翌日、来訪者があったのは朝食のリンゴを食べているときだった。 朝食と言っても時間は10時を過ぎており、朝と呼ぶには遅い時間。つい30分前 まで泥のように眠っていたマドレーヌは、呼び鈴の音にネクタイを締め、寝ぼけ眼で ブランシェとともに階下へと下りて行った。 ドアを開けると、エルガレイオンが立っていた。 「おはよう」 『おはよう。どうしたの?』 なんとなく、訪問者はピサンリあたりかと思っていたので、予想だにしなかった人 物の訪問にマドレーヌは驚きを隠せなかった。 一方エルガレイオンはそんなマドレーヌに少し笑って、ロングパーカーのポケットか ら髪飾りを取りだした。それは昨日、どこかで落としてきたと思っていたものだ。 『探してくれたの?』 「探したってほどの労力は使わなかったよ。戻る途中に落ちてた」 『……ありがとう』 ――手元に返ってくるものなんだね。 受け取った髪飾りは重かった。 暗い気持ちを表に出さぬよう、マドレーヌは笑う。エルガレイオンは善意で見つけ てくれたのだから、喜ぶべきだ。 『見つかって、よかった』 「…………」 ――ん? 違和感を感じ、マドレーヌは手元の髪飾りからエルガレイオンに視線を移した。 常ならば朗らかに微笑んでいるはずの彼だが、今日はどこか影を落としたような笑 みを浮かべている。 ――抽選に漏れたのが、まだ尾を引いてるのかな……? 狙っていた人形を逃したのが、そんなにショックだったのか。それとも朝まで飲むと 言っていたから、その疲れが出ているのだろうか。そうであるなら、わざわざ家に寄 ってもらって申し訳なかったな、と思う。 憂い顔は美形に似合うと聞くが、エルガレイオンに関しては陽気に、爽やかに笑っ ているイメージが強いので心配になった。 『エルガレイオン、大丈夫?お酒飲みすぎて気持ち悪いなら、水でも飲んで行く?』 「んー……いや」 覇気なく、彼は首を横に振った。 「キイト、悪いんだけど『ジャスミン』まで一緒に来てくれないかな」 『え?』 彼は骨ばった手で、金色の髪をかき混ぜる。表情はどこか申し訳なさそうだった。 「一応ね、キイトに遭ったことを、昨日の内にオーナーに話しておいたんだ。他に誘拐 される人間が出るかもしれないから、馬車を呼ぶときは御者の身元を確認しろって 忠告も兼ねて。それで今日は、デーアにちょっと詳しいことを聞きたいからキイトを連 れてきてほしいって頼まれてるんだ。免許持ち魔導師は、魔法犯罪に関して捜査権 を持ってるから力になってくれると思う」 魔法犯罪、というのは魔法を用いた犯罪のことだ。魔法はその便利さ故、悪事に 使われることがないよう厳しく監視されている。なので他人に危険を及ぼす黒魔術を 使った場合は問答無用で魔法犯罪となり、懲罰も重い。 ―― そういえば昨日、黒魔術がどうとか言っていたっけ。 魔法犯罪者に対する逮捕権は、実は免許を持っていない魔導師や魔術師、魔法 使いだけでなく、一般市民も保有している。しかし捜査権があるのは魔法執行官と 免許持ちの魔導師だけなのだ。おそらく今回はデーアが捜査してくれるのだろう。 マドレーヌは恐縮した。自分がすやすやと眠っている間に、エルガレイオンは色々 と動いていてくれたようだ。 ―― そうだよね、他の人が狙われないってわけじゃない……。 呼んだ御者が不審者であったことを伝えておかないと、また被害が出たかもしれ ない。そのフォローをしてくれたエルガレイオンには頭が上がらなかった。 『わかった。面倒なことに巻き込んで、ごめんね』 「いや、全然平気。今から出れる?」 『うん。ちょっと待ってて』 いったん部屋に戻り、マドレーヌは出かける準備を始めた。歯を磨いて、髪を梳か し、財布をズボンのポケットに突っ込む。ネクタイとシャツの乱れを直して、ブランシェ の支度にとりかかった。 ――あ、そうだ。エルガレイオンからもらった服を着ようか。 (やっとか!) 感情のないはずの瞳が輝いた気がする。