苦く重たいコーヒーを飲んで店の外に出ると、エルガレイオンはあごを撫でながら
マドレーヌを見つめた。

「俺は予定通り『ジャスミン』に寄るつもりだけど、キイトは?」

 マドレーヌは『ジャスミン』に用はないので、ここでお別れ――と思ったのだが、不
意に昨日決心したことを思い出した。
 ――次のオーダーは、依頼人と話させてもらおうと思ってたんだった。
 これまではヴァンが注文を受けて、それをマドレーヌに伝えてくれていたのだが、こ
れからはマドレーヌも依頼人と会って話をしてみたい。そうするには、次の依頼が来
るまでにヴァンにそう伝えておくことが必要となる。
 ――オーナー、いるかな?
 不安げなマドレーヌに、ブランシェが答える。
(おらんでも、リオンに言伝を頼めばよいだろう)
 ―― そうだね。

『キイトもジャスミンに用がある』
「じゃあ、一緒に行くか」

 2人は人の往来を掻きわけて、向かいの『ジャスミン』へ向かった。
 先に入ったエルガレイオンの後に続いて店に入ったマドレーヌは、『ジャスミン』に
しては客の入りが少ないことに少々驚いた。
 いつも忙しなくレジを打っている『ジャスミン』の店員たちが、今日はゆっくりと商品
陳列を行えている。そのおかげで、入口近くに陳列された魔道具の補充を行ってい
たリオンに、いち早く気付いてもらうことができた。

「まぁ、こんにちは、キイトくん。それに、エルガレイオンも」

 今日も今日とて可憐なリオンは、花も恥じらう笑みを湛え、マドレーヌたちのもとへ
歩み寄る。その様子を周りの魔術師や魔導師たちが盗み見ていた。
 いつものような、リオンに見惚れるだけの視線じゃない。危機感が募った視線。
 ――エルガレイオン、美形だもんね。
 苦笑しそうになるのを、マドレーヌは堪えた。向き合うエルガレイオンとリオンは、ど
こからどう見てもお似合いの2人に見えるので、魔術師たちは2人が仲良くなったり
しないか気になるのだろう。
 そんな視線など解することなく、リオンは小首を傾げてコルク色の髪を揺らした。

「2人揃って、どうしたの?」
「えーと、俺は品物を取りに」
「あぁ、届いているわ」

 それでキイト君は、と視線を向けられ、肩に乗ったブランシェが答える。

『キイトはオーナーに用がある』
「オーナーに?そう。今、布のオーダーを受けているところなの」

 マドレーヌは目を丸くした。
 ――今?
(少し遅かったか)
 タイミングが悪かった。エルガレイオンの用事を先に済ませておけば、自ずとこちら
もオーナーに話を付けるのが早かっただろうが、今さら嘆いても仕方ない。あのとき
はジルダのことが優先だった。
 しかしどうしたものか。マドレーヌとブランシェは腕を組み、考える。

「そうだわ。もしよければ、オーダー主に会っていく?」

 ――え。
 願ってもないことをリオンに問いかけられ、マドレーヌは少しの間呆けていたが、す
ぐにこくこくと頷いた。
 リオンはよかった、と手を打つ。

「オーナーも以前、キイト君が同席してくれるとありがたい、って言っていたの。きっと
喜ぶわ」

 ――う。やっぱり。
 マドレーヌは申し訳ない気持ちになる。
 ヴァンは優しいから無理強いしなかっただけで、やはりオーダーの席についてほし
かったようだ。今まで多大な迷惑をかけてしまった。

「それじゃあエルガレイオン、少し待っていてね。先にキイト君を案内してくるわ」
「うん」

 手を振るエルガレイオンにマドレーヌも手を振り返し、先導してくれるリオンの後を
ついていく。
 従業員通路に入ってすぐ左、商談室の扉前で彼女は立ち止まって、静かにノック
した。

