「ハッピーウエディングー、ハッピーショッピングー」
「その謎の歌も気になるけれど、君がやっていることも気になるよ、ヴィトラン」
ブレックファーストはイスに座り、横目でヴィトランの奇行を眺めていた。
ここはヴィトランの仕事部屋であるはずなのだが、何故だか洋裁道具が机の上に散らかっているうえに、床まで型紙が占めている。
現在、もう足の踏み場もないほどだが、ブレックファースト自身は床に型紙が散らばる前に来たので、歩くのに苦労したことはなかった。
ただ、異様である。
ヴィトランが、ミシン仕事をしているというのは。
「んふふ。これはね、ミシンで縫っているのさ!」
「それは知ってる。何を縫っているかが、この場合問題だと思うよ?」
ヴィトランの扱いは、ケガをしてお世話になっていた当初はかなり困ったものだったが、付き合いを半年もすると、彼の言動に惑わされなくなってきた。
何故だかヴィトランにブレックファーストも気に入られてしまい、こうして定期的に顔を見せないと、彼の方から自分の『国』にまで来てしまうのである。
いきなり、玄関先にいたときには本当に驚いたものだった。
それから、定期的に顔を出すようになった。
――闇色ハット君が、微妙な顔をしていたのが分かるかもしれない。
基本的に彼はいい人だが、テンションについていきづらい。
慣れれば大したことではないが。
「何を縫っているかなんて決まっている!ウエディングドレスさ!」
「……まさか、着るんじゃないだろうね、君が」
「ノンノン。僕が着るなら、もっと派手にする」
などと言っているが、今見ている部分だけでも、レースがかなり使われている。レースのバーゲンか、というくらいにびらびらとスカートの部分についているのだ。
「これは闇色ハットに贈るウエディングドレスさ!」
「……まだ、婚約中だからね?」
――困ったものだ、あの2人も。
シシィとルビーブラッドは半年前に婚約をしたというのに、今現在、全く結婚の準備が進んでいないのである。
理由は、2人とも単純に忙しい。
片や名の通った魔導師で、片や孤独共存の呪いを封印し、不完全ながらドラゴンの毒に関する研究を進めた魔術師。
依頼や、研究に関する助言が色々と舞い込んでくるのである。
しかも2人とも根っからの研究者気質で、顔を合わせれば結婚準備の話を差し置いて、魔術の研究についての話ばかりしているという色気のなさだ。
「せっかく、お金も取り戻せて、家も買えたっていうのにねぇ」
「だからこそ、このドレスを押し付けて急かすのさ!2人には早く子供を産んでもらわなければ!」
「え?何で?」
「美しい2人の美しい子を、僕の花嫁にするから!」
――男の子だったらどうする気なんだろう。
ブレックファーストは、心の中でズレたツッコミをしておいた。
********
「え……嘘。まだあの2人、結婚式会場の下見すら行ってないの!?」
「というか、忙しくてこの間やっと両親に挨拶にいけたくらいらしいです」
ルウスは魔術師専用の雑誌に目を通しながら、投げやりに伝えた。カウンターに座ってそれを眺めていたBは、にんまりと意地悪な笑みを浮かべた。
「闇色ハットがお嫁に行くのが、面白くないんでしょう?」
「当たり前です。私はあの子の赤ちゃんの姿を知ってるんですよ」
パールのもとで修行していた時、何度かシシィを連れて夫妻が遊びに来たことがある。もちろん夫妻には、自分が魔術師だということは言っておらず、ただ彼女の夫であるラフォーに絵を習いに来ていると説明していた。
「あの時から闇色ハットはずいぶん気の小さい子で、私が抱っこするとすぐ泣くんですよ」
「まぁ」
「旅立ち間際、一番最後に会ったときは、抱っこしても泣きませんでしたが」
しみじみと語るその姿は、本当に父親に見えた。
Bが堪えきれず、カウンターに伏せて笑う。
「ふふふっ!ルウスってば、本当お父さんね!」
「私はもう、娘は欲しくないです……絶対、私より相手を選ぶ日が来るんですから」
「でも、貴方だって、そうやって私を得たのよ」
痛いところを突かれ、ルウスは口を閉じた。
また、Bが笑う。
「何にせよ、あの2人には幸せになってほしいわ」
「……それは私だって同じですよ」
********
「焼けました!焼けましたよ!」
オレンジケーキが乗った皿を持って、シシィはルビーブラッドが倒れ込んでいるソファに駆け寄った。
オレンジケーキを手でつかみ、無理やり彼の口に放り込むと、力なくルビーブラッドは咀嚼を開始する。
「もう!どうして、どうしてご飯を食べるのを忘れちゃうんですか!」
「……いや、食べていたと思うんだが……3日前の食事は覚えてる」
「お仕事でここを出ていったのも3日前です!」
つまり、食べてないということだ。
――作って待ってて、良かった!