マドレーヌは苦笑を浮かべつつ、大事に しまっておいた服を取り出して、ブランシェに着せた。 妖艶な雰囲気のドレスはやはり、彼女によく似合っている。 ――これで元気を出してくれるといいんだけれど。 ヘッドドレスもつけておめかしを終え、マドレーヌは彼女を肩に再び玄関へと戻る。 ドアを開けると、エルガレイオンは物思いにふけるような表情で突っ立っていた。 『おい、どうした。もう出かけられるぞ』 「あ、うん。じゃあ、行こうか」 エルガレイオンはぼんやりと頷く。 ぼんやりと。 マドレーヌはその衝撃に、思わず持っていた鍵を取り落としてしまった。 ――エ、エルガレイオンが、ブランシェに食いつかない……!? 百歩譲って、普段着のブランシェならともかく、今の彼女はエルガレイオン自身の 好みで買ったドレスを着ている。深すぎるドール愛を持つ彼が、これに食いつかない はずがないのに。 「キイト?どうしたんだ?鍵が落ちたけど」 恐る恐る、彼を見ながら鍵を拾い上げる。エルガレイオンはそんなマドレーヌの様 子を不可思議そうに見ていたが、疑問符でいっぱいなのはこちらである。 とりあえず鍵をかけると、エルガレイオンが先に歩きだす。マドレーヌは彼にブラン シェの姿が良く見えるように、彼の左側を歩くことにした。 しばし沈黙が続く。 マドレーヌはエルガレイオンを盗み見た。 まっすぐ前を向く彼の目は、明らかに焦点が合っていない。上の空だ。 ――やっぱり、すっごくショックだったんだよ。人形が来ないの。 (うむ……) ブランシェさえも、エルガレイオンの静寂ぶりを心配し始めていた。普段の彼を知っ ている者からすれば、今日の彼はあまりに大人しすぎる。 そのぶん、美男には見えるわけなのだが。 ――調子が狂うなぁ。 静かなエルガレイオンは男性である、という面を強く感じて、なんだか緊張してしま う。マドレーヌはそっ、と彼のロングパーカーの裾を握った。 「ん?」 『エルガレイオン。大丈夫?』 「うーん」 なんともアンニュイな返事が返ってきた。大丈夫じゃない気がしてきた。 ――ブ、ブランシェ、エルガレイオンの肩に乗ってあげてくれないかな? そこまで落ち込まれると、哀れを通り越して恐くなってくる。マドレーヌがブランシェ に懇願すると、彼女はやれやれ、とため息をついてエルガレイオンの肩に乗った。 『おい。いったいどうしたというのだ。普段のハイテンションはどこへ消えた?』 「テンション……うん……俺の存在ってなんなんだろうな……」 人形の抽選に漏れたことで、まさか己の存在意義まで問いだすとは思いもしなか った。人形道はマドレーヌには深すぎる。 ――やっと見つけた、って言ってたもんなぁ……。 そして今気付いたが、エルガレイオンは地味に二連敗したわけなのだ。 というのも、この前にマドレーヌがブランシェのお嫁入りを断った経緯がある。あれ を数えて二連敗。さすがの彼も、自分の存在意義を問いたくなるほどに落ち込んで しまったのか。 かと言って「やっぱりブランシェをお嫁にあげるよ」なんて、マドレーヌには口が裂け ても言えない。マドレーヌとて、ブランシェは家族として大切な存在だ。 彼を元気にするには、ブランシェに肩に乗ってもらうくらいの案しかない。 エルガレイオンと過ごすにしてはめずらしく、沈黙が漂う時間になった。 憂鬱にまつげを震わせる彼の美しさに通行人が熱い視線を送っても、彼はそれに 気付くことなく、ただただ今でない時間を見つめているようだった。 ******** 『ジャスミン』に到着しても彼の、心ここにあらずといった様子は変わらない。下手を すると到着したことにさえ気付いていないかもしれない。 マドレーヌは『ジャスミン』のドアを潜る前に、改めてエルガレイオンの袖を引っ張っ て目的地に着いたことを知らせた。 彼ははた、と途端に目の焦点を合わせ、マドレーヌを見つめ返す。 「え、何?」 『なに、ではない。着いたぞ』 「あ、そっか」 しかし思考は散漫な様子で、ブランシェが肩に乗っていることに特に何の感想を言 うこともなく、彼はドアを開ける。