「オーナー。キイト君がいらっしゃいました。オーダーに同席したいそうですが……」

 少しの間が空いたあと、扉が開いた。
 扉を開けたヴァンは軽く目を見開き、狐につままれたような表情を浮かべていた。

「キイト、めずらしいね」

 迷惑だっただろうか、と尋ねる前に、彼はマドレーヌの肩を抱く。

「来てくれて助かったよ。やはり職人が直接打ち合わせしてくれる方がいい。リオン
ありがとう、もう店に戻ってくれ」
「はい。それじゃあね、キイト君」

 そのままあれよあれよ、と言う間に商談室の中に招かれ、マドレーヌはふかふか
のソファに座らされた。

「―― その子が職人キイト?」

 背筋を撫でるような、艶やかな声だった。
 マドレーヌは声のした方――真正面に座る人物に視線を向ける。
 そこには声に負けないほどに色香のある美女が座っていた。
 年齢は20代後半ほどに見える。髪は月のような薄い金色で長く、こめかみ辺りに
ブラックパールがあしらわれた大輪の花飾りをしている。目元はけだるげでたれ気味
なところが色っぽい。唇にひいたルージュの口紅も彼女によく似合っていた。
 そしてなにより――思わず自分の胸を触って確認したくなったほどの、ナイスバデ
ィである。襟ぐりが深いカシュクールのトップスから見える谷間と、ロングスカートに入
った太ももまであるスリットから覗く白い足は、男性なら見惚れてしまうだろう。
 否。同性であるマドレーヌも見惚れてしまった。
 彼女はミステリアスな紫色の瞳を細めた。

「かわいいわね」
「こう見えて腕は良いよ、デーア」

 ヴァンはマドレーヌの隣に座り、そう言う。

「紹介しよう、キイト。彼女はデーア。魔導師だ」

(なんだと?)
 ブランシェとともに、マドレーヌも驚いた。
 女性で魔導師、という人には初めて会った。理論上いないことはないが、それほど
に女性魔導師の存在はめずらしい。

「さらに彼女は免許持ちの魔導師なんだよ、キイト」

 ――免許持ち!?
 デーアは驚くマドレーヌに嬌笑しながら、耳に髪をかけた。
 この色っぽい女性があのドM免許と名高い魔導師免許のテストを合格した猛者。
それも、男性を差し置いて。
(女子だからと言って、甘く見てはならんな)
 マドレーヌも同意する。ヴァンの機嫌が2割増しで良い気がするのも、きっと彼女が
有能で有名な魔導師だからだろう。そういう魔導師が顧客になると、店としては大変
にありがたい。

「そしてデーア。魔法布織り職人のキイトだ。」
『――よろしくお願いします』

 ブランシェがマドレーヌの代わりに挨拶すると、予想通りデーアは目を見開いた。

「……精霊憑き?」
「キイトは声が出ない子でね。人形に憑いた精霊ブランシェが声の代わりを果たして
くれている。彼女の言葉はキイトの言葉だと思ってくれていい」

 デーアはヴァンの言葉を聞きながら、マドレーヌのことを注視する。その真剣な眼
差しは、彼女の仕事を感じるにふさわしいものだった。

「……念のため言っておくけれど、無い声の代わりを果たす魔術薬はないわ」

 マドレーヌとヴァンは意味がわからず、きょとんとして首を傾げた。それに構わず彼
女はマドレーヌの喉を指し、わずかに悩ましげな表情を浮かべる。

「喉のあたりに、魔術薬の気配がするわよ。おかしな魔術師に騙されていない?」

 ぎょっ、として、マドレーヌは身を硬くした。
 ――エルガレイオンは気付かなかったのに。
 エルガレイオンだけではない。今まで出会った魔導師たちは気付かなかった。
 ――これが魔導師免許を持っている人……。
 戦慄すると同時に、腑に落ちた。
 なるほど、確かに免許持ちの魔導師はレベルが違う。このレベルの魔導師が求め
られるのなら、テストの難易度も上がって当然のことだ。

『――騙されてはおらん。キイトは低魔力でよく体調を崩す。だから魔術薬を定期的
に飲んでおるだけだ』
「……今のは精霊の言葉かしら?」
『そうだ』

 彼女は唇でわずかに弧を描いた。

「精霊が言うなら間違いないわね。貴方の魔術薬を作る魔術師はとても良い腕をし
ているわ。私でもなんの魔術薬を使っているのかわからないくらいよ」

 図らずしもクロードを褒められることになり、ブランシェの機嫌が急降下したのをマド
レーヌは感じた。彼女はクロードのことになると途端に機嫌の上下が激しくなる。
 どうか雷を落としませんように、とブランシェではない他の何かに願いながら、マド
レーヌは愛想笑いを浮かべる。