どうせそんなことだろう、と予想というよりも確信していたシシィは、わざわざルビーブラッドがこの町に借りたアパートで、オレンジケーキを焼いて待っていた。
改めて、部屋の中を見渡す。ワンルームの、狭い部屋。
当初よりは、家具の数も増えた。借りて初めのころは、ルビーブラッドが忙しかったせいで、ベッドすら置いていなかった。訪れたとき、ルビーブラッドが床で眠っているのを見て、シシィは涙ながらに懇願した。「せめてベッドを買ってください」と。
買う時間がない、との返答に、シシィはおずおずと提案したのだ。もし、良いのであれば自分が揃えましょうかと。
承諾されたので、今この部屋にある家具は、すべて自分が選んだものだった。
と言っても、必要最低限の家具しか置いていなのだが。
「……すまん。今、スケジュールを調整中だ。あと少ししたら休みも取れるようになるから、そうしたら結婚式の準備もできる」
「うう……早くしないと、お父さんとお母さんが結婚式会場決めそうです」
「……うちの両親もやりかねん。お前にドレスを持ってくるぞ」
2人して、重いためいきをついた。
「そもそも、私の方も研究に熱が入ってるのがいけないんですよね。どうしても、全てのことを忘れがちで」
「進んだのか」
「少しだけ」
「見せてくれ」
むくり、と起き上がって、ルビーブラッドはシシィに手を差し出した。それを見て、シシィはカバンから書類何枚かを取り出し、確認した後ルビーブラッドに手渡す。
研究内容は、ドラゴンの毒についてである。
「……こういう結果が出たなら、トゥリーデデリーを試してもいいんじゃないか?」
「え、でも、成分が違います。それならカルファロットの方が」
「それは似すぎていないか?」
「そうですかねぇ……」
そこではっ、と2人とも我に帰る。
「……これだから進まないんですよね」
「……そうだな……まぁ、今はしばらく休もう」
きょとんするシシィに、ルビーブラッドは優しく微笑みかけた。
――こうなるなんて、思っていなかった。
祖母が死んだ日、絶望の中に自分はいた。
もう、誰かと笑いあえる日など来ないと思っていた。
自分に自信がなくて、オロオロするだけの自分。そんな自分があの図書館の扉を開けたときから、全ては始まった。
『人生とは扉を開けることなのよ、シシィ』
たった1人で、扉を開けることは怖かった。おそらくは、今でも新たな扉を開けるのは怖くて、勇気がいる。
けれど勇気を持って開けば、確かに輝く日々はあった。
楽しいことも辛いことも、笑った日も泣いた日もある。それは確かに日々を生きてきた証で、シシィの胸に思い出として残っている。
「ルビーブラッドさんが、そんなことを言うのは珍しいですね」
「……シシィ。俺は、今仕事中じゃないのだが」
う、とシシィは固まった。
「な、慣れないんです」
「俺はちゃんと使い分けているだろう」
「うう……っ」
顔を真っ赤にして困り果てるシシィに、ルビーブラッドは軽くため息をついてからシシィの頭を撫でた。
焦らなくてもいい、と。
「そういえば、言っていなかったな」
「何がです?」
「ただいま、シシィ」
――いってらっしゃい、って。
言うばかりの関係だったのに、彼は今、ここに戻ってくる。
ただいまを言ってくれる。
シシィは照れながら、ルビーブラッドに微笑んだ。
「おかえりなさい……ジゼルさん」
――たった1人で扉を開けるのは、今も怖い。
ルビーブラッドも微笑んで、2人の距離が近づく。
――それでも、貴方が傍にいてくれるなら。
――きっと、どんな扉だって開けていける。
「ルビーブラッドォォォ!僕はとても素敵なことを思いついたんだ聞いてくれるかい!それも名付けて花嫁ゴンドララブラブ大作戦!!」
2人の距離は、唇まであと3センチというところで止まった。
「おや?」
「あぁ……だからお止めって言ったのに……ヴィトラン」
勢いよく開けられた部屋の扉の向こうには、ヴィトランと、彼に隠れるようにして頭を抱えているブレックファーストの姿。
ルビーブラッドはその姿を確認すると、無言で立ち上がり。
その手に、ロッドを持った。
『グリージオ 刹那の断罪者鳩羽鼠の雷鳥よ……』
「ルビーブラッドさん!ちょっと落ち着きましょう、それはまずいです!」
「止めろルビーブラッド!確かに彼は変人だが悪い奴じゃない、ちょっとおバカでタイミングが悪いだけなんだ!抹殺しようとするな!」
「あぁ!美しきルビーブラッドに焦されるなら本望!むしろ僕は、君に出会ったときからその瞳に胸を焦がされている!」
『マゼンタ 灼熱の……』
「変えた!魔導を雷から炎にお変えになられた!」
「早まるなルビーブラッド!!」
叫ぶブレックファーストの後ろには、それを茫然と見守るルウス夫妻の姿がある。
「あらあら……せっかく遊びに来たのに大変なことになってるわ」
「いや……止めないと。ルビーブラッドさんに暴れられたら、このアパート周辺壊滅しますよ」
「じゃあ、どうにかしてきなさい」
「私には無理です。闇色ハットがどうにかするでしょう」
かなり無責任な発言だ。
シシィはなおも魔導を発動しようとする、目の据わったルビーブラッドをなだめながらため息をついた。
――とりあえず。
甘い生活の待つ扉を開けるのは、まだ先のことらしい、と。
END
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