明らかに異常だった。 ――大丈夫かなぁ……。 昨日は頼もしく思えた背中に続いて、店内に足を踏み入れる。 相変わらず中は大勢の客でにぎわっていた。 それも新商品が入ったのか、棚に商品を並べるのに人員を割かなければならない のに、その新商品を求めてやってきた大勢の客のレジも捌かなければならない。 並みの店ならば舌打ちや苛立ちが満ちているだろう。 並みの店ならば。 『ジャスミン』は違う。ここには無敵のアイドルがいる。 入口までできた長蛇の列の先には、天使の笑みを浮かべたリオンが立っていた。 レジには彼女しか立っていない。だがしかし、客の誰しもがリオンに商品を袋詰め してもらえるので、文句が1つも出ないどころか、皆微笑みさえ浮かべていた。 彼女から商品を手渡されると、客は頬を赤く染める。その様子ときたらアイドルの 握手会のごとしだ。 リオン自身は気付いていないだろうが、他の店員たちは明らかにわかって狙って やっている。 店側の恐るべき策略に背筋を凍らせつつ、マドレーヌはブランシェに呼びかけても らった。 『リオン!オーナーとデーアに会いに来たのだがいるか?』 「まぁ、キイト君」 リオンは目を丸くして、客に少しごめんなさいね、と断って(話しかけられた客は言 うまでもなく満面の笑みだった)、レジに近づいたマドレーヌとエルガレイオンに向き 直った。 「えぇ、奥にいるわ。ごめんなさい、忙しくて手が離せないの」 『案内はいい。いつもの場所だろう』 「そう。あの、キイト君。不安に感じることがあれば、私でもピサンリちゃんにでもいい から、相談してね?」 リオンの心を痛めている表情は、オーナーから昨日の出来事を聞いたのだろうと察 するに充分だった。 マドレーヌが平気、と言わんばかりに微笑むとリオンは少し安堵したようだった。 ふと視線を感じて見上げれば、エルガレイオンがこちらをじっと見つめていた。 ――え、なに!? 一瞬ぎょっとしたが、見つめている、というよりはこちらに視線を向けたまま思案し ている、といったふうだ。 まるで異星人と相対している気分に陥りながらも、マドレーヌはエルガレイオンの 身体を揺すぶって、現実世界に意識を引き戻してやる。彼はすぐにハッとして、リオ ンに視線を向けた。 「それじゃあ、奥に入らせてもらうよ」 「ええ」 手を振るリオンに手を振り返し、マドレーヌはエルガレイオンについて店の奥へと入 った。 従業員通路を入ってすぐにある商談室の扉をノックすると、間を置かずしてドアは 開いた。出てきたのはヴァンだった。 彼はエルガレイオンと挨拶を交わしたあと、その後ろに隠れているマドレーヌの姿 を見て、ひとまず安心したようにため息を吐いた。 「ケガはなかったようで安心したよ……さぁ、入って」 促され入ると、すでに部屋のソファにデーアが座っていた。以前見かけたような、ス リットが深く入ったスカートを穿いており、上は谷間がよく見えるカシュクールシャツを 着ている。ドレスでなくてもナイスバディさがわかって羨ましい。 彼女は部屋に入ってきたマドレーヌに妖艶に微笑んだ。 「こんにちは、キイト」 『こんにちは』 「おい、俺は無視ですか?」 微笑むエルガレイオンの頬が若干引きつっている。デーアはその文句さえも無視 して、マドレーヌに向かって自分の隣を叩いた。座れ、ということなのだろう。 このメンバーであればどこに座ろうが不都合はないので、誘われるがまま彼女の 隣に座ろうとすると、エルガレイオンに腕を掴んで止められた。そのまま引きずられ て、デーアと対面するソファに座らされ、エルガレイオンはその隣に陣取った。 デーアはそこで初めてエルガレイオンを視界に入れて、妖艶な微笑みを浮かべた ままちっ、と舌打ちするという器用な芸当を披露した。マドレーヌは人生経験が豊富 ではない方だが、ここまでにこやかに舌打ちをする人を初めて見た。 