「でもそうね、貴方の低魔力は声が出ないことに関係しているのかも」
「うん?」

 口を挟まず聞いていたヴァンが、興味深げに身を乗り出した。

「どういうことかな、デーア」
「最近の研究で、身体的な不足がある場合、魔力が失われていることがわかってき
たの。これは手術で内臓を切り取ったりした場合も含むわ」
「本来持っていたはずの魔力量より減っている、と?」
「そうよ。本来持っている魔力量は個人によって大きく差があるから最近まで気付か
れなかったけれど。キイトの低魔力も、それに関係しているかもしれないわね。もし
声が出せるようになれば、魔力が戻るかも」
「……だ、そうだが。声のことについて、医師に相談したことは?」

 ヴァンの言葉に、マドレーヌは首を横に振る。
 ブランシェが補足した。

『以前見せたが、どうにもならないと言われた』
「そう……医者がそう言うなら、私たちはできることがないわね」

 デーアがため息を吐いて憂う。
 魔術や魔導は怪我を治すことはできるが、限度がある。
 それらの治癒の定義は『元の状態に戻す』である。だから膝を擦りむいてできた傷
は元の状態に戻すことが可能だ。しかし例えば元々左足を持たずに生まれてきた人
の足を生やせるか、と問われれば否と言わざるを得ない。『元の状態』は『足がある
状態』ではないからだ。
 さらに病気の場合も魔術や魔導は効き目がない。菌やウイルスが身体に入りこん
だ時点で『元の状態』に戻そうとしても、ウイルスや菌の活動を鎮静化させるだけで
根本的な解決にならないのだ。菌やウイルスを殺し、治療するのは医師の薬や手術
が必要となる。
 だから魔法が発達した今日でも、医者は必要とされているわけである。
 ――でもそうか。声がないから低魔力になって、体調を崩しやすいのか……。
 身体の衰えだ、なんて指摘されなくてホッとした。この歳でそんなことを言われたら
30歳まで生きられないと思う。
 安堵したところで、マドレーヌは本題に入った。

『それで、ご注文内容は?』
「あぁ……そうそう。ドレスに使うシルク生地を織ってほしいの。パーティーにも使える
高級感に溢れたものね。色は赤で、模様は何も入れない方がいいわ」
『深い赤ですか?』
「いいえ。鮮やかなものを」

 そう言って、彼女はテーブルの上に置かれていた布見本帳を引きよせて、赤い布
の中でも一層鮮やかなものを指した。
 ――あぁ。これならまだ糸はある。
 シルクはマドレーヌが扱う魔法布の中でも人気が高い商品なので、糸のストックは
充分あった。今回は糸を染める仕事を省ける。それに模様を入れなくても構わない
のであれば、さらに仕上がりは早くなる。
 しかしながらドレスに使う布量となると、いつも通りとはいかない。

『必要な布量は?』
「そうねぇ、20メートルくらい」
『1か月ほどお時間をいただきますが』
「構わないわ。パーティーは2ヶ月後でしょう?」

 そう言って、彼女はマドレーヌの隣に座るヴァンを見つめた。
 頷く彼を思わず訝しげに見ると、彼はその視線に気付いて微笑んだ。おそらくヴァ
ンをよく知らない女性であれば、その意味深な笑みにトキめいたことだろう。
 だがマドレーヌは知っている。この笑みは経験上、あまり良くないものだ。
 思わず逃げ腰になったマドレーヌの手に、ヴァンは自分の手を自然に重ねた。

「すまない、まだ話していなかったね。実は2ヶ月後に、私が主催するパーティーが
あってね。デーアはその警備として雇ったんだ」

 彼が主催するのであれば、魔法界から財界まで、多種多様な重要人物が集まる
だろう。だからそれは、魔法国に身を置く者としては当然の警備である。
 当然である、のだが、パーティーという単語に激しい嫌悪感を覚えた。
 ブランシェはマドレーヌの肩から降りて、膝の上で重ねられたヴァンの手をベチッと
叩いた。

