それは昼過ぎ、ヴィトランの奇行により始まったことだった。

「闇色ハット!良いところへ来たね!」

 出迎えてくれたヴィトランは、いい笑顔で言った。
 ヴィトランの家を訪ねて、そう言われた瞬間シシィは開けたドアを閉めてダッシュで今すぐ家に帰りたくなった。強烈に、猛烈に嫌な予感がしたからだ。
 しかしながら、帰るわけにもいかない。Bから寄こされた依頼で、どうしても魔道具が必要であり、それをヴィトランに頼みに来たという目的がある。
 そのためシシィは心を折ることなく、ヴィトランの家に足を踏み入れた。
 しかしこれが間違いだったのだ、と次の瞬間に早くも思い知る。

「はははははは!えい!」
「ぎゃあ!?ごほっ!」

 いきなりピンク色の粉をふりかけられて、シシィは咳きこんだ。
 ――何これ……!?

「な、何するんですかいきなり!」
「むむ……おかしいな。やっぱり効果はないのか」
「だから、何なんですかこれ!」

 ピンク色の粉を払い落しながらヴィトランを問い詰めると、彼は悪びれた様子もなく、むしろ生き生きとした表情で粉の入った瓶を見せながら答えてくれた。

「『かわいいものに変身!ドッキドキチェンジパウダー』だよ!」
「な、なんとうさんくさい!」

 思わず声にしてしまうほど、名前が胡散臭すぎる。

「っていうか、かわいいものに変身って、どういうことなんですか!」
「だからかわいいものにへん……」

 その瞬間、風船が破裂したような音が部屋に響き渡り。
 ピンク色の煙がシシィの身体を包み込んだ。

「わぷ!」

 ――え、あれ。何か、なに、か。
 煙が晴れて、シシィは恐る恐る自分の体を見下ろす。
 頭の中が真っ白になった。
 今までシシィが着ていたのは、紺色のチェックワンピースだったのだが、何故かひざ丈ワンピースは黒く、そのうえにドレスエプロンを着ている。
 しかも頭にも何かが装着されている感覚があった。

「しーーーーーんっ!!」
「うわぁっ!?」
「ビューティホーワンダホーアンビリバボー!!何てことだ鼻血ものだねっ、闇色ハットが僕のメイドに大変身!ああっ、何と言う奇跡!闇色ハットが僕のために食事を作り掃除をしマッサージをしてくれるなどと!っていうか僕がむしろしてあげたいかわ
いらしさだ!エンジェル!ヴィーナス!フェアリー!僕は本当にいい買い物をしたよ、おめでとう僕、さすが僕!メイド服にそれとない気品があふれ、それでいてかわいらしさもあるデザイン性に優れているとはなんと素晴らしき服なのだろうね!美しい人はメイド服を着るべきだっ!ということは僕もいっそ着るべきか!分かったよ闇色ハット、君とお揃いのメイド服を着ようじゃないか!そして互いの世話を焼くのさ!」

 かつてないほどのマシンガントークに、シシィは圧倒されてじりじりと後退していく。
 未だ見たことないほどの、ハイテンションマックスのヴィトランだ。笑みが尋常じゃないくらいに美しいのに、それと同じくらい言っていることがまともでない。
 ――というか、メイド服!?
 そこでやっと、自分が来ている服がメイド服であることに気がついた。
 確かにかわいいのだが、何だか1人衣装祭であるような気がして、落ち着かない。

「とりあえずヴィトランさん、これをどうにか……」
「とりあえず君を抱きしめておこう!」
「何でですかっ!きゃあぁぁっ!」

 言っていることはまともじゃないが、ヴィトランは大変美形なわけであり。
 いきなり彼に抱きしめられて、シシィが悲鳴を上げたときだった。
 部屋の中に光が満ちたのは。

「ヴィトラン、魔道具の調整を……」

 低い――ルビーブラッドの声に、部屋の中は静まり返った。

「……ルビー……」
「ルビーブラッド!ちょうどいいところに……!」

 ヴィトランが歓喜の声をあげた瞬間には、ルビーブラッドの足は彼の腹部にあった。

「うっ!?」

 その衝撃が伝わるままに、ヴィトランの身体は吹っ飛んだ。
 そのとき持っていた瓶は彼の手を離れ、くるくると宙で回転しながらルビーブラッドの頭上まで飛んできて。

「あっ!!」

 粉は、こぼれ落ちた。
 ルビーブラッドに降りかかるようにして。

「まさかやるまいと思っていたが、ヴィトラン、貴様が婦女に猥褻行為を……」

 その後の光景は、シシィのときとまったく同じで、風船の破裂したような音、ピンク色の煙、それが晴れて。
 しかし衝撃はシシィ以上の衝撃だった。

「……何だ、これは」

 ルビーブラッドの声は高く。そしてその身長は小さい。
 ピンクのフリフリのワンピースに、頭には白いカチューシャ。髪は普段より若干長くなったような気がする。
 そこにいるのは、齢5歳くらいの少女の姿をしたルビーブラッドだった。
 その姿は、つまり。とても。