困り果ててヴァンを見ると、彼の口角が痙攣している。それは笑うのを我慢してい るとは言い難い表情だった。 『おい、貴様ら。何をじゃれあっておるのだ。早く本題に入れ』 エルガレイオンの肩に乗ったままであるブランシェがそう注意すると、ヴァンは苦笑 に切り替えて「そうだね」と同意する。 彼がデーアの隣に腰掛けることで、話は始まった。 「それじゃあ、キイト。差し支えなければ、昨日君に何が起こったか詳しく聞かせても らえないか?気分が悪くなったりしたら、遠慮せずに言うんだよ」 マドレーヌは頷いて、昨日あったことを話した。 馬車に乗っていて、うとうとしているうちに道が違うことに気付いたこと。 気付いた途端、馬車を囲うように魔法関係者が2人、馬に乗って現れたこと。 3人のうち、2人は魔導師で、1人は魔術師だったこと。 黒魔術を使おうとしていたこと。 エルガレイオンが応戦したら、すぐに逃げたこと。 マドレーヌがわかったのはこれくらいのことだ。 デーアは難しげな表情を浮かべ、唇に指を添える。 「エルガレイオン。貴方、顔に見覚えはないの?」 問われたエルガレイオンは、それまでの上の空はどこへいったのか、真剣な表情 で首を横に振った。 「あれは魔術で顔を変えてたし、魔力の色も変えてた。悪事に慣れきった手口だ」 『色?』 小首を傾げると、エルガレイオンが答える。 「魔力は個人で色が違うんだ。如実にわかるのは、魔術を使ったときかな。系統は 同じ色でも、他人とはまったく同じ色合いにならないから個人の判別に使うけど、今 回は対峙した時に色替えしてるって気付いたからアテにならない」 「気付いたなら色替えの魔術を破れば良かったでしょう。甘いわね」 「うぐっ」 免許を持ち、かつ魔導師としてのキャリアもデーアの方が長いためか、甘い部分を 指摘されてもエルガレイオンは反論しなかった。 代わりにヴァンが苦笑し、デーアを宥める。 「反省なら自分で済ませているさ。彼もプロだ。それより、何故キイトがターゲットに なったのか、理由は見つかるかね?」 「……そうねぇ」 デーアはマドレーヌを注視する。 「……以前、魔道具師を拉致監禁した魔術師がいたわ。彼はその魔道具師が作る 魔道具に恋をしていたらしくて、自分のためだけの魔道具を2か月間ずっと作らせ続 けていた」 隣に座るエルガレイオンが、露骨に顔をしかめて不快感を示した。マドレーヌも身 が凍るような思いだった。 ―― そんな事件があったなんて……。 戸締りはきっちりしよう。マドレーヌは心に誓った。 「キイトは魔法布織り職人でしょう。魔法関係でターゲットになるならその辺りね」 デーアの言葉には含みがあった。 彼女はパーティーに参加している。当然噂を聞いただろう。けれどマドレーヌが公 言していないことをヴァンが言っておいてくれたのか、彼女はあえて触れはしなかっ た。しかし、何が言いたいかは理解した。 ――クロード・シャールの妹だから。 それは考えずとも、狙われて当然の立場だ。財閥当主の妹を誘拐できたなら、身 代金を取ることだってできる。 だがしかしマドレーヌが彼の妹だと知れたのは昨日の夜、パーティーの最中。つま り世間一般的に、昨日の時点ではマドレーヌとクロードの関係を知っているのはパー ティに参加している人間しかいなかった。それもマドレーヌ自身はパーティーを途中 で退席している。そのわずかな時間で、誘拐を企み、魔術師たちを雇って実行に移 せるかどうかは、強い疑問が残る。 それにあの場にいた人たちが、お金に困っているようには見受けられなかった。法 を犯してまで金を得ようとせずとも、彼らは正規の商いで充分な収入を得られている はずだ。 少なくとも今回、クロードの妹だからという理由で誘拐されそうになった、ということ はなさそうに思えた。 密かにヴァンを見ると、彼もまた密かに小さく頷く。同じ考えなのだろう。 ――と、すると? 「あとは、キイトはターゲットではなかったってとこかしら。