『こら。キイトに触るんじゃない』
「これは手厳しい。いや、キイトが不安がるかと思ってね」
『……不安』
「そのパーティーに、キイトにも出てもらおうと思っていたんだ」

 卒倒しそうになった。
 マドレーヌは端的に言ってしまえるなら、パーティーが大嫌いである。以前一度だ
け、ヴァン主催のパーティーに出席したことがあるが、そのときに手酷い体験をした
ので、それ以降はヴァンの誘いがあっても頑なに拒んできた。
 ――なのに、どうして?
 生まれたての小鹿のようにぶるぶる震えながらヴァンを見上げれば、彼はマドレー
ヌの背中をぽんぽんと撫でた。

「落ちついて、キイト。きっと以前のパーティーを思い出しているのだろうけれど、あれ
は出席者が君のことを男の子だと思ったから」
「なんですって!?」

 それまでしなだれていた、と表現しても正しかったであろうデーアは、ヴァンの言葉
を聞くなり立ち上がってマドレーヌの横に座った。
 なんでしょうか、と聞く前に、その細い手がマドレーヌの胸をわし掴む。

「…………胸、が、ある、ような?」

 マドレーヌは断言する。魔導師の辞書にデリカシーという単語はない。
 何故なのだ。何故エルガレイオンといい、デーアといい、触れてほしくないところを
抉っていくのだろうか。惨すぎる。
 あまりの無体に言葉もないマドレーヌがヴァンを見上げると、彼は我に返った様子
でデーアとマドレーヌを引きはがしてくれた。

「デーア、申し訳ないが彼女に説明をさせてもらえないだろうか」

 彼女は機嫌を損ねたように眉をひそめたが、それだけだった。それ以上何かをした
り、言ったりする気配はない。
 ヴァンは安堵して、マドレーヌに向き直った。

「話を戻すけれど、君が政治や魔法の話をふられたのは、君がスーツを着てきたか
らだよ。皆男だと思ったんだ。ああいう場なら、男には政治の話をふるのがセオリー
だからね」

 そうなのだ。以前出席したパーティーで、マドレーヌはまったくわからない政治や魔
法の話を様々な人からふられて、大いに困った。中には何も返答できないマドレーヌ
に侮蔑の視線を送る人間だっていたくらいだ。あれで決定的にパーティー嫌いになっ
たと言える。
 ――あれ?男には?
 疑問を拾って小首を傾げれば、ヴァンはマドレーヌが聞きたいことを読み取ってくれ
た。

「女性にはそんな話はふらないよ。つまらない男に思われるだろう?」

 そんな男女区別はいらない。平等にするべきだ。

「だからキイト。今度のパーティーはドレスで来るといい」

 行きたくない、で済ませられたらどれほど楽か。
 マドレーヌが今まで断ってきたパーティーは、どれもヴァンが主催していないものだ
った。だが今回は違う。雇い主、というか、契約主である彼が主催するのだから、店
に布を置いてもらっているマドレーヌが顔を出さないわけにはいかない。
 ―― そもそもドレスなんて持ってないのに……。
 以前のパーティーだって、ドレス、アクセサリー、靴、バッグ、そういうパーティーに
必要なものを整えなかったからスーツで出席したのだ。あのときほど少年に見られ
る外見を便利に思ったことはないが、まさかそれが首を絞める原因になっていたとは
思いもしなかった。自業自得、という言葉が頭に浮かぶ。
 ――いや、へこんでる場合じゃない。
 ドレスがない、というアピールをして、なんとかパーティー出席をうやむやにできた
りしないだろうか。
(作れ、と言われるのがオチだと思うが?)
 ブランシェの情け容赦ないツッコミにめげず、マドレーヌはヴァンに言う。