「――っかわいい!」
「…………」

 珍しく呆然とした表情で、ルビーブラッドはゆっくりとシシィの方に顔を向けた。
 一度自分の姿を見て、もう一度シシィを見つめ。

「………………………………シシィ、か?」
「あ、はい!」

 瞳に力を取り戻したルビーブラッドは、脱兎のごとくシシィの横をすり抜けてヴィトランの家から逃げ出した。

「え!?ちょ、ルビーブラッドさん!」

 シシィも思わずその後を追うように飛び出して。
 家には気絶したヴィトランが、幸せそうな表情で1人取り残されたのだった。





********





「待ってください、ルビーブラッドさん!」

 ヴィトランの家を飛び出して、町の中。
 普通なら、ルビーブラッドが逃げようと思えばシシィに捕まることはない。何せ体力や歩く速さの他に、圧倒的に歩幅が違うからだ。
 そう、普通なら。
 けれど今は、その歩幅の違いによって逆のことが起きている。

「つか、まえ、た……!」
「!?」

 ひょい、とシシィに抱きあげられて、ルビーブラッドの足は地から離れた。

「だ、だめですよ、そんな小さい体で街に出ちゃ!迷子になります!」
「…………まい……」

 迷子、という言葉にショックを受けているルビーブラッドに構わず、シシィは彼(今は彼女の格好だが)を抱え直す。
 するとルビーブラッドが少し体を離れさせた。
 そのせいで、上手くルビーブラッドの体を固定できない。

「動かないでくださいルビーブラッドさん、落としちゃいます」
「いっそ落としてくれ……歩ける」
「何言ってるんですか!ヴィトランさんの家まで帰る間に離れたら大変でしょう?」

 昼間の大通りは、平日とはいえそこそこ人通りが多い。迷子になったら探し出すのは不可能とまでは言わないが、困難であることは確かだ。困難であるのなら、前もって予防しておいた方が格段にいい。
 そしてもうひとつ、邪まな思いがあったりする。
 ――だって、ルビーブラッドさん、かわいいだもん!
 相変わらず眉間にしわがよっているのは気になるが、幼い顔立ちであればそれも「あら、ご機嫌ななめ?」くらいで済む。まつげは長いし、顔の彫りは深いし、目はキツめだが、これはこれで愛らしさがある。
 とにかくかわいくてかわいくて仕方なかった。

「何故笑う」
「え。笑ってました?」

 こくり、と頷くルビーブラッドを見て、シシィは慌てて顔を引き締める。

「な、何でもないです。それよりヴィトランさんのところへ……」
「待て。帰るな」

 がしっ、と服を握られて、シシィは歩みを止める。
 ルビーブラッドは(無意識に)上目遣いでシシィを見つめた。

「この類の魔術は、長くは続かん。よほどの達人でない限り変身魔術を保ち続けるのは難しい。おそらく長くは変身していないはずだ。戻れば余計な心労を重ねるだけならいいが、最悪ヴィトランにまた同じものをかけられ……シシィ?」
「はっ……そ、です、ね……!」

 ――ああ、もう、かわっ……!
 上目遣いというかわいさに、ルビーブラッドの言葉を半分以上聞き流してしまったシシィだった。

「……やっぱり下ろせ」
「ええっ、そんな!迷子になっちゃいますって」
「本当の5歳児ではあるまいし、そんなヘマはせん」
「い、いや、いやいや!小さい体をなめちゃダメです!やっぱり抱っこを!」
「シ・シ・ィ」
「わ、わかりました!じゃあ、せめてどこかに座りましょう!せめて!」

 どこかに座る、という目的を決めて、シシィは結局ルビーブラッドを抱えたまま広場の方へと歩き出した。このまま真っ直ぐ行けば噴水のある広間に出て、そこにはベンチもあるし、噴水のへりに座ることもできる。
 そこまでの間なら、とルビーブラッドはしぶしぶ了承したらしく、不機嫌な表情で大人しくシシィの腕に抱かれていた。
 しかしながら、2人は忘れていたのである。
 他の何でもない――シシィの格好について。

「ルビーブラッドさん!アイスクリーム、チョコとバニラ、どっちがいいですか?」
「…………」
「あ、飲み物の方が良かったですか?それともクレープとか」

 白いベンチに座り、足をブランと下げている(小さくて地に足がつかないようだ)ルビーブラッドに対し、満面の笑みでアイスクリームを差し出すシシィを見て、彼はさらに眉間にしわを寄せた。