誰かと間違えた、あるいは 誰でもよかった」 「なるほど。富裕層であれば、誰でもよかったということか……その線が濃いな」 ヴァンに同調し、マドレーヌも頷いた。 聞く限りでは、その可能性が高いように思う。 「となると、誘拐グループの犯行か?この国で仕事をするなんて、めずらしい」 「そうよね。ここも魔法大国なのに」 ヴァンとデーアの疑問はもっともだった。 魔法犯罪は意外なことに、魔法技術が発達していない地域で起こりやすい。魔法 に関する知識が薄い場所で魔法を使った方が、捕まる確率が少なくなるからだ。 「……よっぽど腕に自信がある奴か」 エルガレイオンは眉根を寄せ、該当する人物を探しているようだった。 「……カードは?」 「カード?アイツなら檻の中よ」 「脱獄したとかは聞いてない?」 「無理ね。なんでもルビーブラッドが逮捕したそうだけど、きっついシュヴァルツ食らっ たらしくて魔導を見るだけで半狂乱になるらしいから、今は白い檻付きの病室で服 役中ですって」 「うわ、ざまぁみろ」 「よねー、ざまぁみろよ。免許も 魔導師2人は爽やかに笑い合った。 魔導師じゃないマドレーヌとヴァンは微笑みつつ、その奥に微妙な感情を隠した。 シュヴァルツ、という魔導は確か対象を眠らせるだけでなく、効果を付与すれば悪 夢を見させられる、というような感じの魔導だと聞いたことがある。詳しく説明すれば 違うのだろうが、知り合いの魔導師から素人はこう思っていた方がわかりやすい、と 教えられた説明だから、間違ってはないはずだ。 ――悪夢で、廃人かぁ……。 自ずと遠い目になる。 何が恐ろしいと言えばいいのか、もはやわからない。廃人になったと言われても心 配されないカードのそれまでの所業か、廃人にしたルビーブラッドか、その有様を聞 いてざまぁみろと笑う魔導師たちにか。 いずれにしろ、カードという人物が魔導師間でも恨まれていることはよくわかった。 ひとしきり笑った後、デーアは小首を傾げる。 「それで?魔導師免許持ちなわけ?」 「いや……カードは割とグループを作って依頼を受けるタイプだっただろ?今回の連 中も連携が上手く取れてるタイプだったから、もしかしてと思ったんだよ」 「連携ね……それで魔導師2人に魔術師1人」 「俺には捜査権ないからわかんないけど、魔法執行署に行けば手がかりが得られる んじゃない?」 「お馬鹿さん。免許を取るつもりなら、捜査の仕方も勉強しておきなさいよ。新人とか 関係なく、年に何件かは事件を担当しないといけなくなるんだから、免許取得してか らじゃ遅いのよ」 エルガレイオンは沈痛な表情を浮かべて、頭を抱えた。語学だけでも頭が痛いの に、この上さらに覚えなければいけないことがあるなんて聞かされたら、マドレーヌだ ってあのような表情になるだろう。 「まぁ、心当たりはあたって見るけれど、それでも腑に落ちないのよね……」 デーアの言葉に、マドレーヌは首を傾げた。 「手慣れた奴らが、ターゲットを間違えるかしら。間違えたんじゃなく、誰でも良かっ たって言っても、あまりにも行き当たりばったりすぎる気がするのよねぇ」 ちら、と彼女はマドレーヌに視線を寄こす。 「……案外、最初の案なんじゃないかしら」 『最初?』 「ストーカー」 驚いたのはマドレーヌではなく、男性陣だった。 「キイト、心当たりがあるのかい?」 「ストーカー!?ちょっ、下着とか無くなったりしていってぇっ!」 エルガレイオンの発言はブランシェに不適切ととられたらしく、電撃を受けていた。 肩に乗せているので、より強烈なものを喰らわせられただろう。 (ストーカーなど、思い当たりもせんがな……) ブランシェの言うことはもっともである。そもそも、マドレーヌを女子だと思う人間が 少ないというのに、ストーカーなどあり得るものだろうか。あり得るとしたら少年愛の 人間に限ると思うのだが。 考えていて空しいのは、重々承知の上である。 可能性を真っ向から否定するマドレーヌに対し、ヴァンは先ほどよりも難しげな表情 を浮かべ、額に手を当てていた。 