『ドレスがないので……』
「じゃあ、私を魔法使いの役に当ててくれないか?一緒にドレスを選びに行こう。君を
お姫様にしたいんだ、シンデレラ」

 ――す、すごすぎる。
 マドレーヌは笑みを浮かべたまま固まった。
 ヴァンの意図はわかっている。『キイト』の魔法布をアピールしたいのだろう。その
ためには本人が顔を見せるのが大事だ。だからこうして、なんとかパーティーに誘い
だそうとしている、とわかっているわけなのだが、それでもこの甘い台詞は「さすがプ
レイボーイ」と言わざるを得ない。
 ――でも、一緒に選びに行くのはちょっと……。
 戸惑うマドレーヌの背後から、しなやかな腕が首に巻きついた。

「ドレスなら、私が選んであげるわ」

 蠱惑的な甘い香りと声に、眩暈がする。

「そのお礼に、ちょっと食事に付き合ってくれればいいから」
『やめんか、いかがわしい』

 バチッ、と何かが弾ける音がしたと同時に、抱きついていたデーアがきゃっ、と声を
上げて離れた。
 振り向くと、彼女は憮然として手を振っている。

「貴方……雷の精霊なの?」
『いかにも。ヴァン。お前もあまり悪戯が過ぎると電撃を喰らわすぞ』
「お遊びではないのだがね」

 ヴァンは苦笑した。

「パーティーに出た方が、キイトのためにもなる」

 ―― そうなんだよね……。
 結局のところ、マドレーヌもそれを承知している。
 マドレーヌだって、職人だ。顧客が増えるのは嬉しい。それはイコール、自分を必
要としてくれる人なのだから。
 そして顧客を増やすにはヴァンの勧める通り、パーティーに参加して顔を売ることも
大切だ。一流の職人ならばそんな必要はないが、マドレーヌはまだまだ駆け出しの
職人。そういう努力が必要な時期なのだ。
 ――今まで、散々怠ってきたわけだし……。
 エルガレイオンの話を信じるなら、これからマドレーヌの布は注目を集めるだろう。
その場にマドレーヌがいた方が話がスムーズなのは明らかだ。
 マドレーヌは観念した。

『――わかりました。パーティーに参加します』
「そう言ってくれると助かるよ」
「決まりね。さぁ、行くわよ」

 話はまとまった、と言わんばかりにデーアは立ち上がり、マドレーヌの腕を掴んで
引っ張り上げる。唐突な行動に驚いたのはマドレーヌだけではなく、ヴァンもだった。

「デーア?」
「ドレスを選びに行くわ。貴方は遠慮して頂戴、ヴァン。女の裏舞台に顔を突っ込む
ほど野暮な男じゃないでしょう?」
「そう言われると、期待に応えざるを得ないな」

 デーアの言葉に笑ったヴァンは、事態を呑み込めずあたふたするだけのマドレーヌ
の背を押した。

「キイト。デーアは女性の魅力を武器にできる女性だ。彼女にドレスを選んでもらって
きなさい。会場で、君のことを魅力的だと思わない男なんていなくなるよ」

 ――まずい。
 マドレーヌは背中に冷や汗を掻きながら、デーアの服装を盗み見る。
 程々に露出が多い服装。ヴァンの言う通り、彼女は女性の魅力を武器にできる方
法を知っている。きっと自分を女性に仕立ててくれるだろう。
 だがそれを、クロードは許さない。
 彼が求めるのは『魅力的な女性』ではない。『クロード・シャールの妹として恥ずか
しくない女性』なのだ。
 ―― そうじゃなくても、服を誰かと一緒に買いに行くのは……。
 マドレーヌはごくり、と喉を鳴らした。