「……もう一度言うが、5歳児ではない」
「そ、そんなの分かってますよー!ほ、ほら、暑いじゃないですか!だからです!」

 疑いの視線を向けてくるルビーブラッドに、無理やりチョコレート味のアイスを押し付けると、彼は素直にそれを口にした。
 ――ああっ、かわいい!
 この姿のルビーブラッドに、是非とも大きなテディベアを持ってもらいたい。
 いっそ今から買ってこようかと血迷うシシィの背後に、1人の男が立つ。

「その子、かわいい子だね。君のとこの屋敷のお嬢ちゃん?」
「へ?」

 振り向くと、若い男がシシィに向かって微笑みかけていた。

「ちょっとご機嫌ななめみたいだけど、かわいい子だね」
「そっ、そうでしょう!?」

 同意するシシィとは裏腹に、ルビーブラッドはさらに憮然とした表情をする。彼も男である以上、「かわいい」とは言われたくないらしいのだが、そんなこと知る由もないシシィは。

「この目の色もストロベリーみたいでかわいいし、というか、顔全体がかわいらしいって言うか、服もかわいいって言うか、存在がかわいらしいと言うか!」

 「かわいい」を連発である。
 男もそれに深く頷いた。

「うんうん、分かるよ。モデルに使われてもいいくらいの子だもん」
「分かってくださいますか!」

 しかし、とシシィはふと我に帰った。
 ――この人、どうして声をかけてきたんだろう?
 確かに今の姿のルビーブラッドは、かわいらしい女の子だ。これが子供を持つ母親や、孫がいるくらいのお年寄りが話しかけてくるなら違和感はないが、彼くらいの若い男性が声をかけてくるのは珍しい。
 不思議がるシシィの服の裾を、ルビーブラッドが小さな手で引っ張る。
 ――何?
 そこでシシィはハッ、と気がついた。
 ――この人、ルビーブラッドさんをかわいいって言ってるってことは。

「どうかな、メイドさん。その子も連れていいから、そこらのカフェででも……」

 ――ルビーブラッドさんを狙ってる!

「だっダメです!この子はお嫁にあげれません!」
「は……?」

 いきなりの叫びに、男どころか、ルビーブラッドも唖然とする。

「それはかわいいですけど、世界一かわいいですけど、お嫁さんに欲しいって気持ちも分かりますけど、まだこの子は5歳なんです!婚約者を選ぶには早すぎると言いますか、恋愛結婚をさせてあげたいんです!」
「いや、どっちかというと狙いはそっちじゃなくメイドさ……」
「この子をメイドさんにするつもりなんですか!こんな小さい子に何たる非道!」
「待て。その言い分は完全に母親だ」

 ルビーブラッドの言葉に、男も密やかに同意する。
 ただ物珍しいメイドに、子供をダシにして話しかけただけなのに、えらい勘違いをされたあげく非道とまで言われた。あんまりだ。
 シシィはルビーブラッドを守るように、ギュッと抱きしめ、抱えあげる。

「そんな人にこの子は渡しません!」

 完全に。今のシシィの中で、ルビーブラッドは5歳児の幼女だ。
 もはや妹どころか、我が娘を守る勢いの剣幕のシシィに、男2人は女の強さと言うべきか母の強さと言うべきか、そういうモノを見た。
 ただしその強さは、ルビーブラッドのテンションを一気に下げたのだが。

「失礼します!」

 憤慨するシシィは、ルビーブラッドを抱えたまま、その場を後にした。
 1人置き去りにされた男は何かを言う暇すら与えられず、ただただそこに立ち尽くすのみだった。

「大丈夫です!ルビーブラッドさんは必ず私が、オオカミの手から守ります!」
「……そうだな。その勢いのあまり、自分に伸びたオオカミの手も払いのけるどころか、消滅させたな」

 うんざりするルビーブラッドと、目を輝かせるシシィ。
 その後ことごとく5歳児扱いされ、もう少しで洋服まで仕立てられそうになるところだったのを、何とか運良く元の姿に戻ったことでシシィの目を覚まさせたルビーブラッドは、いっそヴィトランのところにいた方がマシだったかもしれない、と後悔したという。





********





「かわいい……かわいすぎるわぁ……!」

 Bは、シシィの家のリビングで真っ黒な子犬を抱えて幸福感に浸っていた。
 机の上にはピンク色の粉。
 それはヴィトランのところにあったものと、非常に酷似している。

「うふふ……しあわせ」

 Bのつぶやきに、真っ黒な子犬――ルウスは幸せなものか、と心の中で反論する。
 シシィの留守中にノックされて、ドアを開けてみるといきなりBに粉をかけられ、この姿に至る。
 ――シシィさん、早く帰ってきてください。
 しかしながら、シシィが帰ってきたところで、Bと一緒になって「かわいい」とおもちゃにされることに気付いていないルウスだった。