「魔導師を雇って拉致しようとするストーカーなぞ、話し合いにもならないよ。愛の方 向性を完全に見失っている男は手に負えない」 「女もそうでしょうよ」 「そうさせた男の度量が悪い」 酷い男女差別を見た。女性と言えど、正気を失った人間は恐ろしい。男性だから女 性相手には手加減をしてしまうし、警察にも被害を話しにくいと言うのにあんまりで ある。 とにかくいくら思い起こしても、それらしい出来事に思い当たらないのでマドレーヌ は首を横に振った。 「あの髪飾りの男は?」 デーアの指摘にマドレーヌは肝が冷えた。 ――あの人なんて、とんでもない。 ストーカーとは正反対の位置にいる男だ。用済みになれば、今すぐにでもマドレー ヌと縁を切りたいと思っているに違いない男なのに。 真相を知らないヴァンも、昨日の髪飾りを思い出したのか「ああ」と声を上げる。 「何というか……並々ならぬ執着を感じたが」 『ありえません』 アクセサリーをクロードから贈られたとは言わない方がいいだろう。言えば贈り主 ――クロードへの懐疑は消え去るだろうが、別の問題が見えてくる。明らかにグレー ドが違うものを贈った、ということから見える、マドレーヌとクロードとの間にある不和 が。 それすら、クロードは容易く否定してしまうだろう。しかしよけいな労力を使わされ たという苛立ちがこちらに向けられないとも限らない。 クロードとの関係は、彼が望むように見えている方がいい。 マドレーヌはもう一度首を横に振るに留めた。 『信頼……している人から贈られたものですから』 「……本当に?」 エルガレイオンの問いかけに顔を上げたが、思わずぎくりと身を強張らせた。 息を呑むほど、まっすぐな瞳をしていた。 それでも何とか、マドレーヌは頷いて見せた。隠しごとをしている後ろめたさはある が、ありえないと思っているのは本当であることが、それを成し得させた。 「……そう」 エルガレイオンの瞳がまた、今ではない時間を見つめた気がした。 デーアとヴァンもまだ納得はしかねているようだが、マドレーヌの言を信頼してくれ たのか、不承不承頷く。 「でもその可能性も念頭に置いて、捜査するわ」 「ストーカーだと、面倒なことになるからそれ以外であってほしいものだ。こと恋愛に おいてのいざこざは善悪の区別がつけにくい」 物憂げにヴァンはため息を吐いたあと、そういえばとマドレーヌを見る。 「キイト。私はどうやらピサンリに嫌われてしまったようなのだが、何か理由を聞いて いないかな?」 『は?』 声にしたのはブランシェだったが、マドレーヌも同じく疑問の声を上げていた。 ――嫌われた? 昨日まで、パーティーで告白すると言っていた彼女がヴァンを嫌う?どういった経 緯でそのようなことになったのか、まったく理解が追い付かない。 彼は苦笑し、あごを撫でた。 「いや、昨日ダンスに誘ったのだがね、硬い表情を浮かべて『踊れない』と断られて しまったんだ」 「あら、貴方も振られることがあるのね」 「私をいったい何だと思っているんだね。ただの女性が好きな男であって、世の女性 を虜に出来る能力を持った男じゃないのだよ」 ――いや、それに近い能力は持ってるんじゃないかな。 ツッコミたかったが、黙っておいた。それよりもピサンリだ。 ――ダンスに誘われたのに、断った? 彼女の予定では、踊ったあと告白する予定だったはずだ。つまりヴァンの行動は 都合が良かったはずなのに、何故断ったのだろう。 (乙女心という奴か?) それを言われると、マドレーヌにはお手上げだった。乙女心なんてかわいらしいも の、マドレーヌは装備していない。装備とか考える時点で察してほしい事柄だ。 顔をしかめて考えるマドレーヌを見て、ヴァンは手を軽く振る。 「いや、聞いていないのならいいんだ。近頃ピサンリは親しくしていてくれたのに、ど うしたのだろうと思ったものだから」 「親しくねぇ……貴方、地雷を踏んだんじゃなくて?