『――心配には及ばない。ドレスのアテはある』

 見かねたブランシェが口を挟む。

『キイトとて女子だ。着たいドレスは山ほどある』
「あら、そう。でも私が選んだほうがよくなるわ」

 そう言うなり、彼女はマドレーヌを引きずられるようにして商談室を後にした。
 ――え。
 マドレーヌは呆然とした。
 従業員通路を進みながら、彼女は妖艶に微笑む。

「任せなさい。意中の人どころか、貴方を見た男が軒並みノックアウトするようなふさ
わしいドレスを選んであげる」

 ――えぇぇぇ。断ったのに!
 マドレーヌは衝撃に打ち震えた。あんなふうに断られたら、身を引くのが人間と言う
ものだろう。なのにこの魔導師、身を引くどころか己のファッションセンスに火を付け
られたようにノリノリである。
 店に戻ると、店内にいた魔導師たちがざわめいた。
 ―― そうか。免許持ちの魔導師だから有名なのか。
 そういえば、とマドレーヌはデーアに引きずられながらエルガレイオンの姿を探す。
もしかするとまだいるかもしれない、と思ったのだが、姿がなかった。比較的狭い店
内であの目立つ容姿を見落とすことはあり得ないので、先に帰ったのだろう。
 その考えを裏打ちするかのように、リオンがレジで魔術師の品物の精算を行って
いた。

「あら、キイト君。デーア。もう帰るの?」

 美女と美女。だが、その美のベクトルは大きく違う。リオンは可憐で、デーアは妖
艶なので、美が殺し合わず、その場を華やかにするものとして成り立っている。
 デーアは花のように微笑むリオンに、ええ、と返した。

「布ができたらまた来るわ」
「ふふ。待ってるわね」

 デーアはリオンに軽く手を振って、スリットから白く艶めかしい脚をちらつかせなが
ら店を出た。
 ――ど、どうしようブランシェ。
 このままでは、彼女とドレスを選ぶことになる。それは避けたい。
 と、そこでもはや聞きなれた声が横から飛んできた。

「あっ、キイ……」

 しかしその声の勢いは、弧を描くように地面に落ちた。
 マドレーヌが視線を向けると、ドア脇の壁に寄りかかっていたらしいエルガレイオン
は、身を起こしかけているという奇妙な格好で止まっていた。

「あら、キレイな男。知り合い?」

 そう尋ねてくるデーアに向かって、エルガレイオンは叫んだ。

「まっ、魔導師デーア!?」
「そうだけど、どなた?」

 ――おぉ。やっぱり有名な人なんだな。
 デーアに見覚えがない、ということは、エルガレイオンが一方的に知っているのだ
ろう。つまり、顔と名が売れているほど有能な魔導師なのだ、彼女は。
 なんて暢気に思っていると、エルガレイオンは鬼気迫るといった表情を浮かべて、
マドレーヌをデーアから素早く引きはがした。
 そうして彼女をしっかと抱きしめ、1歩、2歩、とデーアから後退する。

「だっ、ダメだ。キイトはダメだ。あんたの好みじゃない、この子は女の子だから」

 ――好みじゃない、とか、女の子だから、とかどういうこと?
 言われたデーアは「あぁ、魔導師なの」と嫌そうなため息を吐く。

「これだから同業者は嫌よ。その子が女の子なのは知ってるわ」
「あ……そう……」

 安堵して、エルガレイオンはマドレーヌを抱きしめる腕の力を緩めた。

「でも、私にとって大事なのは見た目なのよ」

 肩の骨が砕けそうなほど、また抱きしめられた。すごく痛い。
 ――あれ。
 しかし不意に、ソーダ水のような爽やかな香りが鼻を抜けた。どこかで誰かがソー
ダを飲んでいるのかと不思議に思えば、それは単純にソーダの香りではなくシナモ
ンのようなスパイスを混ぜた香りだと気付いた。
 ――あ。エルガレイオンの香水か。
 魔導師は自分が持っている魔術薬の匂いを消すために、香水を好んでつける。彼
もおそらくそうなのだろう。
 気付いたところでどうということはないことを考えるくらい、マドレーヌは現実逃避を
していた。
(まったく……)
 静観していたブランシェが、さすがに口を挟む。

『おい、エルガレイオン。キイトにベタベタするでない。何だと言うのだ』

 ブランシェに抗議されてもエルガレイオンは抱きしめる力を緩めず、デーアを――警
戒している。

「……俺も知ってるのは噂だけだったんだけど。魔導師デーア、免許持ちの女性魔
導師で、テクニカル派の魔導師。で、一番の特徴が…………少年愛者」
「人聞きの悪いことを言わないで。美少年を愛でるのが趣味なだけよ」

