭を振る。ハイヒールだっ
て履きなれていないのに、そのうえ踊るなど。
 こけたり、誰かの足を踏んだりする光景が思い描かれる。それならば足を挫いたと
か、適当なことを言って黙っていた方がいいだろう。どうせパーティーのほとんどはあ
いさつ回りでヴァンと一緒だろうから、彼にそういうことはお任せして、自身は――ピ
サンリがヴァンを誘いに来たら帰ればいい。それくらいの時間までいたなら、努力を
認めてもらえるはずだ。
 などと考えながら歩いているうちに、アパートへ帰る最後の角まで戻ってきた。
 重い荷物に顔をしかめながら曲がったところで、気付く。

『――クロード』

 普段ならば淡々としているブランシェの声音に、緊張が混じる。
 アパートの前に、クロードが立っていた。
 こちらにはまだ気付いていない。
 ――戻ろうか。
 彼が立ち去る時間まで、街中を歩いていたっていい。とにかく時間を潰せば、忙し
い彼は諦めて帰っていくはずだ。ここに来るのにだって、綿密な時間調整があっただ
ろうことは想像に難くない。
 戻って、見なかったことにすれば。
 そう考えた自分を嗤笑する。
 戻ったところで、現実からは逃げられない。彼はマドレーヌに会うまで何度でも来る
だろうし、どちらにせよ彼にパーティーへ出ることを伝えなければならなかったのだ。
 ――ごめんね、ブランシェ。
(私はお前の味方だ)
 ――……私の言葉を、伝えてくれるだけでいいから。
 それを伝えてから、マドレーヌはアパートへと歩みだした。
 彼のネクタイの柄がわかるほどに近付けば、横姿しか見えていなかったクロードは
険しい表情を浮かべた顔をこちらに向けた。
 怯えて足を止めると、クロードはますます眉間のしわを深くする。

「……みすぼらしい」

 クロードの視線は自分の服に向けられているような気がした。以前言われたのに
直していなかったことが、彼にとって腹立たしいのかもしれない。
 身体が鉛の鎖を巻かれたように重い。
 思考まで重くなってしまわないうちに、とマドレーヌは話を切り出した。

『今度、パーティーがあるので出席することになりました』
「パーティー?」

 クロードはわずかに首傾げ、先を促す。

『魔法布販売でお世話になっているジャスミンのオーナー主催のパーティーです』

 オールドローズの目を少し眇め、こめかみに手を当てた彼は間を置いて「あぁ」と思
い出したように口を開いた。

「1か月後にあるパーティだな」

 ――どうして、それを。
 驚いて下がりがちだった視線を上げれば、クロードは冷笑を浮かべた。

「あの店に並ぶ品物を運ぶ船を持っているのは誰だと思っている。オーナーから財
閥当主に招待状が来るのは当然のことだ」

 今までそういったことを考えたことがなかった。けれど確かに、この辺りで速く大き
な船を持っているのはシャール財閥だろう。ひいては運輸を担っているのもシャール
財閥になる。
 ――招待状がある、っていうことは……。
 クロードも出席するのだ。パーティーに。
 眩暈がした。
 神様にさえクロードからは逃げられない、と言われている気にさえなる。
 息を詰めて立ち竦んでいると、唐突に手を引かれた。

「これがドレスか」

 紙袋の中身を見たクロードは、その瞳に嫌悪感を覗かせる。

「……既製品だな。生地の質も悪い。何故このような安物を買った?金は充分に与
えているはずだ」

 マドレーヌが手にしていた荷物を奪い、彼はさらに中身を検分する。
 声音はますます厳しくなった。

「靴も、鞄も、化粧品も安物だ。みすぼらしい格好をするなと言っただろう……今から
急がせれば間に合うな。ドレスと靴を作りに行く」
『貴様から与えられたもので着飾るより、マドレーヌ自身が稼いだ安物で着飾る方が
美しい』
「何?」

 マドレーヌは荷物をその場に落として、肩に乗ったブランシェを慌てて抱きしめた。
しかしそうしたところで、もともと口を使って話しているわけではないブランシェの言葉
が止まるはずもない。

『自分の思い通りに気飾らせれば満足か。ふざけるな、この子は貴様の物ではない
のだ。貶める言葉は許さんぞ』
「私の物だ」

 言い切ったクロードの前で、火花が散る。
 クロードは薄く笑った。

「――私を殺すか、精霊。だがそうして困るのはマドレーヌだろう?」

 ――ブランシェ!いいから!
 彼と争いたいわけじゃない。何を言われようが、もめごとを起こさなければそれでい
いのだ。
(……クロードめ)
 心から乞えば、ブランシェは忌々しげに怒りの矛を収めた。
 ――いいの。ブランシェが味方だって知っているから。
 恐れているのはクロードにブランシェを取りあげられてしまうことだ。寄こせと言わ
れれば、渡さざるを得なくなる。そういう状況はどうしても避けたかった。
 マドレーヌは震える手でブランシェを抱きしめる。その目の前で、クロードは紙袋に
封筒を入れてマドレーヌに返した。

「自分の立場を忘れるほど愚かではないようだな」
『――ドレスや靴は、買ってしまったので許してください。貴方の妹だなんて言わな
ければ、相応の格好です。それに……』

 肺が引きつるようで、上手く呼吸ができない。
 聡いクロードは途切れた言葉の続きがわかった様子だが、マドレーヌにそれを言
わせたいのか、何も言わずに言葉を待っていた。

『……アクセサリーは、貴方にお願いしなければいけないので、ドレスや靴まで作っ
ていただくわけには……』
「しなければいけない?」

 返された言葉の中に不興を感じることは容易だった。

『……ドレスに合うアクセサリーを、作っていただけませんか』
「いいだろう。それから、美容室はこちらで手配する。既に予約を入れている場合は
キャンセルしろ」

 言われた言葉の意図が理解できず、マドレーヌは呆けてしまった。
 彼は美しく冷笑した。

「兄妹共々招待を受けたのだから、別で行くこともないだろう。物のついでだ、婚約
者候補たちやその親に顔を見せておく」

 体温の低い手が、マドレーヌの頬を包む。

「相手に愛されようなどと思うな。この世に愛などない。役に立とうとも思うな。お前
には何も望んでいない。ただ無害に微笑んで、当主の妹だというブランドを穢さずい
ればいい。母親のように貧しさに殺されたくないならば、従うことだ」

 ――貧しさに殺されても自由を選ぶと言ったら、この人は怒るだろうか。
 きっと怒るだろう。けれど小箱を渡せば何も言われなくなる。クロードの目的は徹頭
徹尾、小箱を自分の手元に置いておくことなのだから。あっさりと小箱を渡せば、こ
の男は驚くに違いない。
 そういう夢想して、嗤う。出来もしないことを考えるものではない。
 渡そうか、と考えるたびに、父親の言葉が頭を過ぎる。
 お前に持っていてほしい、という懇願が。
 胸が締め付けられるような信頼を、マドレーヌはどうしても手放せない。
 ――これは罰だ。
 彼から大切な物を奪い続けている。

『――はい』

 マドレーヌは静かに、頷いた。










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