その子は貴方のことを好きで親 しくしてたのに、娘みたいに扱ったとか」 心の内で悲鳴を上げた。魔導師という人種は、皆こうも鋭いものか。 冷や汗を流すマドレーヌだが、当の本人であるヴァンは微苦笑を浮かべるだけだ。 「ピサンリが、私を?……それはおそらくない」 ――えっ! 反応しないようにするのに苦労した。 ――まさか、まさか、恋愛の達人がピサンリの恋心を見落とすなんて。 彼もやはり人だったのか、と混乱混じりに思う。しかしヴァンは確信に満ちた声で、 マドレーヌの混乱を払った。 「確かに彼女は好意を持っていてくれたと思うが、それは『憧れ』なんだ。『私』が彼 女に優しく接するから心を躍らせてくれたわけじゃなく、『優しく接するから』私に心を 躍らせてくれたんだと思う。つまり紳士のような振る舞いをしていれば、私でなくとも 良かったんだよ」 ――あ。 まさにそれは、ピサンリからヴァンへの感情を聞いたときに感じた疑問への、答え だった。 そうなのだ。彼女の言葉から溢れる想いは、ヴァンでなければいけないという感情 を見つけられなかった。 ジルダと付き合っているときには見えていた感情がなかったのだ。 (……さすがに経験豊富だな) 同意せざるを得ないほど、彼の言葉には説得力が満ちている。 だがデーアも負けていない。 「憧れだって恋の感情のうちの1つよ」 「それは認めるが……こればかりは勘としか言えないな」 「じゃあ貴方は、何を持ってして恋をしたと認めるの?」 面白おかしそうに彼女は尋ねる。プレイボーイの恋愛観、というものを覗き見てや ろうという魂胆が見えていた。 ヴァンも軽く笑って、それでも瞳の奥に真剣さを覗かせながら答える。 「その人を思い出すとき、正面の顔や笑顔じゃなく横顔を思い出せば、恋に落ちたと 思うだろうな」 「横顔?」 「自分と話している時間よりもはるかに長く、その人を見つめていたということだから だよ」 がたん、と音を立ててエルガレイオンが立ち上がった。 「……ど、どうしたんだね?」 ヴァンが尋ねるが、エルガレイオンは耳に入っていないかのように、マドレーヌに向 き直った。 見下ろされてびくりとする。いったいなんだと言うのだ。今日のエルガレイオンは明 らかにおかしい。 訝しむマドレーヌの前に、彼は騎士、というよりも王子様のように跪いた。 「キイト」 透き通った青い瞳が潤んで、輝いている。 海のようで美しい、と思った瞬間だった。 「俺と、結婚してください」 ――は? 頭が真っ白になった。 たっぷり10秒ほど思考停止してから、ケッコンってなんだっけ、と脳内の記憶の引 き出しを探り始める。 血痕。 つまり『俺と血痕しよう』というのは殺し合いを始めようという物騒なお誘いなのだろ うか。それなら丁重にお断りして、今後彼との関わりを考えた方がいい事案である 気がする。 (いや、違うと思うぞ) ブランシェの冷静な指摘が入った。 (マドレーヌ、これは……) 「プロポー……ズ?」 ヴァンの言葉が、不思議と頭によく響いた。 「ちょっと、このタイミングでプロポーズとか何考えてるのよ!待ちなさい!」 「エルガレイオン、その、少し落ち着きなさい。いくらなんでも結婚を申し込むには早 すぎないかね?」 「今、気付いた」 周囲の制止に構わず、エルガレイオンはマドレーヌだけを見つめて、続ける。 「好きなんだ」 じわり、と。 エルガレイオンの言葉が脳を侵食していく。 今、彼はなんと言った? スキ? ――スキって、好きってこと? マドレーヌはふらりと立ち上がった。 「キイト?」 エルガレイオンは跪いたまま見上げてくる。その青い瞳と視線がぶつかった瞬間、 顔が熱くなったのを感じた。 「キイト」 呼ぶ声がする。 けれど彼はこんなにも甘く、呼びかける人だっただろうか。 そうではなかったはずだ。 震える足が勝手に、一歩二歩、と退がる。 「愛してる」 その言葉を聞いたマドレーヌは、踵を返して脱兎のごとく部屋を逃げだした。 |