 間髪いれず訂正するのがそこなのか。マドレーヌは遠い目をした。
 なるほど、どおりでマドレーヌの性別を聞いて変に取り乱したわけである。その後
の「大事なのは見た目」という発言も、要するに愛でるのに少年に見えればいいか、
という妥協だったわけだ。
 理解したが、真実が悲しすぎる。マドレーヌは泣きたくなった。
 エルガレイオンは少し引いている表情を浮かべ、言い返す。

「美少年を愛でるのが趣味、って割にはえげつない噂が聞こえてくるんですけど」
「どんなのよ」
「依頼の報酬が美少年ハーレムだったとか」
「ちょっと侍らせただけだわ」
「仕事先の美少年をお持ち帰りしたとか」
「ちょっと口説いて、照れる様子を愛でただけよ」
『おい、お前ら。キイトの教育に悪いことを口走るんじゃない』

 マドレーヌは顔を覆った。
 ――魔導師って、アウトな人ばっかりなのかな……。
 今まで話してきた魔導師からは、そんな気配など感じなかったのだが。それとも深
く関わり合いになると、みんなこのような一面を持っているのだろうか。マドレーヌは
魔導師に対して、ある種の恐怖を覚え始めていた。
 だが同業であるはずのエルガレイオンも、デーアに対して戦慄を覚えていた。

「ダメ。絶対ダメ。キイトには近寄らせないからな」
「うるさいわね、何の権限があってそんなこと言うのよ。彼女なの?」
「違うけど、毒牙にかかるとわかってて友達を蛇の近くに放置しないだろ」
「どく……これだから20歳以上の男ってかわいくないわ。いいこと、キイトは私とドレ
スを選びに行ったあと、食事をする約束をしているの」
『してないぞ』

 ブランシェがすぐさま訂正してくれて助かった。今、とんでもないことをさらりと約束
内に加えられていた気がする。
 エルガレイオンは激しく首を横に振った。

「絶対ダメだ。何されるかわかんないし」
「私に意見したいのなら20歳未満12歳以上になって出直してきなさいな」

 すごい文句もあったものである。一昨日きやがれ、に通じたセンスだ。
(おい、また現実逃避か。どうする気だ。注目を浴び始めているぞ)
 逃げていた現実をブランシェが突きつける。彼女の言う通り、店先で美しい男女が
言い争っている姿は通行人の目を惹いていた。ただし当の本人たちは気にする様子
がまったくと言っていいほどない。
 注目されてますよ!と目に物を言わせる表情でマドレーヌはエルガレイオンを見上
げたが、彼は常は見せない、昨日の戦闘前にだけ見せた鋭い視線をデーアに向け
ていた。対してデーアも負けず劣らず、砥がれた刃物のような冷たい視線をエルガ
レイオンに向ける。

「キイトにドレスが必要なら俺が一緒に行って選ぶし、食事も俺が連れて行く」
「男の貴方にドレスを選べるわけがないでしょう。お黙りなさい」

 2人の間に流れる空気は、一色即発だ。しかしその内容が、あまりにもお粗末で
ある。間に挟まれたマドレーヌが一番恥ずかしい。
 この空気、どうしてくれよう、とマドレーヌが懊悩していると、肩に乗ったブランシェ
が2人の視線が交わる地点でバチッ、と火花を散らした。

『喧嘩両成敗にされたくなければ、話を聞け』
「うぐっ」

 その身に動揺を走らせたのはエルガレイオンだった。昨日の電撃がかなり効いて
いるらしい。
 デーアは何も言わなかったが、瞳から険が引いたのをマドレーヌは感じた。

『よいか、デーア。私とエルガレイオンの趣味は合う。ひいてキイトの趣味ともだ。だ
から今回はエルガレイオンにドレスの件を一任する』

 ――えっ!?
(いいから話を合わせろ。この女とエルガレイオンなら、エルガレイオンの方がはる
かに面倒が少ないし、アクが薄い)
 マドレーヌは即座に理解した。つまり同行者として選ぶのであればエルガレイオン
の方が御しやすい、ということなのだろう。
 ――だけどそれじゃ納得しないと思うよ……。
 間接的にアクが濃い、と言われたデーアはマドレーヌの思った通り、目を眇めて不
服を露わにした。

「私とだって趣味が合うかもしれないじゃない」
『合わなかった場合が問題なのだ。キイトは自分の意見をすぐに殺すから、きっとお
前好みのドレスを着ることになるだろう。だがな、ただでさえキイトはパーティーに良
い印象がない。そんな場所に気の乗らないものを着て行って楽しめると思うか?』
「……」
『今回はキイト好みのドレスを着させてくれ』
「……いいわ」

 デーアは不承不承頷いた。

「今回は……エルガレイオンって言ったかしら。貴方に譲ってあげる。でも次は私が
一緒にドレスを選びに行って、食事をするわ」

 マドレーヌは思う。デーアは一緒に食事をしたいだけなんじゃないかと。
 しかしそれを問う前に、彼女は長い髪をなびかせながら身をひるがえし、実に格好
良く雑踏へと消えて行った。
 ――な、なんだったんだろう、一体。
 どっ、と疲れてしまって額を押さえると、エルガレイオンは身体を離して顔を覗きこ
んできた。

「だっ、大丈夫かキイト。何もされなかったか?デーアはあんなこと言ってたけど、彼
女と食事は絶対に行っちゃダメだからな。キイトには言えないけど、色々とえげつな
い噂があるから、何が何でも断るんだぞ。本当にえげつないから」

 未だかつて見たことがないほど真剣な表情だったので、マドレーヌは気圧されるよ
うにして頷いた。彼にここまで言わせるデーアの噂に興味はあるが、世の中知らな
い方がいいこともたくさんあるのは知っている。おそらくこれもその内の1つであろう。
追求するのは止めた。
 ――あ。そういえば。

『もしかして、待っててくれたの?』

 小首を傾げて尋ねれば、彼はきょとんとしてから微笑んだ。

「帰る途中で倒れたりしたら、寝覚めが悪いし」
『そこまで病弱なわけじゃ……』

 ないとも言い切れないのが悔しい。

「ところで、ドレス選び云々ってのは何なんだ?」
『ヴァンが主催するパーティーが2ヶ月後にあるのだ。キイトはドレスを持っていない
から、それを買いに行くという話からあんなことになってな』
「ふーん?で、俺がついて行けばいいの?」
『あれは方便だ。ついて来んでいい』
「えっ」

 エルガレイオンは目を丸くして固まった。
 ――え。
 そのリアクションの意味が理解できず、マドレーヌも固まる。

「――俺、球体関節人形の服選びで、センスに自信があるけど?」
『お前……生きている人間と人形を同列に語るでないよ』

 正論を他でもない人形からぶつけられ、エルガレイオンはうっ、と胸を押さえたが、
すぐさま頭を振って「だって!」と並々ならぬ熱意を話し始めた。

「ドールとお揃いのドレスを着るとか、女の子しかできないのに!キイトには是非そ
の楽しみをやってもらって、そのおこぼれに預りたいと思うじゃん!?お写真一枚下
さいって思うじゃん!?」

 デーアに対しては常識人だったのに、何故彼は1人になるとこうも常識から外れて
しまうのだろうか。
 とりあえず求められた同意には、否、としておいた。
 エルガレイオンは「そんな」と神に見放されたような声音を漏らす。

「かわいいの選ぶからっ!ブランシェとお揃いな感じのドレスを着ようよ!」
『やめい。そもそもキイトは誰かと一緒に服を買いに行くのを好かん』
「なんで!?」

 ――ブランシェ!
 マドレーヌが止める前に、彼女は言ってしまった。

『胸がないのを見られるのが嫌だからだ』
「…………」

 無言で憐みの目を向けられるのが辛い。

「キイト……あの……女の子は……胸じゃない……から」
「…………」
「ほ、本当だって。ほら、世の中にはスレンダーな子が好きな男も……」

 マドレーヌは手を上げて、それ以上を制した。
 中途半端な慰めは、誹謗より惨い。

『エルガレイオン。今のブランシェの話は、これあげるから黙っててね……』
「うん……大丈夫。墓場まで持って行くよ……」

 何とも情けない秘密とともに、自分用に買っておいた最後のマドレーヌはエルガレ
イオンのもとへと流れたのだった。










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